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2003年12月19日 (金)

エッセイ

★今からちょうど3年前の12月19日に私は次のような「研究論文?」を書いた。
発表したら「実にくだらない」と言われた。「頭がおかしくなったんではないか」と心配して電話もかかってきた。それくらいくだらない「論文」である。少し訂正して再掲する。

クリスマスに関する哲学的考察
                       吉田 孝

もうじき、クリスマスがやってくるらしい。「らしい」と書いたのは、クリスマスがやって来ない人もいるかも知れないからだ。明日生きているかどうかも怪しい人もいるし(それは私かもしれない)、そもそも<クリスマスがやってくる>という言い方が論理的に成立するかどうかが、十分に検討されていない。ただし、時間と紙数と私自身の思考力(これが一番大きな理由である)に制限があるのでここではその検討を省略する(注1)。

そういうわけで、どう言う訳でかは知らないが、「クリスマス」「クリスマス」と言って、猫も杓子も大騒ぎするのはいかがなものか(「いかがなものか」とは自分の意見を言わずに何となく周りに同意を求める時のとても都合のよいことばである)。大騒ぎしている場合ではないのである。
中でも一番大騒ぎしている場合でないのは私である。25日締め切りの原稿に四苦八苦しているどころか、まだ何も手をつけていないのである。おそらく25日になったら(先に述べたように25日になるかどうかも不確定であるが、無事25日を迎えたと仮定して)、「クリスマスが来るのがはやすぎる。クリスマスが1月25日だったらいいのに」と愚痴を言っているだろう。二番目に大騒ぎしている場合でないのは猫と杓子である。猫はたまに騒ぐこともあるが、たいていは春先であってクリスマスはおとなしくしている(ほれっ、「ねこはこたつで・・」という有名な唱歌があるじゃないですか)。いわんや杓子が大騒ぎをすることは絶対にないのである(ちなみに、広島市民球場でカープの応援団が打ちならしているのは、杓子はなくしゃもじである)。だから「猫も杓子も大騒ぎ」というのは不当な言い方である。万国の猫と杓子諸君は断固抗議すべきである。だから大騒ぎしている場合ではないのである。

また、クリスマスの大騒ぎに多くの良識ある人は違和感をもっていることであろう。日本は仏教の国だからである。ところがクリスマスというのはイエス・キリストの誕生日ということになっているということになっているということになっている・・・
・・・・・ということになっているらしい(注2)。回りくどく言えば、要するにキリスト教の行事でなのである。だから、仏教国なら仏教国らしく、クリスマスはお寺でお祝いすればよいのである。24日のイブには、木魚に合わせて「き・よ・し・こ・の・よ・る・ほ・し・は・」と唱えたらおもしろいだろう。それになかなか音楽的である。私が言っているのだから信用しないほうがよい。もちろんこうなったらキリスト教会のほうでもお返しをしなければならない。釈迦の誕生日がいつか知らないが、そのお釈迦様の誕生日に、教会でも賛美歌を歌って讃えるのである。

♪もろびとこぞりてむかえまつれ。

♪ひさしくまちにし、釈迦きませり。

お経を賛美歌の節で歌ってもよい。賛美歌の節には拍子があるので、形式の自由なお
経のことばを付けるのはかなり無理があると言う人がいるかも知れない。しかし、今の若者はミス・チル以来歌詞と節との関係に相当無理がある歌を平気で歌っているので大丈夫だろう(私はおじさんなのでミス・チルどころかサザンさえ歌えないが)。いずれにしても、お釈迦さまの誕生日を盛大に祝うことにすると、クリスマス(のようなもの)が年に2回あることになる(ついでにマホメッドの誕生日も祝うことにすれば、世界平和に少しは貢献するかも知れない)。レストランやホテルや宝石店は売り上げが増え、クリスマスに彼氏・彼女がいなかった若者にもチャンスが増えて、みんなが幸せになるだろう。

こんなことを書いているとほうぼうから石が飛んできそうだが(そこで眉をひそめて
いる人、ディスプレイに石を投げないでくださいな)、日本という国ではこんなことがあっても少しも不思議ではないと思う昨日あの頃である。

(注1)かりにこの問題を検討して「クリスマスがやってくる」が論理的に成立したとしても、さらに新しい問題が持ち上がる。例えば私が12月23日にこの世からいなくなったとしたら、クリスマスはやってくるのか来ないのか。ある有名な哲学者(名前を忘れた)は「我思う、ゆえに我あり」と言ったが、「我ある。ゆえにクリスマスがやってくる」とは言ってないのである。「存在と意識」に関わる問題は哲学の根本問題であり、著書が1冊書けるくらい大きな問題でもあるが、私には1行も書けなかったので書くのは断念した。
(注2)「ということになっている」を繰り返すのは、情報が又聞きの又聞きの・・・・・・・・又聞きの場合の常套手段である。もちろんこのような場合は又聞きの経路も出典もわからない。

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