呼称
ある学会のニュースレターに、国際的なリサーチセミナーに出席した会員の報告が掲載されていた。こういう国際的なセミナーの報告ができ る語学力と研究力をもった人はうらやましい。「だから、どうした」と言いたいような内容のものもたくさんあるにはあるが...。それは別としてその報告を 呼んで驚いたことがある。そこで発表した外国の研究者が皆ファースト・ネームで紹介されていたのである。中には愛称で呼ばれていた人もいる。 Robert→Bob と言う具合だ。お互いに仲間意識があるのだろうし、国際的な研究仲間の間ではそれが常識なのだろう。しかし、典型的な井の中の蛙である私なぞは、目を白黒 させるしかなかった(実際に白黒していたかどうかは鏡を見ていないのでわからない)。
ただ、私はそんなところには参加しないからいいのだが、もしそのような習慣が国内の学会にもちこまれたら困惑するだろう。学会の会長を捕まえて「ヒロ」と か、前会長をつかまえて「文ちゃん」とは酒席でも言えない。私はどれだけ親しい人でも公式の席では「○○先生」「○○さん(だいぶ親しい人の場合)」、文 書では生存している人は「○○氏」(亡くなった方に氏をつけるのはいけないそうだ)と呼ぶ。年下でも同業者に「○○君」と呼ぶことはない。まあ、他人に強 要する気はないが、自分は自分なりの一つの筋の通った言い方をしようと思う。筋の通った言い方というのは、年齢や社会的地位の違いによって呼称を変えたり しないということである。
ちなみに、映画の「寅さん」役の故渥美清さん、「さくら」役の倍賞千恵子氏、監督の山田洋二氏は、台本を離れればおたがいに「渥美さん」「倍賞さん」「山 田さん」と呼び合っていたそうである(何かの本に載っていたはずなのだが出典が出てこない)。とてもいいなあと思う。
ひねくれ教育事典 【ろ】
ろんぶん(論文) 研究者の評価はこの数と質で決まると言ってよい。大学の教員に採用される場合も、昇任する場合もこの論文がモノを言う。ただし、我が教 育系の論文には、教育の改善にも学問の発展にも役に立たないものもある(というよりほとんどがそうである)。いわばゴミのような論文である。ゴミかどうか は1行読めばわかるので、すぐ読むのをやめる(さすがにゴミ箱にはすてない)。その証拠に、他人の論文をすみからすみまで丁寧に読んだという人の話をあま り聞いたことがない。もし読むとすれば批判論文でも書こうと思った場合である。当然、学会誌に掲載された論文の中にもゴミはたくさんある。具体的に例をあ げろと言われればあげてもよいが血を見そうなのでやめる。こんなことを書くと「喧嘩売ってるのか」といわれそうであるが、実は売っているのである。
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