メディアリテラシー
本格的に雪が降ってきた。写真は、住宅のベランダから。
仕事が山のようにたまっている。今日は大学に出て仕事を片づける。
夜は、コンサート。大変なことを頼まれた(^^;
少女殺害事件があいついで起こっている。安易な論評は避けるべきだと思う。ただこれ以上事件が続かないことを願うばかりである。
それにしてもこれらの事件のTV報道にBGMつけるのは、なんとかならないか。それもほとんどがテレビゲームのBGMみたいな音楽である。これではまるでショーではないか。被害者の遺族はいたたまれない。また、視聴者からは冷静な判断力を奪う。
二つの教育が必要だ。
・音楽の消費者教育・・・・音楽にだまされない。
・メディア・リテラシー・・メディアにだまされない。
ひねくれ教育事典 【の】順番間違えた(^^;
のうりょく(能力) 日本国憲法には次のような条文がある。「第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」。この文章はおかしい。「その能力に応じて」と「ひとしく教育を受ける」は矛盾する。実際にもひとしい教育など受けてはいないではないか。理想は「それぞれの個性や能力に応じて、それにふさわしい教育が受けられること」でなければ、ならない。もちろん「ふさわしい教育」は、能力の高い人が高度な教育を受けられることだけではなく、発達障害や学習障害を持つ人が手厚い教育を受けられることを意味する。だから、憲法の条文は次のように解釈すべきである。「ひとしく権利を有する」。つまり「ひとしく」は「教育受ける」ではなく、「権利を有する」にかかっているのである。次のように書いてあればよかった。「すべて国民は、能力に応じて教育を受ける権利をひとしく有する」。
文章を書くときに、副詞(句)や形容詞(句)の位置をどこにするかは悩ましい問題だ。
『あいまいな日本の私(大江健三郎)』。あいまいである。
今午後4時。
研究室で大学の仕事をしている。公の文書を作っているのだが、まったくはかどらず。約束の期日までにできるのか。
土曜だからスチームはこない。ストーブはあるが、二つのヒーターのうち一方が故障している。あまり効果がない。
コメント