昨日12月14日は、赤穂浪士の吉良邸への討ち入りの日(太陽暦では1月30日だが、そんなことはどうでもよい)。いまから306年前のことである。
この時期になると、テレビでもこの赤穂浪士の討ち入りにちなんだ番組が放映される。昨日は、テレビ朝日で田村正和主演の
「忠臣蔵 音無しの剣」というドラマをやっていた。これはつまらないドラマだった。それ以上に主役の下手なこと。大根役者とはこういう人のことをいうのだろう(と言いながら最後まで観てしまった)。
もうひとつは、NHK教育で毎週木曜日に放送している
「知るを楽しむ 歴史に好奇心」。12月は「ナナメ読み忠臣蔵」。江戸時代の研究者で多くの著書を出している山本博文氏が監修しているようだ。この番組のテキストを浅野家や浪士ゆかりの赤穂市にある高光寺住職の三好一行氏が送ってくださった。三好氏とは10年ほど前から懇意にさせていただいている。三好氏はこのテキストに「文久事件」という赤穂をめぐるもう一つのあだ討ち事件のことを書かれている。この文もとてもおもしろかった。私は勉強不足でこの話しはまったく知らなかった。
さて、討ち入りの話しである。この討ち入りが義挙か暴挙かを今論じてもあまり意味がない(歴史を正しく認識することは必要だが、現在の視点で裁いても何の意味もない)。私がおもしろかったのは、第2回目の「手紙が語る愛のジレンマ」である。大石内蔵助をはじめとする浪士たちの、母、妻、妾に対する思い、そして母、妻、妾たちの思いを描いている(「妾とはけしからん」という人は、今の視点で歴史を裁く人である)。
例えば、大高
源吾源五は江戸に下るにあたって母親に次のような意味の手紙を送っている。
「さすがに常々御覚悟なさっている母上様だけあって、私のことをあきらめなさって、嘆くどころかかえって心強い御勧めもいただいたことは、本当に現世での仕合わせ、来生での喜びで、何にも勝る励ましでございました」(上記テキスト,p36)
気丈な母親だったことがわかる。しかし、この
源吾源五の母は、浪士切腹のあと内蔵助の妻りくに送った手紙に次のようなことを書いている。
「御手紙の通り、しだいにしだいに心ほそくは感じておりますが、いつも申しあげております通り、天下に名を残して死んだことを、息子をあきらめる力として、日々を送っております。もちろん、こうなることは最初からよくわかっておりましたが、一日中、息子のことを思い出しながら暮らしております」
「あの子は、若いといってもよほどの歳(吉田注・32歳)になります。わたくしは、若くしてなくなった主税様(内蔵助の長男)の事だけが、いつも残念でたまらず、御いたましく存じております」(同 p.38)
自分自身がつらいだろうが、さらに16歳の主税をなくしたりくの心を思いやっている。これはフィクションではなく現存している手紙である。これが涙なくして読めようか。
こちらは番組もテキストもよくできている。
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