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2005年12月21日 (水)

論理的思考力

ひねくれ教育事典 【ろ】
ろんりてきしこうりょく(論理的思考力) もっとも簡単に言ってしまえばいくつかの知識を組み合わせて新しい知識を導き出す能力のことを言い例えば「人間は動物である」という知識と「動物は死ぬ」という知識があれば「人間は死ぬ」という知識を導き出せるのであって「人間は動物である」と「動物が死ぬ」がともに真理であるかどうかはこのさい無視してそれに「私は人間である」という知識が加わった時にいろいろな複雑な思考を経て一度は「私は死ぬ」という結論に至ったのであるがこれがどのくらい複雑な思考かと言うと「私は人間である」「人間は動物である」という知識から「私は動物である」を導きさらにそれに「動物は死ぬ」という知識と組み合わせて「私は死ぬ」という結論を導いたのか「私は人間である」という知識とすでに論理的思考の結果として知識となっている「人間は死ぬ」という知識と結びついて結論を導いたかを明らかにする必要があるのだがその点に関しても今は考えないことにして人間というのは誰もが「私は死ぬ」ということを認めたくないので(これも真理かどうかはともかくそういうことにしておいて)そのことを否定するために乏しい論理的思考力を駆使して「私」は「人間は死ぬ」と「私は人間である」が真理だと断定できるのだが「私が死ぬ」とは断定できないのであってなぜならば「私」が死んだら「私が死んだ」ということを認識することすらできないではないか「私が死んだ」と認識したとすれば「私」はまだ生きているのであるからやはり「私は死んだ」とは認識できないではないかと実は「死ぬ」と「死んだ」をすり替えているのだがとりあえず「私は死なない」ということにすると「私は死ぬ」の前提となる知識のどこかに誤りがないかともう一度はじめから検討し直して見なければならなくなり「私は人間である」は否定しようがないので「私は動物である」が真理かどうかいちばん疑わしいので、さらにその前提となる「人間は動物である」について喧々諤々(けんけんがくがく)と議論していたら誰かに「それは侃々諤々(かんかんがくがく)の間違いでしょう」と指摘されてそう言えばこういう言い間違いはたくさんするなあ例えば「汚名挽回」と横道にそれそうなのを必死でおさえてとこういうふうに話が複雑になると話を横道にそらそうとする人はどこにもいるなあと思いながら話をもとにもどして「人間が動物である」ことが真理かどうかということについて考えていたら夜が明けてきた。


そういうわけで今日は東京に来ているのだが雪がまったくなくて不思議な感じだがそれはさておきこの「吉田からのメッセージ」のページは横幅が広く一行の文字数が長くて読みにくい(それならば自分でWindowの幅を調節してもらったらいいのだが)というご意見をいただいたのでCGIのPERLスクリプトを書き換えて一行の幅を固定したら少し見やすくなったようなのでせっかくだから今日はその記念に一文の文字数をふやしてついでに読点もすべて抜いたらどんな文になるかをためしてみたのだがこのような文を見たらあの大先生を思い出す人が多分10人くらいはいるはずである。

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