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2008年12月の投稿

2008年12月31日 (水)

1年間ありがとうございました。

2008年も残り少なくなってきました。
日本経済が最悪の状態にあって、非常に厳しい状況の中で1年が暮れようとしています。2009年は、少しでも経済が回復してほしいと思います。

私自身にとっては、2008年は、公私ともに大きな変化のあった年でした。それとともに「年齢」を感じた年でもありました。いろいろな困難もありましたが、仲間の支えで乗り切ることができました。心から感謝いたします。2009年もどうぞよろしくお願いいたします。

2009年が皆様にとってもよい年でありますよう願って、年の瀬のあいさつとさせていただきます。

2008年12月26日 (金)

ショック

ちょっと必要があって、健康診断をしてもらった。
血液検査、尿検査、X線・・・どれも結果がぼろぼろだった。
最近、どうも体調が悪いと思っていた。。
「あんたなんか病気が逃げて行くでしょう」と言われていたのに。

考えてみれば当たりである。生活が不摂生すぎた。
少し自重することにしよう。

2008年12月22日 (月)

ブログ引っ越し

自宅サーバーを使ってWEBを運営していたが、サーバーの負担が大きくなったので、Webを外部に移動することにした。その時にブログもいっしょに移動したのだが、どうもブログが不具合をおこしている。「ブログが見えない」「コメントできない」などの声がある。

思い切ってブログも変更することにした。前から使おうと思っていた”Nifty”のココログを使うことにした。

今後ともホームページとブログをよろしくお願いいたします。

2008年12月19日 (金)

朝大学に着いたら、研究室のドアのガラスに穴が空いていた。幅5センチくらいの穴で、ひびもはいっていた。ただ、この大きさの穴では手が内側のロックに届かなかったようで、鍵はあけられていなかったし、人が入った形跡もなかった。

と言うわけで私の研究室は無事だったが、学部内のいくつかの研究室のガラスが壊され侵入されてしまったようである。中には、机の引き出しが開けられたり、小銭を持って行かれたりした人もいる。そのあと警察が現場検証にやってきて、足跡をとったり、指紋をとったりで大変な日になった。

それにしても、大学に入ってくる賊の気持ちがわからない。大学の研究室に夜中に入っても現金なんかおいてない。せいぜい数千円の小銭があるくらいだ(実際に害はその程度だったようだ)。リスクの割に得る額はわずかである。もっとお金がある場所があるだろうに・・と思ってしまう私である。それとも、1000円でもすぐほしいくらい、食うや食わずの状態だったのだろうか。この時代である。そのようなこともあるかもしれない。

ただ、一番こわいのは、そのような夜中に学内にいて賊とはち合わせにることである。とくに今は修論や卒論の追い込みの時期で院生や学生がおそくまで大学に残っていることもある。十分に注意をさせなければならない。

2008年12月16日 (火)

中毒

中毒

なぜか、たばこがポケットの中にある。
2~3日前からたばこを吸い始めた。
今日は、3本も吸った。せっかくやめたのに。

いや、あれだけ吸っていたのにやめられたのだから、いつでもやめられる。
明日からやめればよい。

という夢を見た(夢でよかった)。たばこをやめて8年もたったのにこんな夢を見てしまう。
もちろんニコチンは体の中から消えている。それでも脳味噌がその味を覚えているということだ。たばこの害はいろいろ言われているが、一番の大きな害は、依存性にあると思う。つまりやめたくてもやめられない。やめようとまでいかなくても、やめなくてはいけないときに自分を律するのが難しい。

とくに私は中毒(正確には「依存症」)にかかりやすい性格をしている。
パソコン、ゲーム、将棋、活字、漫画、ランニング、コーヒー、アルコール、賭け事、○○○(不思議なことに音楽の練習中毒や仕事中毒にかかったことだけはない)。ただ、飽きっぽいところがあるので救われているのだが、アルコールとパソコンだけはどうしても飽きることができない。

アルコール中毒から脱するのはのはあきらめた。しかし、パソコン中毒だけは何とかしたい。パソコンの前にすわると(座らないわけにはいかない)ついつい、ネットサーフィンに時間を費やしたり、ゲームを数回やったりしてしまう。「ネット依存症が問題だ!」と言っているうちに自分がかかってしまった。大いなる時間の無駄使いだ。

だれか助けてくれ~!

2008年12月15日 (月)

討ち入り

討ち入り
昨日12月14日は、赤穂浪士の吉良邸への討ち入りの日(太陽暦では1月30日だが、そんなことはどうでもよい)。いまから306年前のことである。

この時期になると、テレビでもこの赤穂浪士の討ち入りにちなんだ番組が放映される。昨日は、テレビ朝日で田村正和主演の「忠臣蔵 音無しの剣」というドラマをやっていた。これはつまらないドラマだった。それ以上に主役の下手なこと。大根役者とはこういう人のことをいうのだろう(と言いながら最後まで観てしまった)。

もうひとつは、NHK教育で毎週木曜日に放送している「知るを楽しむ 歴史に好奇心」。12月は「ナナメ読み忠臣蔵」。江戸時代の研究者で多くの著書を出している山本博文氏が監修しているようだ。この番組のテキストを浅野家や浪士ゆかりの赤穂市にある高光寺住職の三好一行氏が送ってくださった。三好氏とは10年ほど前から懇意にさせていただいている。三好氏はこのテキストに「文久事件」という赤穂をめぐるもう一つのあだ討ち事件のことを書かれている。この文もとてもおもしろかった。私は勉強不足でこの話しはまったく知らなかった。 

さて、討ち入りの話しである。この討ち入りが義挙か暴挙かを今論じてもあまり意味がない(歴史を正しく認識することは必要だが、現在の視点で裁いても何の意味もない)。私がおもしろかったのは、第2回目の「手紙が語る愛のジレンマ」である。大石内蔵助をはじめとする浪士たちの、母、妻、妾に対する思い、そして母、妻、妾たちの思いを描いている(「妾とはけしからん」という人は、今の視点で歴史を裁く人である)。

例えば、大高源吾源五は江戸に下るにあたって母親に次のような意味の手紙を送っている。
「さすがに常々御覚悟なさっている母上様だけあって、私のことをあきらめなさって、嘆くどころかかえって心強い御勧めもいただいたことは、本当に現世での仕合わせ、来生での喜びで、何にも勝る励ましでございました」(上記テキスト,p36)

気丈な母親だったことがわかる。しかし、この源吾源五の母は、浪士切腹のあと内蔵助の妻りくに送った手紙に次のようなことを書いている。
「御手紙の通り、しだいにしだいに心ほそくは感じておりますが、いつも申しあげております通り、天下に名を残して死んだことを、息子をあきらめる力として、日々を送っております。もちろん、こうなることは最初からよくわかっておりましたが、一日中、息子のことを思い出しながら暮らしております」
「あの子は、若いといってもよほどの歳(吉田注・32歳)になります。わたくしは、若くしてなくなった主税様(内蔵助の長男)の事だけが、いつも残念でたまらず、御いたましく存じております」(同 p.38)
自分自身がつらいだろうが、さらに16歳の主税をなくしたりくの心を思いやっている。これはフィクションではなく現存している手紙である。これが涙なくして読めようか。

こちらは番組もテキストもよくできている。

2008年12月14日 (日)

雇用不安

突然の解雇、契約打ち切り、採用内定取り消し
景気の良いときは働かせるだけ働かせて儲かるだけ儲かり、不景気になると冷たい仕打ち。これが資本主義だと言ってしまえばそれまでだが、結局企業とはそういうものだ。

それはそれである意味では仕方ない面もあるのだが、そういう企業のトップがさまざまな審議会とか委員会を通じて教育問題にまで口を出して、競争原理を主張するのだけは我慢がならない。

それにしても深刻だ。私たちは先が短いのでいいのだが、派遣会社頼み、あるいは正式雇用にはなっているが安月給の子どもたちのことが心配である。

2008年12月 8日 (月)

忘年会

突然の解雇、契約打ち切り、採用内定取り消し
景気の良いときは働かせるだけ働かせて儲かるだけ儲かり、不景気になると冷たい仕打ち。これが資本主義だと言ってしまえばそれまでだが、結局企業とはそういうものだ。

それはそれである意味では仕方ない面もあるのだが、そういう企業のトップがさまざまな審議会とか委員会を通じて教育問題にまで口を出して、競争原理を主張するのだけは我慢がならない。

それにしても深刻だ。私たちは先が短いのでいいのだが、派遣会社頼み、あるいは正式雇用にはなっているが安月給の子どもたちのことが心配である。

2008年12月 5日 (金)

女々しい

カラオケでどこかのオヤジが「吾亦紅」という歌を歌っていた。
メロディーは何度もきいたような気がする(昨年の紅白歌合戦でも歌われたそうだが、そんなことは知らん)。カラオケの画面に出た「吾亦紅」という文字が気になった(今までこんな字とは知らんかった)ので、ついつい歌詞を追ってしまった。

何と女々しい歌だ。よくこんな女々しい歌をまじめな顔して歌えるもんだ(そのオヤジはこの歌をとうとうと歌っていた)。演歌には女々しい歌が多い。と言うより、男が歌おうが女が歌おうが、歌詞の話主は女である。だから演歌が女々しくなるのは仕方がない。

私もたまに演歌を歌う(実はカラオケはたいてい演歌)。しかし、あくまでもフィクションと割り切って歌う。女の気持ちにはなりきれないし、男が話主の場合でも歌の世界の出来事と割り切って歌う(「だからお前の歌はだめなのだ」と言うなら言え!)。それでもこの歌だけは、歌う気にならない。女々しすぎて気持ち悪くなる。

「女々しい」ということばは「女性蔑視」だとどこからか石つぶてが飛んできそうである。しかし他に言葉がない。それほど、歌詞もメロディーも歌い方もみんな女々しい。いやしくも団塊世代の男が歌ってはいかん!

2008年12月 4日 (木)

翼なんかいらない

授業で「翼をください」(山上路夫作詞・村井邦彦作詞)を大学生と歌った。この歌を知らない大学生はいないようだ。嫌いな曲ではないし子どもたちにも人気がある。しかしこの曲が教材になっていることに昔からどこかに違和感を感じてきた。もう30年以上も小中学生に歌われてきたが、もともとは「赤い鳥」というフォークグループが歌っていた曲である。

おとなが歌っているのはまだいいが、子どもが歌うとおかしい。願いごとは「翼がほしい」、そして「悲しみのない自由な空へ翼はためかせ行きたい」。もしそんな気持ちをいつも抱いている子どもがいたとすればその子は不幸である。子どもにそんな気持ちを味わわせてはいけない。

いや、子どもたちは自分自身はそうは思わなくても、そのような気持ちを抱いている人がいることを知って、その人々にシンパシーを感じているのだとも言えるかもしれない。しかし、子どもにそのようなシンパシーを感じさせてもいけない。絵空事ではなく、現実としっかり向き合って生きる子どもに育ってほしい。

などと考えてみたが、とりこし苦労のようだ。そもそも「悲しみのない自由な空へ」などという言葉の意味を本当に考えて歌っている人など、教師にも子どもにもいない。ちょっぴり甘ったれた歌詞とメロディーとコード進行に酔っているいるだけだ。それはそれでまた問題である。

この歌を聴いたり歌ったりすると、小中学校の音楽教育は、もう30年ほど何もかわっていないような気がする。小中学校で歌われている歌は、共通教材をのぞけばほとんどがこの「翼をください」調合唱曲である。子どもたちの精神も音楽的感覚も甘やかされている。

ついでに、私の精神も音楽的感覚も。こういう曲を教材にしているととても楽である。

2008年12月 1日 (月)

師走

師走だ!
だからどうした!

なんか、最近このブログが殺伐としてきたような・・・・

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