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2005年12月25日 (日)

一人称

大学の事務的な仕事、頼まれた原稿が2つ、学生・院生の指導、研究、マラソン、酒などやらなければならないことが山ほどある。正月休みの間にかたづけるべきものは片づける・・・それをしなければたぶんパンクするだろう。

ひねくれ教育事典 【わ】
わたくし(私) 一人称にはどれくらいの種類があるか。思いつくままに並べる。私(わたくし)、わたし、ぼく、僕、拙者、小生、我(われ)、それがし、俺(おれ、オレ)、儂(わし)、自分、吾輩(わがはい)、おいら、おら、あたし、あちき、うち、わて、おいどん(方言)、当方、余、朕、麿、筆者(研究者専用)、自分の名前。結構たくさんある。ちなみに、津軽の日常会話では「わ(男女とも)」である。「わの、とごさこいへ!」は「私のところにおいで」という意味である。ところで、あまり調べてはないのだが、「余」から「筆者」まではどうも一人称とは言えないようだ。例えば、筆者を英語に直せば、Author だから三人称だろう。自分のことを一人称ではなく「三人称」で呼ぶ場合があるということだ。
ところで、論文で自分のことを言う時に、「私」と書く人と「筆者」と書く人がいる。私は「私派」である。「筆者」なんて他人みたいで気持ち悪い。研究の客観性を確保したい(というふうに見せたい)という気持ちがそうさせるのかもしれない。しかし、客観性を確保するのなら、「筆者」という言葉さえ必要なくなるのではないか。逆に私は論文とは自分の頭の中にあることがらを書くものだっと思っている。「いや事実を書くのだ」という人がいるかもしれないが、「事実」でさえも「自分の頭の中で再構成された物語」である。だから論文には頭の中にある物語だけを書けばよい。つまり私の頭の中にあることを書けばよいのだから、「私」というような頭の持ち主のことについて言及する必要はないのである。しかし、例外がある。教育研究の場合には、研究者自身が物語の主役になることがある。例えば、自分自身が授業者になって、自分自身のことを書く場合である。教育研究のややこしいところである。 

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