弘前大学学長

弘前大学の遠藤正彦学長の退任会見の模様。
http://mainichi.jp/area/aomori/news/20120127ddlk02100028000c.html

10年間学長を務め、今月末退任する弘前大の遠藤正彦学長(75)が26日、最後の記者会見行った。東大が打ち出した秋入学移行について、個人 的見解と断りつつ「海外留学生の減少を理由に挙げているが、学期の問題ではなく日本の大学の魅力のなさ」と指摘。その上で「入試の根幹に関わる問題で、就 職や大学院進学で大きな影響がある。大学間の格差が拡大する」と警鐘を鳴らした。

一方、昨年3月の東日本大震災と福島第1原発事故で、放射線測定や治療など延べ600人を超す医師や看護師を派遣した弘大の活動を振り返り、「安心安全のため、放射線の正しい知識の普及が急務」と強調した。退任後、4月から大学院の特任教授として弘大にとどまる。【松山彦蔵】

私(吉田)が弘前大学に赴任したのが2001年11月1日、遠藤学長は翌年の2月1日付けで学長に赴任、2004年度に大学が法人化したあとも2回の選挙で学長に選出されて10年間学長を務めた(中規模大学医学部のある大学では、医学部の構成員が一番多いので、学長は医学部教授から選出されることが多い)。国立大学法人化後一番長く学長を務めた人だ。

私は個人的に呼ばれて学長室で話したこともあるし、半分公的(?)な仕事で学長と話し合いをしたこともある。ほとんどの場面で、学長の方針に反対の立ち場から発言した。書きたいことは山ほどあるが、やめた大学のことなので書かない。とりあえずは「お疲れさま」と言いたいところだが、10年は長過ぎたかな。

 

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公務員給与削減

公務員の給与が大幅に削減されそうだ。人事院勧告に基づいて平均0・23%減となった上に、今後二年間は平均7・8%が削減される。年収が1000万を超えるような公務員は別として若手の子育て真っ最中という公務員には大きく響く。それに、2年後に必ず元に戻るという保証もない。

公務員になったのはお金のためではないだろうが、それでも公務員バッシングが毎日のように繰り返され、そして給与も大幅に削減されるということになれば、仕事の意欲が低下してしまうのではないか。優秀な人材が公務員になるのを避ける。そのことも心配である。

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トイレのはなし(続き)

土曜のエントリーの続き

一つだけ大事な考察を忘れていた。

4 トイレで携帯メールやスマフォをする人がいること。これは間違いない。この人たちはもう中毒かも。

これだけはやめていただきたい。

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負けに不思議な負けなし

先週末から、毎日良いこと悪いことが交互にやってきて、気分が浮いたり沈んだり浮いたり沈んだりしている。

「人生塞翁が馬」とか「禍福は糾える縄」の如しと言うが、これは禍福に関連がある場合だが、私の場合、禍と福の関連がよく見えない。

ただ一つだけ言えることは、「禍」の原因は自分にあり、「福」の原因は周囲の人と幸運に恵まれただけ。

プロ野球の野村監督が、「負けに不思議な負けなし、勝ちに不思議の勝ちあり」と言っていたことがあるが、その通りだと実感する。

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飲み過ぎた

Nomisugita

いうことなし。

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どうでもよい話し「トイレの出来事」

本当にどうでもよい話しなので、読みたくなくなったら途中でやめてください。

今日は、上京。これから3月までは、週末に頻繁に上京することになりそうである。今、新幹線の中でこのブログを更新している。

私の上京の経路は、阪急で武庫之荘から梅田まで出て、JR東海道本線(「京都線」という言い方は嫌いだ)大阪から、新大阪に出てのぞみの普通席に乗る。指定券は、時間が拘束されるので東海道新幹線では買ったことがない。

それで、旅に出て悩まされるのがトイレ問題である。なぜか旅行中には乗り換え駅で必ずトイレに行きたくなる。今日も、大阪駅のホームに登ったところで便をもよおした。あわてて、エスカレータを降りてトイレへ。

大阪駅の御堂筋改札口側の男子トイレには、便室が9室ある。私がトイレについたときには入り口付近に3人並んでいた(便室のドアの前でなく、入り口付近に1列になって待つのはよい習慣である。銀行では「フォーク並び」と言うそうだが、いつのまにかトイレでも人々がこのように列待ちするようになった)。あと何分くらい我慢すればよいかを計算する。

だいたい人がトイレに必要なj時間は5分前後(私は1分で済む)。9室あれば、平均30数秒、いくら長くても1分に1人は掃ける。だから1〜2分待てばよいだろう。

その計算通り、前の3人目までは合わせて2分くらいで掃けた。すぐに私が先頭で待つ版になった。ところがである。それからが長い。次が出てくるまでに7〜8分もかかった。まあ、たまたま便秘の人や下痢気味の人がいて次が長くなることはあるかもしれないが、9室の人が全部7〜8分以上かかるのは異常である。なぜこんなことがおこるのか。

以前にもこのブログに書いたような気がする。その時は、読書している人がいたり、別の駅のトイレにワープしている人がいるのではないかなどと書いたのが、まじめに考えてみると思い当たるふしがある。

1 健康な人は、朝起きた時とか出勤前などに便をすませる習慣をつけているのであろう。そうすれば、普通は外出してから便に行きたくなることはないのかも知れない。したがって、駅で便をすませる人は朝のうち自宅で便をすませることができない人、つまり便秘や下痢など、消化器系統に異常がある人が多い。そういう人は用便の時間が長くなる。

2 1の人でなくても、旅行に出ればそれなりに緊張する。どうしても消化器系統に異常をきたす。したがって、そのような人が駅のトイレを利用することにより利用時間が長くなる。

3 上の理由に加えて、家には口うるさい妻がいて、子どもたちもうるさい年頃である。職場に行くと上司にどなられ若いのにばかにされる。街に出てもうるさいばかりだ。そう考えると、駅のこの個室トイレくらいしか落ち着いて自分をとり戻せる場所はない。別に便をしなくても、便座のふたをとじ、そこにすわってじっと物思いにふける。これは至福の時間かも知れない。30分でも40分でもゆっくりしたい(なんせ、神様まで住んでいる)。

いずれの理由にしても、トイレは清潔でいごこちのよいところでなければならない。その意味では現在の駅のトイレは本当にきれいになった。国鉄時代の駅トイレは汚く、そこで大をする気にはとてもなれなかった。ただ、トイレはきれいになったが、日本には公衆トイレがまだまだ少ない。男はまだましだが、女子トイレでは入り口からあふれた人が並んでるのを見かける。不側の事態(?)が起きなければよいのだがと、つまらぬ心配をしてしまう。

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書くは一時の恥

iPod Toutch を使い始めて1年近くたった。iPhone のように携帯電話機能はついていないが、WiMAX といっしょに使うことで iPhone と同じように使える。まあ、iPAD の小型版のようなものだ。

ただ、やはり使い勝手が悪い。電源管理がたいへんなことが一つの理由だが、一番大きな理由は文字入力が難しいこと。「お返事、ありがとうございます。よろしくおねがいします」程度の文を入力するだけで3分以上かかることもある。最近では、持っているだけでほどんど使わなくなっていた。

ところが、簡単に日本語入力する方法があった。フリックして入力する方法(指を四方にすべらせてア段以外の文字を入力する)である。実は、先日I氏と飲んでいるときに、I氏が、「これ練習したらいいよ」と言って、Flick Fan という無料アプリをダウンロードしてインストールしてくれた。家に帰って、そのアプリを使って見るのだが、まったく使い方がわからない。仕方がないので、フリックという言葉でインターネット検索してやっと意味がわかったという次第。これなら少しは、日本語入力が楽になりそうである(その時にいっしょに、駅.Locky というアプリもインストールしてもらった。これはものすごく便利)。

「そんなことも知らなかったのか」と言われそうだが、それがおじさんがおじさんである所以なのである。

私だって、若い頃は新しいものが好きだった。そして買ったらマニュアルをすみからすみまで読んで使い方を研究していた。自分のだけでなく人の世話をよくした。パソコンの設定をしたり、ソフトをインストールしたり、システム全体を設計したり・・・・、こんなことが大好きだった(だいたい、音楽関係者にはこんなことが得意な人が多い。ただし、不得手な人はかからっきしダメ)。

ところが年のせいか、マニュアルを読むのが面倒になった。新しいことをすることはおっくうだ。若者にたずねるはもっといやだ。というわけで、まだ使っていない機能がたくさんあるはずだ。

ですから、私が知らなさそうな機能があったら、こっそり教えてください。アプリの場合は、できればダウンロード、インストールもしてくださると助かります(泣)

恥をしのんでこんなことを書いている。だが、書くは一時の恥。おそらく、私のようにフリック入力も知らないのにスマートフォン買って喜んでいるおじさんが世の中にはたくさんいるはずだ。一生の恥になりませんように.。

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コンピュータ将棋

15日のエントリーの続き。

米長永世棋聖が対戦したボンクラーズというソフトは、もともとは「ボナンザ」というほとんど将棋を知らなに保木邦仁氏が開発したソフトをクラスタリング(連結)したものらしい。ボンクーラーズという人間を小馬鹿にしたような名称もそこから来ているらしい。

このボナンザというソフトのWindows版が、保木氏自身によってプログラムのソースといっしょに公開されている。腕に覚えのある方はぜひダウンロードして試していただきたい。思考ルーチンのソースも一緒に梱包されているが、私にはまったく解読不能(当たり前だ)。

5年前に渡辺明竜王と大局し、ほぼ互角に戦った(最後は竜王の勝ち)ソフトである。私は何度挑戦してもまったく歯が立たない。序盤は何とかなるのだが、中終盤は一方的になる。形づくりさえさせてもらえない。

くやしいが、コンピュータはここまで来ている。もう人間がコンピュータに翻弄される時代が来ているのかもしれない。

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「日の丸」「君が代」問題

『朝日新聞』朝刊記事

卒業式などの式典で日の丸に向かって起立せず、君が代を斉唱しなかった公立学校の教職員らに対する東京都の懲戒処分は行き過ぎか。処分のあり方が争 われた3件の訴訟の上告審判決で、最高裁第一小法廷(金築誠志裁判長)は16日、「戒告は裁量権の範囲内だが、減給・停職は慎重に考慮する必要がある」と する判断基準を初めて示した。そのうえで減給と停職の処分を一部取り消した。

この問題では一審・東京地裁、二審・東京高裁で判断がばらついたことから、最高裁が示す統一的な基準に注目が集まっていた。処分する行政側の裁量を認め つつ、個人の歴史観や世界観に由来する問題であることなどを理由に、行き過ぎに一定の歯止めをかける内容。公立学校の教員に君が代の起立斉唱を義務づけた 大阪府の対応などにも影響を与えるものだ。

まあ、妥当な判決だと思う。私は大学教員なので、君が代を起立斉唱するような場面に出くわしたことはないから言えるのかもしれないが、君が代斉唱のさいに起立するかどうかなんて、些細な問題である。起立しない教師がそれによって教師としての資質を評価されるべき問題ではない。このような些細なことで、話が「処分」というところまで行き着く姿は異様である。学校にはもっと重要な課題が山ほどある。

もちろん起立斉唱を重大視する考え方も否定しない。とくに起立斉唱を拒否した教師にとっては、それが自分の教師としての良心を否定されるほどの重大事であったはずである。だからこそ拒否したのである。こういう教師も存在してしかるべきである。

ここ数年の教育界の動きは、起立を拒否する教師のことを異端視し、存在そのものを認めないような方向に動いている。とくに、大阪では最終的には「免職」とする教育条例案まで出てきている。このような事態がすすめば、教育界の閉塞感はさらに進んでいく。この閉塞感のほうがよほど心配だ。

今回の最高裁判決は、このような方向の動きに一定の歯止めをかけた。処分された側にとっては不十分だと思われるかもしれないが、行政の側に与えた影響のほうがはるかに大きい。

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コンピュータ vs プロ棋士

年末に一度書いたテーマであるが、昨日正式な対局が行われた。本日の朝日の記事である。

将棋のプロ棋士とコンピューターソフトが戦う「第1回電王戦」(ドワンゴ、中央公論新社など主催)が14日、東京・千駄ケ谷の将棋会館で行われ、米長邦 雄元名人(68)が将棋ソフト「ボンクラーズ」に敗れた。公式の対局でプロ棋士がソフトに敗れたのは初めて。元名人は2003年に引退したが、永世棋聖の 称号も持つ元トッププロ。ボンクラーズは昨年の世界コンピュータ将棋選手権で優勝。毎秒最大1800万手を読む。

対局は、後手の元名人が2手目△6二玉という前例のほとんどない手で力戦に誘導した。序盤は互いに手を出しにくい状況が続いたが、ボンクラーズが隙をつ いて攻め始め、そのまま113手で押し切った。持ち時間は一部の公式戦と同じ各3時間。対局はニコニコ生放送で中継された。

米長元名人は「序盤は完璧だったが、見落としがあった。私が弱かった」と無念さをにじませた。

米長元名人は詰将棋を解くなどトレーニングを積み、ボンクラーズと何度も対戦して対策を立てて臨んだが、及ばなかった。昨年末の前哨戦でも、ボンクラー ズにネット上の早指し対局で敗れた。現役棋士はこれまで、公の場でソフトに負けたことはない。棋士とは別の「女流棋士」のトップクラスは一昨年、ソフトに 敗れた。

チェスでは1997年、当時の王者、ガルリ・カスパロフ氏がコンピューターに敗れた。取った駒を使える将棋はチェスより変化がはるかに複雑で、ソフトは なかなか人間に追いつけないでいたが、近年急速に実力が伸びてきた。来年の第2回電王戦では、現役棋士の船江恒平四段ら5人と将棋ソフト5チームが対局する予定。

パソコンが普及しはじめた25年ほど前には次のように言われていた。

将棋の初手で可能な指し手は30手、2手目も30手、2手指した時点で900通りの局面が可能。指し手が進むに従って、可能な指し手は増加する。したがって、100手先の局面は無限大。結局、どんな優秀なコンピュータでも、人間には勝てない。

私も、このように考えていた。しかし、予感はあった。まず、当時でもオセロのソフトに私は勝てなくなっていた。また、チェスにもある程度強いソフトができていた。

数年前から将棋ソフトがやたらと強くなった。少なくとも私の棋力では絶対に勝てなくなった。そして、とうとうこのような時代になった。コンピューターが強くなった理由は、次の二つである。

①コンピュータのスペックの向上
②思考ルーチンの強化

①は自明のことである。今回は数台のマシンを同時に走らせるクラスターという技術を使っている。だが、私は②が大きいと思っている。つまり、コンピュータは、可能なすべての手を読むのではなく、数手先の局面を評価して、はじめから無駄な手を読むことを省略したり、途中で手の探索を中断したりすることができるのである。これは、人口知能の研究の成果である。そして、おそろしいことは、それほど棋力のない人がこのようなソフトを開発していることである。例えば、ソフトの強さわ競う世界コンピュータ将棋選手権には、イギリスや北朝鮮のソフトが参加し好成績をおさめているのである。もはや将棋は文化ではなくなった。

米長会長は、元名人とはいえ、引退した棋士。羽生王位や渡辺竜王が対戦すれば勝てるだろうという見方はできるが、それも時間の問題で5年後にはもう勝てなくなるだろう。人間がコンピュータと対戦するのは、表計算の正確さ・速さをエクセルと競うのと似ている。

こうなると、今度は将棋のゲームとしての存在価値が問題になる。もちろん人間同士のゲームとしての将棋は残るだろう。しかし、プロ棋士が生き残れるかどうか。囲碁にしても将棋にしても、プロ棋士が尊敬されるのは、私たちが絶対勝てないほど強いからである。そして、将棋の盤上に真理を求めて集中している姿に感動するからである。しかし、プロ棋士よりもコンピュータが強くなり、コンピュータが簡単に正解を出すことができるのなら、もうプロはいらない。表計算の競技があってもよいが、そのプロが必要ないのと同じである。

米長氏は敗戦後の記者会見で、陸上競技での車の例を出して言い訳していたが、それは詭弁である。陸上競技には、車は参加しないのである。こちらは棲み分けがきちんとできているが、米長氏は棲み分けをしようとしなかった。負け犬の遠吠えに聞こえて哀れだった。

残念だが、昨日はプロ将棋の終焉を予告する歴史的な1日となった。もう少し、先延ばしにする手段はあったはずだが、会長が自爆してしまった(この対局で米長氏が莫大な対局料を受け取ったという噂話が、週刊誌やネットで囁かれているが真偽はわからない)。しかし、おそかれはやかれこの日はいつかやって来たはずだ。米長氏の責任ではない。そもそも、いつまでも存続するものなどありえないのである(いつまでも存続するものは・・・・・・*)。

なお、この対局はニコニコ動画で放映され、約30万人が観戦した。生放送には、プレミアム会員しかログインできなかったので、私もしかたなく月額500円の会費を支払った。この対局の最大の勝者はドワンゴである。

これを書いていて、他人事ではないことに気づいた。音楽関係の皆様はお気づきですね。

※このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。(新約聖書 コリント前13−13)

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