My List

無料ブログはココログ
2024年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

最近のトラックバック

« 評価規準について | トップページ | 評価の法的根拠 »

2004年2月28日 (土)

家族の呼称

日本の家庭、それも三世代が同居している家庭を想像していただきたい。
A男さんとB子さん夫婦、その息子であるC男さんとその妻であるD子さん、そしてその息子であるE男さんとF男さん兄弟の6人家族である。
F男さんは、個々の家族をどう呼ぶだろうか。「おじいちゃん」「おばあちゃん」「お父さん」「お母さん」「おにいちゃん」「ぼく(自分のこと)」。これは 自然である。ではC男さんは個々の家族をどう呼んでいるか。F男さんに合わせて「おじいちゃん」「おばあちゃん」「お父さん(自分)」「お母さん」と呼ん でいるのではないだろうか。はなはだしい場合は息子のことを「おにいちゃん」「ぼく」と呼んでいる場合もあるのではないか。
お父さん、お母さんなどの呼称は、本来は自分との関係性をあらわすものである。だから、自分の父親のことを「おじいちゃん」と呼んだり、息子のことを「お にいちゃん」呼んだりするのは、奇妙である。しかし、日本ではこれがまかり通っているのである(私は前にも書いた通り、「井の中の蛙」なので不確かなのだ が、これは日本だけの習慣だとも言う)。つまり関係性を表す呼称がいつのまにか固有名詞化してしまったのである。なぜこうなってしまうのか。おじいさんが 別の場面ではお父さんになったりすると子どもが混乱するのではないかという心理が働くからだと推測する。日本の家庭は子ども中心主義である。
さて私は何が言いたいのか・・・もうお分かりですね。


ひねくれ教育事典 【た】の部
だいがくのじち(大学の自治) もうすっかり死語に近くなってしまった言葉。行政の力が強くなったせいもあるが、一番の理由は大学自治の恩恵を一番多く受 けた人たちが、大学の自治をすっかり食いつぶしたせい。その人たちは、食いつぶしただけでまったく修復もせずに大学を去っていく。ぼやいてもしょうがない が。


麻原に極刑判決が出た。当然のことだが、何か割り切れない気持ちだ。松本サリン事件や地下鉄サリン事件はなぜ防げなかったのか。まだあいまいなことばかり である。
今日は土曜日。先週も先々週も東京だった。久しぶりにゆっくりできる。今日は何もせずぼやっとして過ごそうと思っている。

« 評価規準について | トップページ | 評価の法的根拠 »

ことば」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 評価規準について | トップページ | 評価の法的根拠 »