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2005年12月20日 (火)

大学評価

あるHPに、イベントの報告が出ていた。
イベントの主催者がだれで、どんなことが行われたが書いてあった。
プログラム情報と異なるのは、何人参加したかということと「質が高い」という筆者の感想だけだった。
子どもの頃、私は次のような作文を書いていた。

  きょうは ぼくは あさ6じはんに おきました。
  さんぽをしたあと、ごはんをたべました。
  それから はを みがいて がっこういきました。
  がっこうから かえって おとうとのつよしとあそびました。
  とても たのしかったです。

筆者の作文能力はこの程度なのだろう。
これなら、プログラムをそのまま掲載して、「予定通りおこなわれた」で十分である。
そのほうが、よほど資料価値がある。


大学評価 (内輪の話なので、興味のない人は読み飛ばしてください)
どこでもここでも、評価、評価、評価・・・あ、ひょうか!
まるで雹(ひょう)がふってきたような空前の評価ブームである。
我が弘前大学は、学位授与機構による認証評価というのをうける。そのためにはまず各大学が、自己評価書を提出しなければならない。
私は、学部の自己評価委員と全学の評価室委員をやっている(私には一番似合わないことをやっている)。
まず手始めに、自分の学部の自己評価のたたき台の文章を書くことになった。それで私が分担した部分は次の通り。
基準5 教育内容及び方法
基準6 教育の成果
基準9 教育の質の改善のためのシステム
もちろん、これだけのことを書くためには資料収集も必要である。まずそこからはじめるわけだが、時間のすべてを費せるのならいいが、そうはいかない。授業もしなければならないし、研究もしなければならないし、酒も飲まなければならない。というわけで、暇をみつけては下書きを書いていたのだが、下書きを書いてわかったことは、大学がいかに資料をきちんと集積していないかということだった。例えば、「個々の教員は、評価結果に基づいて、それぞれの質の向上を図るとともに、授業内容、教材、教授技術等の継続的改善を行っているか」という項目がある。こんなことを一介の教員である私が書けるわけがないではないか。書いたとしても「行っているかどうかは不明」あるいは「各教員の良心にゆだねられている」と書くしかないではないか。唯一の手だては、それぞれに自己評価してもらうしかない。学部の委員会で昨日下書きを検討してもらったのだが、資料収集をもう少し続けなければならないということになった。ただ、この仕事は個人の仕事でなく、いっしょに仕事をしてくれるとっても有能な同僚もいる。年越しの仕事になるが、まあ先の見える仕事だから何とかなるだろう。
・・・この過程で、少しおもしろいことを発見した。大学の自己評価書も、資料の裏付けがなければ、かなりの部分がいわゆる「作文」にならざるを得ないのだが(それをいかに実質的なものにできるかが大学の力量でもある)、評価する側である学位授与機構が作った「自己評価実施要項」をはじめとする一連の手引き書もかなりの部分が「作文」である。そりゃあそうである。学位授与機構のメンバーがみな大学の管理運営や大学教育を専門とする研究者ではないし、大学の実態についてもきちんと掴んでいるわけではない。だから、中には絶対に把握することが不可能な項目さえある。それに複数のメンバーによる作業だろうから、各文書間が不整合になる。同じ文書内でも、部分によって書きぶりが相当違ってくる。これにしたがって報告書をつくるほうは一体どうすればいいんじゃということになる。評価する側も誰かに評価されなければならない。それで、評価される大学側にアンケートをして、評価機構に対する評価をしたらどうだろうか。こうなると「学生による授業評価アンケート」と同じことになる。こういう評価システムに矛盾をかんじつつ・・まあ、やるべきことをやるしかない。


ひねくれ教育事典 【れ】
れんしゅう(練習) 私は、子どものころから練習というものが嫌いだった。一時期は夢中になることもあるのだが、あまり長く続かない。数学は子どもことから好きだったが、簡単な算数の計算ミスが多い。計算ドリルがきらいだった。文を書くことは嫌いではなかったが漢字をよく間違った(今でも)。漢字ドリルがいやだった。ピアノ・・嫌いではなかったがやはり練習はきらいだった。1時間以上も練習したのはこの一生で3日くらいか。あの有名な入門用の教則本おわるのに3年かかった。大人になってからは、練習する時間があるのなら・・そりゃあ酒を飲みますよ。・・・というわけで、この練習嫌いで、損をしたことがたくさんある。・・・まあ、報いだからしかたがない。
そんな私が、一つだけ長続きしたもの。それが5年前にはじめたランニングでである。このランニングのためにどれだけ時間を使ったか・・・この時間を研究に使ったらどれだけ成果があがっていたか・・・・・と言ってもそううまくいかないのが人生である。この2ヶ月、けがで休んだが、2ヶ月で研究がすすんだかと言うとそうでもない。というより、停滞していると言ったほうがよいかもしれない。そろそろトレーニング再開しなければ・・・と思ったが、今日も雪。休むことにする。ランニングの練習まで嫌いになったら、私は一体何を楽しみに生きたらよいのだろうか。

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