笑う哲学者と怒る哲学者
笑う哲学者と怒る哲学者
笑う哲学者とは土屋賢二お茶の水女子大学文教育学部長、怒る哲学者とは中島義道電気通信大学教授。
どちらも、新書や文庫がよく売れている。どちらも私の愛読書である。代表的なものを紹介。
土屋賢二『われ笑う、ゆえに我あり』(文春文庫)の書き出しはこうだ。
「以前から書きとめていたものがかなりの量になり、出版をしきりに勧めてくれる人がまわりにいなかったので、自分から出版を交渉した結果がこの本である。 事前に何人かの人に読んでもらったところ、「面白くない」という者と、「つまらない」と言う者とに意見が分かれた。なお、公平を期すために、「非常にくだ らない」という意見もあったことをつけくわえておこう」
これだけで吹き出した人は、笑いのツボの合う人である。学生に読ませて見ると、笑いころげるのとぜんぜん笑わないのと半々である。
普通だったら、次のような書き出しになるはずだ。「以前から書きとめていたものがかなりの量になり、○○出版社の○○氏の勧めもあって、出版することにし た」。当然、こう書いてあるものだと思うから、この常識的な文とそこからはずれた土屋氏の文とのズレがおかしくて笑うわけだ。笑わない人には二種類あるよ うな気がする。本をほとんど読んでいない人はこの常識的な文が頭の中にない。だから土屋氏の文が常識とズレているとも感じないのである。残念ながら、こう いう学生が結構いる。もう一つは、このズレがきちんとわかっていて(タネを見抜いていて)笑わない人である。私はまだまだ笑えるのだが、最初に読んだころ に比べるとあまり笑わなくなったなあ。
中島義道『私の嫌いな10の言葉』(新潮文庫)
この本の中で中島氏は土屋氏の文章を次のように言う。
「どうしよう。全然おかしくない。私はしばらくこの文章をにらんで反芻するのですが、「おかしい」という感情のわずかな芽さえ出ない。心が暗くなる。厭な 予感がして、早速本文を慎重に読みはじめる。おかしくない。まったく、おもしろくない。あまりにもおかしくないので、心臓がどきどきしてくる」
中島氏のこの文で私は笑いころげたのだが。それはさておきこの本で中島氏が嫌う最初の言葉は「相手の気持ちを考えろよ!」。中島氏は言う。
「相手の気持ちを考えることは、じつはたいへん残酷なことです。いじめられる者は、相手の気持ちを考えるのならいじめる者の「楽しさ」も考えねばならな い。暴走族に睡眠を妨害される者は相手の気持ちを考えるのなら、暴走族の「愉快さ」も考えねばならない。わが子が誘拐されて殺害された者、妻を目の前で強 姦されたあげく殺された者が、相手の気持ちを「考える」とはどういうことか?
ただただ憎悪と後悔で充たされ、もはや考えることもできないはず。そこを無理に考えようとすれば、反吐が出てきてまともな精神状態を保てないはず。相手の 気持ちを考えろとは、これほど過酷な要求なのです」
あまりにも率直すぎてドキドキしてくる。正直だなあと思う。
« 近代日本思想研究会『天皇論を読む』(講談社現代新書) | トップページ | 言葉と音楽のたたかいだ! »
コメント