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2004年4月10日 (土)

ディベート

ゲームとしてのディベートのことを書く。
ディベートには論題がある。今年のディベート甲子園の中学校の論題は次の通りである。
「日本は救急車の利用を有料化すべきである。是か非か」http://nade.jp/
この論題で是とする側が肯定側、非とする側が否定側ということになる。双方が同じ時間を使って、立論(自分の側の主張をする)、反駁(相手の立論に反論す る。相手の反駁に対しても反論する)をする。最後に審判が、議論の中で有料化することのメリットとデメリットのどちらが上まわっていたかを判定する。メ リットが上まわっていれば肯定側の勝ち、そうでないならば否定側の勝ちとなる。
「そうでないならば」というのはデメリットが上まわる場合だけではない。メリットとデメリットが同じ場合も否定側の勝ちである。つまり現状を変える積極的 な理由がなければ、変える必要はないということになるのである。これは、ゲームとしてのディベートでなくても同じである。
どんな提案も積極的な理由がなければ却下されるべきなのだ。ところが「よそもやっている」くらいの理由でまったく思いつきのような案が提案され、それが 通ってしまうことがよくあるのだ。
ある団体の規約の改訂案が「よそもやっている。問題はおきていない」というだけの理由だけで通ったことがある。弘前大学では、ゼミの指導教官制度とは別 に、「クラス担任制」という制度が「よそでもやられている」という理由だけで上から押しつけられた。この場合、デメリットすら議論されなかった。現状を変 える場合は、それによって予想されるデメリットを大きく上まわるメリットがあることを、提案する側が証明する義務があるのだ。このことが分かっていない人 間が人の上に立つとろくなことがない。


ひねくれ教育事典(2周目) 【あ】の部
愛のムチ 「愛」という言葉がくっついたからと言ってムチ(身体的・精神的な苦痛を与えること)が許されるわけではない。動機が良いから(子ども達のた め)と言ってその結果起きてしまったことに対する責任がなくなるわけではない。教師はこのことをよく自覚すべきである。ムチは教育の世界では破棄されるべ きである。ただし、男女が合意の上で使用する場合には「愛のムチ」が有効になることもあるらしい(ロウを併用することもあるらしいが、吉田はどちらも使っ たことがないのでその効果は保障できない)。


イラクの人質事件。考えていることはあるが、安全なところから何を言っても無責任だ。無事を祈るだけである。

ニーチェが「神は死んだ。中東問題の複雑さに悩んで死んだのだ」と言った。こういうジョークがあるそうだ。たしかにそう思うことがある。
芝生瑞和(しばうみずかず)『パレスチナ』(文春新書・700円)

キリスト教では、明日は復活祭(イースター)である。イエスは金曜日に十字架にかかり、3日目の日曜日に蘇ったとされている。今日はイエスのいない日であ る。

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