浜本隆志『魔女とカルトとドイツ史』(講談社新書・720円)
オウムが引き起こした、松本サリン事件、地下鉄サリン事件などの集団的犯罪事件は、その底辺に集団妄想症候群がある。
この集団妄想症候群は、最近生まれたものではなく、ヨーロッパ史の中で繰り返し現れた。
・浜本隆志『魔女とカルトとドイツ史』(講談社新書・720円)
ヨーロッパの十字軍、異端狩り、中世のユダヤ人大虐殺、魔女狩りと魔女裁判などは集団妄想症候群の現れで、ドイツにとくに顕著だったと著者は言う。そし て、それが20世紀に現れたのがヒットラー・カルトだと言う。ドイツになぜ顕著だったのかは、本を読んでいただくとして、私はヨーロッパの集団妄想がキリ スト教と結びついていることに注目する。例えば、森島恒雄『魔女狩り』(岩波新書・1970年)も読んでいただくとよいのだが、魔女狩りには人間の思いつ くありとあらゆる残虐な拷問、刑罰が登場する。そして、それはキリストの名のもとに行われたのである。ここで気をつけて置かなければならないのは「キリス トの名のもとに」というのは「キリストの名を借りて」とか「キリストの名を利用して」ではないのである。心から「キリストを信じて」「キリストへの信仰心 から」このような残虐なことが行われたのある。現代のキリスト者はこの事実から目をそらすべきではない。
集団妄想症候群という概念で歴史や社会を見ると、説明できることがある。例えば、大東亜共栄圏、文化大革命、カンボジアの大虐殺、金親子への個人崇拝、 ブッシュの暴走とそれへの追随。すべて集団妄想症候群のなせる技ではないか。集団妄想症候群から冷めるには、悲劇的な結末を目の当たりするしかないのか。
ひねくれない(今日だけ)教育事典 【は】の部
はつもん(発問) 一般的には「授業において教師が子どもに問いを発すること」(岩波小辞典「教育」)を言うらしいが、これだけでは発問の機能を正確に言 いあらわしていない。次のように定義するべきである。
「発問とは学習者の頭の中に問いを発生させるような教師の言語行為である」
この発問が音楽の授業の中でどのように機能するのかを実践例をもとに検討した論文を書いた(今最後のチェックをしている)。
日本音楽教育学会の第2学会誌『音楽教育実践ジャーナル』に投稿するつもりである。編集委員からクレームがつくかも知れない。そうしたら面白いなあと思 う。
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