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2004年5月21日 (金)

組合

昨日、大学の組合の学部支部の総会が開かれた。
高知大学、国立教育研究所時代から、ずっと組合に入っている。
特別な意味はなく、働いているのだから当然だと思っている。
これまでは組合といっても、国家公務員の組合だから、労働組合というのではなく、教職員団体の一つにすぎなかった。大学や文部省とも一応「交渉」はする が、それも「話し合い」に近いものだった。一番大きな問題は争議権がまったく保障されていないこことだった。
しかし、この4月から大学は独立行政法人になり、教職員は公務員ではなくなった。これまでの組合に対するさまざまな制限から解放された。そして組合も「労 働組合法」に規定された労働組合として再出発することになった。法的な存在だから大学当局も組合を無視することはできない。行使することはなくても争議権 があることは強い。
ただ、「組合派」という言葉あるくらい、これまで組合は大学内ではある特別な集団で何か特別な考え方を持っている団体のように見られてきた(これがおかし いのだが)。だから大学によっては組合の組織率も低い(弘前大学も同じ)。「特別な人」の団体ではなく、入っているのが当然の団体に脱皮しなければならな い。


ひねくれ教育事典 【た】の部
たんげん(単元) 関連した内容の授業のひとかたまりのことを「単元」と呼ぶが、音楽などの場合、「なじまない」という理由でかわりに「題材」という言葉 をつかう。しかし、音楽の場合でも授業のひとかたまりは当然存在する。だから単元も存在する。その単元の「主題」または「教材」のことを「題材」と呼んで いるにすぎない。私も混乱をさけるため、普通は「題材」を使っているが、本音を言えば「単元」を使いたい。

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