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2009年1月の投稿

2009年1月31日 (土)

薬物汚染

大相撲の若麒麟が大麻を吸って逮捕された。大相撲の不祥事のように騒がれているが、大相撲を批判してすむ問題ではではない。あれだけ管理の厳しい大相撲の世界でさえ、このようなことが起きたのだから、大麻汚染が生活の中に相当広がっていると捉えるべきなのだ。

大学生にも浸透していることは先日ニュースになったとおりである。これが、中高生や子どもまで広がるようなら日本はおしまいである。私は、相当に深刻な問題だと考えている。文部科学省はすぐに手を打つ必要がある。

2009年1月30日 (金)

音楽ソフト

ゼミのI君が、最近の「音楽ソフト」と「音楽配信」の販売の状況について報告してくれた。音楽ソフトの売れ行きが落ち、音楽配信が増加しているという報告だったのだが、それは推測できたことだ。「音楽ソフト」とはCDやビデオ、「音楽配信」とはインターネットを通して音楽を有料で配信することである。

この「音楽ソフト」といういい方には違和感がある。私たちの中学生・高校生の頃には、音楽と言えばレコード(「アナログ」という言葉もなかった)で、45回転のドーナツ盤(EP)、33回転のLP盤だった。ドーナツ盤がだいたい400円、LP盤が2000円というのが標準的な価格であり、LPは県立高校や国立大学の1ヶ月の授業料(年間で12,000円)よりも高かった。おまけにレコードは聴くたびにすりへっていった。だから何度も聴くのがこわかった。「今日は1度だけにしておこう」と、聴き惜しみをすることもあった。とても大切に扱った。

この時代は、レコードはモノであったのだ。音楽を買うとはレコードというモノを買うことだったのである。つまりレコードという形をした「ハード」を買うことだったのだ。それから20年ほどして、CDの時代がやってきた。最初のうちはCDはレコードに代わるものとして、レコードと同じように扱われてきたが、コンピュータやインターネットの普及によって、CDは単なるメディアの一つすぎなくなった。素人でも簡単にCD録音ができてしまうようになった。こうなると、モノとしてのCDには何の価値もなくなってきた。CDではなく中に入っている音楽情報、つまりソフトにしか価値がなくなったのだ。だから「音楽ソフト」なのである。

しかし、考えてみると、「音楽ソフト」という言い方はむしろ音楽配信に使うほうがあっている。音楽配信は形のある固いもの(ハード)は何も使用せずに音楽を提供するからである。そしてCDやビデオの中に録音されている音楽はソフトだが、CDやビデオそのものはハードである。CDやビデオと音楽配信の違いは音楽というソフトを提供するメディアの違いに過ぎないのである。

いずれにしても、モノ(ハード)としてとしてCDやビデオの価値は下がる一方である。それだけならまだよいとしても、その陰でソフトとしての音楽の価値も下がり、それに伴って音楽家の価値さえも下がっているのではないか。私は危機ではないかと感じているのである。

お知らせ
○○の相手はしません。○○のコメント防止のため、コメントの敷居を少し高くします。

○○以外の方には少し不自由をおかけしますが、ご了承ください。

2009年1月28日 (水)

エコ vs アンチ・エコ

青森県では、2月2日から大手スーパーがレジ袋を有料化する。すでに、大学生協の各売店では、書籍を含めいっさいの商品に対して袋をつけないので、その不便さは経験している。

有料化するのは、それでレジ袋を削減し環境保全しようということなのだが、これが環境保全に本当に役に立つかどうかは非常に疑わしいと私は思っている。

レジ袋は石油のうちでも、燃料として使う部分の残りを使ってつくるので削減する意味はない。むしろそのかわりにエコバッグをつくるほうがよほど資源の無駄遣いだとする説もある(例えば、武田邦彦『偽善エコロジー―「環境生活」が地球を破壊する』 (幻冬舎新書・2008年)。私は、このようないわゆる「アンチ・エコ」の主張をそのまま鵜呑みにして「アンチ・エコ」宣言するほどの勇気を持ち合わせてはいない。しかし、このレジ袋の有料化は胡散臭い。本当に環境保全なら、駐車場をやめたらよい。近所のスーパーに自家用車に乗って買い物に行くほうがよほど資源の無駄遣いだと思う。もちろん、レジで有料の袋を買うのはアホらしいから私もエコバッグを使う。しかしそれはあくまでも経済的な理由からである。

ほかにも、エコ、エコと言って怪しいことはたくさんある。例えば、自己満足でMy箸を使うのは良いのだがそれを他人に押しつける人がいる。塗り箸を使えばそれを洗剤と水を使って洗う。どちらが環境にやさしいのか、きちんとしたデータがあるのか。

大学で使用している紙はすべて再生紙である。再生紙は値段が高い。それでも環境保全のためにということで無理をして再生紙を使っているのである。しかし値段が高いということはそれだけ生産コストがかかっているということだし、その生産コストの中には当然燃料費が含まれているはずだ。それは環境破壊にならないのか。私のような素人でもこのくらいの疑問はもつ。

弘前市では、以前は焼却できるゴミとプラスチックは分別しなければならなかったのだが、2008年度から分別しなくてもよくなった。プラスチックを分別して燃やせば燃料費がかかるからだ(「もともと市は分別処理などしていなかった。つまり市民をだましていた」と言う人もいるが、私は確認していない)。燃料を使うこととプラスチックを一般ゴミといっしょに燃やすことはどちらが環境破壊になるかはわからない。しかし、分別すれば環境が守れるというほど単純なものではないことを教えている。

私は「環境」「環境」と言う人をあまり信用していないのだが(個人的な理由もある)、かりにレジ袋の有料化やマイ箸の利用やリサイクルが実際に環境保全に有効であったとしても、その分、時間と労力がかかる。ゆとりのある人はよいが、そうでない人には大きな負担になる。その時間と労力を取り戻すために、結局石油エネルギーを使用するのでは何にもならない。

環境問題については、データにもとづいた冷静な議論が必要だと思うのだが、現状では危機感ばかり煽られている。私のようなひねくれ者は、ついつい反発したくなる。という私はあまり冷静じゃない。

2009年1月27日 (火)

生誕100年

太宰治生誕100周年だそうである。北津軽郡金木村(現五所川原市)の出身で、旧制弘前高校を卒業しているので弘前大学とも縁がある。こちらでは、100周年を記念するイベントや展示会が開かれている。

ただ、私は太宰には興味がない。というより好きではない。なぜかと言われてもこまるが、太宰の本を読んでも少しもおもしろくないのだ。中学生の時に、教科書に出ていた「走れメロス」を読んだが、別に何も感動もしなかった。大学生の時代にいくつか読んだが、内容もあまり覚えてない。太宰の作品に共感できる感性は私にはない。

生誕100周年と言えば、もう一人松本清張である。太宰は私が生まれる前にもう死んでしまった(1948年)が、こちらはついこの間(1992年)まで生きていたので、はるかに太宰よりもあとの人のような気がするが、太宰と松本清張は同い年なのである。そしてもっとすごいのは、清張の処女作「西郷札」は太宰の死んだあとに書かれたということだ。

清張の作品は、学生時代に「点と線」を読んで以来、どれだけの読んだのか自分でも数え切れない。推理小説だけでなく、歴史小説や、エッセイ、ノンフィクションなども数多く、読むことが自分の勉強になった。

ただ、これまでに買った清張の本も引っ越しのたびに処分したり、紛失したりしてしまったため、あまり残っていない。太宰に比べると莫大な数があるので大変かもしれないが、もう一度集め直しておこうかとも思っている。自分の人生も残り少ないので、意味がないかもしれないが・・・・

2009年1月26日 (月)

大相撲終わってみれば・・・

・・・・は、「朝青龍」でもよい。「モンゴル勢」でもよい。十両優勝もモンゴル出身力士なのだから。次の横綱もモンゴル、次の次もモンゴル、モンゴルでなければエストニア、もしくはブルガリア・・・。

大相撲の話題はこのブログではおしまい。

2009年1月23日 (金)

津軽地方 本日は雨

「本日は雨」を見てほとんどの人は「それがどうした!」と思ったに違いない。

しかし、津軽地方ではこの時期に「雨」などは珍しいことなのである。たいていは雪なのである。地上が1~2度なら天上は零下になるので、たいていは雪が降る。だから天気予報で「降水確率」と言えば、雪が降る確率なのである。しかし今日は雨なのである。最高気温は8度くらいまであがるそうで3月下旬なみの季候だそうである。

雪が少ないと、私たちはありがたいのだが、こちらにはそれが大変な人がたくさんいる。タクシーの運転手さんは客が少ないと嘆いていた。除雪の業者も今年は不景気な上に仕事がない。りんごなどの農作物も影響を受ける。2月の10日前後には弘前城で雪灯籠祭りがあるが雪が足りない。暖冬だと桜の開花が早すぎて(GWに咲いてほしい)観光産業が打撃を受けるだけでなく、あまり美しい桜が咲かない。子どもたちは校庭でスキーができない(校庭でスキーをする姿はこちらに来てはじめて見た)。

少々厳しくても、冬は冬らしいほうがよいのだ。

津軽で8回目の冬だが、毎冬の雪の量を5段階であらわすと次の通り。
あくまでも私の感覚である。

01-02  3
02-03  4
03-04  3
04-05  5
05-06  5
06-07  2
07-08  2
08-09  1

2009年1月22日 (木)

携帯原則禁止

文部科学省が小中学校へ携帯電話持ち込み禁止へ

文部科学省は21日、小中学校への児童・生徒の携帯電話の持ち込みを原則として禁止する通知を、月内にも各学校に出す方針を固めた。

同省は昨年7月、全国の公立の小中高校に携帯電話の取り扱いに関する指針を明確化するよう通知し、これに対する各校の対応を今月23日までに報告するよう都道府県などの教育委員会に求めている。

各校からはすでに、「持ち込みの一律禁止」「原則禁止とするが、家庭からの申請により機能限定の機種に限って認める」「持ち込みは認めるが、校内での使用を禁止」などの対応が報告されている。同省は報告を通じて現場の実態を把握したうえで、具体的な規制のあり方を決める予定だ。

塩谷文科相は20日の記者会見で、「過去にも(携帯電話を使った)いじめが多発している点を踏まえ、国としての方向性が必要だ。ただ、家庭で携帯電話を持つ個人の権利まで制限するのは難しい」と述べた。

政府の「教育再生懇談会」(安西祐一郎座長)は昨年12月、小中学校への携帯電話の持ち込みを原則禁止する提言の素案をまとめており、来月初めにも麻生首相に提出することにしている。大阪府が府内の公立小中学校への携帯電話持ち込みを禁止するなど、都道府県や市町村がすでに独自の対応をとっているケースもある。(1月22日 読売新聞)

賛成である。小学生に携帯が必要な特別な事情などあるわけない(大人だって本当はどこにもない)。本当に必要なら個別に申請すればよいだけだ。「塾に通っているので」などと言って反対する親がいるが、塾通いはまったくの私事である。私事にあわせて学校の規則をかえる必要はない。

ついでだが、大学も禁止したらよい。あるから私も連絡に使うし、学生からかかってくることもあるが、ほんとうにないならないですむ。だれかに連絡をつけたい場合、携帯にたよらなくてもなんとかすればつく。それに本当に一瞬を争わなければならないような重大時は、一生に一度か二度あるかないかである。あまりにも携帯に頼りすぎる。

お前はどうなんだと言われそうだ。実は携帯をやめようかと思っているのだ。いや、やめたら生活がどうかわるのか。ためしてみたいという気持ちがある。

一昨日の「横綱審議会」という記事が、ココログニュースで紹介された。趣旨が違うような気もするが、まあよしとするか。
まるしんさんがそのことを知らせてくれた。アクセスが急に増えた。
ついでにアダルトサイトからコメントをつけられた。すぐに削除したが・・・・

2009年1月21日 (水)

オバマ大統領誕生

オバマ大統領が誕生した。

大統領が黒人になっても、政権が共和党から民主党になっても、アメリカはアメリカである。体制の中での変化であって、政策そのものが劇的に変わるわけではない。オバマ大統領自身が言うように、アメリカ自身が大きな困難をかかえている。

日米安全保障関係では、ヒラリーが言うように何も変わらないだろう。経済回復にしても、まずはアメリカ優先であろう。対日本経済では、過去の例で言えば民主党政権のほうがむしろ厳しいことを要求してきた。オバマ政権もその可能性が高い。日本政府がどう対応するかのほうが重要である(今の麻生政権が太刀打ちできるのだろうか)。

それでも、何か良いことが起こりそうな予感を起こさせる就任演説だった。

なぜ男性も女性も子供たちも、どのような人種、宗教の人々も、こうして就任式に集まることができるのか。なぜ約60年前は地方のレストランで差別された父親の息子が、こうして皆さんの前で宣誓式に臨むことができるのか。これこそが、我々の自由、我々の信条の意味なのだ。 http://mainichi.jp/select/world/obama/speech/news/20090121k0000m030178000c.html

オバマ政権からは目が離せない。

2009年1月20日 (火)

横綱審議会

大相撲は、気がつけば横綱の白鵬と朝青龍が9連勝。そして多くのファンは朝青龍の優勝を期待しているようである。あれだけ朝青龍批判をしていたマスコミも、擁護の姿勢に傾いて来た。土俵上の態度の悪さもなんのそのである。

この朝青龍人気。理由の一つは横綱審議会批判ではないか。「初場所休場なら引退勧告」だとか、「○勝できなければ引退だ」というような明らかに越権行為と言えるような委員の発言がむしろ反発を招いたのではないか(私自身が反発を感じている)。

そしてやたらと「品格」「品格」を繰り返す委員がいるが、自分たちは品格はどうなのか。今の委員長をしているE氏は、NHKの会長を不祥事で辞任した人ではなかったのか。「女は土俵にあがってはいけない」と主張する一方で、男の土俵にさかんに口をだすU委員には品格があるのか。

おそらくファンは朝青龍が全勝優勝して、次のようなあいさつするのを期待しているのではないか。
「横審の皆様、ご期待に応えられなくてごめんなさい」

しかし、実際の所はそれほどうまく行くものではないだろう。大相撲はそれほど甘いものではないだろうし、そんなに甘いものなら大相撲はもうおしまいである。

2009年1月19日 (月)

偶然

昨日は東京にいた。

電車から降りようとして、前に座っている人の顔を見て驚いた。息子だった。お互いに読書に夢中になっていて気がつかなかったのだ。

この偶然は一体どのくらいの確率だろうか。
電車に乗って向かいの人が息子である確率を単純計算すれば、日本の人口が1億人として1億分の1。実際には電車などに乗らない人もたくさんいるし、息子は首都圏に住んでいるのだから確率はもっと高くて1千万分の1くらいか。これを電車の中の近くにいた人(10人くらい)とすると100万分の1。東京で電車には1年間に100回くらいは乗るから1万分の1。近くの人は一駅で10人くらいは入れ替わるので10駅分くらい乗れば、100分の1。条件を息子ではなく、ごく親しい人まで広げればその10倍で10分の1。

意外なところで意外な人に出会うことは結構ある。電車だけでも1年間におこる確率は10分の1位だから、「駅であった」「公園であった」「街で会った」「スーパーで会った」「飲み屋で会った」「・・・・で会った」なども含めると確率はもっと高い。実感から言えば、1年に1度くらいはそのようなことがある。

逆に言えば、自分の行動はいつ誰に目撃されているか、分かったものではないということだ。生活空間が狭くなれば狭くなるほど、その確率は高くなる。

弘前のように17万人くらいの都市では、いつ何をしても目撃されていると思ったほうがよい。気をつけなくっちゃね!

2009年1月17日 (土)

大学教授殺害事件

中央大学教授殺害事件。大学関係者にとっては大変な事件だ。
とてもよい先生だったし、人に恨まれるような人ではないらしい。私のように、よい先生でもないし、人に恨まれるようなことをたくさんしている人間はどうなるだろう。

ただ、このような事件が起きたからといって、大学の警備を厳しくしていくことには反対である。大学は、学生のためにあるのではない。もちろんの教職員のためにあるものでもない。国や企業のためにあるのでもない。大学は国民のためにある。だから、大学はもっと一般の市民との接点をひろげるべきである。その意味では、物理的にも大学は門戸を広げておくべきだ。

被害者の先生には気の毒だが、こういった事件は特殊な事件である。特殊な事件のために大学のあり方まで変わってしまっては困る。

2009年1月16日 (金)

おやじの音楽事典

明日からセンター試験である。それで、大学は準備のために休講。入構制限もある。教育学部教員は今年は非番なので監督などの業務もない。私は、また上京する。

昨日学生と話しをしていたら、サイト内の「おやじの音楽事典」のファンという学生がいることをきいた。ありがとう! 

http://yoshidatakashi.my.coocan.jp/dictionary.html

まあ、自分でいうのも何だが、恥ずかしいほどあほらしい事典である。この事典をみた人の反応はだいたい次の五通りである。

1 心から笑ってくれる人
2 無視を決め込む人(私と同種の人間だと思われたくない人。私を嫌いな人)
3 さげすむ人(あまりにもばかばかしいので)
4 眉をひそめる人(下ネタがあるので)
5 無反応な人(ギャグの意味がまったく理解できない人)

ファンがいると聞いて、更新してみようかとも思っている。ネタは山(くだらないが)ほどある。

2009年1月14日 (水)

CT(続き)

8日に書いたCT検査の結果が出た。何の異常も見られないということだ。実は、健康診断書には「胸部に異常陰影あり」と書かれていたのだ。「異常陰影」などと書かれるとそりゃあ、私でなくてもびびるわい。。

精密検査を指示されたのは3つ。これで2つはまったく異常なし。残りの一つはこれからである。昨日そのことで医者から指示があったのだが、そのことをめぐってちょっとした行き違い(私は病院側の説明不足と思うのだが)で言い争いになり、私はもう少しで切れそう(大声でどなる)になった。モンスター・ペーシェントになるところだった。


ひねくれ教育事典 【せ】

せいぎ(正義) 当たり前のことだが(実はこの年になってやっとわかってきたことなのだが)、「正義」と「悪」の基準は人によって違う。自分から見てどんなに卑怯で邪悪な行為であっても、やっている本人から見ればそれは正義なのである。極端な場合、法に反するような行為、あるいは世の中の99.99999999%の人が悪と判断する行為でも、本人にっとっては正義なのである。だからこそ戦争(国家の正義)もなくならないし、凶悪犯罪(犯罪者の正義)、不当解雇(企業の正義)、いじめ(いじめっ子の正義)もなくならないのだ。正義はかえって残酷な結果を生み出すことさえある。

かつて、周囲に「正義感のかたまり」と言われ、自らもそのように自覚していた青年がいた。だからこの青年は他人の行為を徹底的に批判した。そして自分が少しでも批判されるとムキになって反論した。他人を批判する時は理路整然としているのに、自分への批判に対する反論は感情的で支離滅裂だった。しかし年齢を重ねるにつれて、この青年もだんだん自分の正義を疑うようになってきた。そのうち「自分は悪人かも知れない」とまで思うようになった。今では「オレは悪人だ」とはっきり自覚しているそうだ。そして「これがオトナになることなのだ」とすっかり悟りの境地を開いているそうである。

2009年1月12日 (月)

娘にしたい

昨日は東京で仕事のあと、別のところで飲んだ。その時に、昨年3月に大学を出て、東京で働いている娘さんと話した。有名国立大学の出身らしいが、雰囲気はごく普通のお嬢さんという感じである。

きちんとした自分の生き方、考え方を持っている。学生言葉、若者言葉ではなくて、きちんとした話し方で自分の意見を言うことができる。まあ、1年間社会人をしているのだから当然と言えば当然なのかもしれないのだが。いい気分で帰った。(娘にしたいなあ)。

ひねくれ教育事典 【す】

すいちょくしこう・すいへいしこう(垂直思考・水平思考) (1)物事を時間的な関係性において捉えようとするのが垂直思考、空間的な関係性において捉えようとするのが水平思考 (2)物事について直立したまま考えるのが垂直思考、寝転がって考えるのが水平思考。私はもちろん水平思考が好きである。水平思考だけでなく、水平読書、水平テレビ視聴、水平飲酒・・・みんな大好きである。ただし、寝転がってるのならよいのだが、いつのまにか寝てしまうのが難点である。水平テレビ視聴をしていると子どもたちによく言われたものである。
「お父さん、寝てたでしょう」
もちろん私はむきになって否定した。
「寝てなんかないぞ!」
なぜ、こんな時むきになって否定したのか、自分でも未だに理由がわからない。
♪なんでだろう♪

2009年1月11日 (日)

卒論

昨日から東京に来ている。搭乗直前に学部の若い同僚と会った。同じ飛行機だった。

学生の卒論の締め切り(20日)が近い。それで、飛行機に乗っている間に卒論の下書きをチェックした。天候が悪くて揺れがひどかった。その上ずっと文字を見ていたせいか、降りる頃に気分が悪くなった。

飛行機を降りる時にまた、その同僚と出会った。

同僚「揺れましたね。今日は」
私「ずっと卒論チェックしていたので、揺れで気分が悪くなってしまいましたよ」
同僚「それは卒論の中身のせいじゃありませんか?」
私「確かに!」
なかなかきつい人だ。

ひねくれ教育事典 【し】

し(死) 死というのは、実は子どもにとって非常に恐ろしいものである。私は、5歳くらいに祖母の死によって、はじめて死を意識した。人間がいつかは死ぬことを知った。それ以来、死がいつも頭から離れられないようになった。老人を見ていて、もう死が近いのによくあんなに平然としていられるなあと思った。家の宗教はキリスト教だったので、「天国」という言葉を聞いて少し自分をごまかせたが、ごまかしきれはしなかった。天国に行くのは、らくだが針の穴を通るより大変なことなのだから。
しかしおとなになってから、ごまかす方法を覚えた。「死を考えるよりも、人生をどう生きるか。これが大切なのだ」。少しも解決にはなっていないのだが、それによって死を忘れることができる。これがおとなのずるさというものか。
ある哲学者がおとになっても死を考え続けることができれば哲学者になれるというような趣旨のことを言っていた。私は素質がなかったのだ。

2009年1月10日 (土)

ひねくれ教育事典

Nomisugita

年末に健康診断をして、精密検査を3つ指示された。一つは、先日書いたCTである。別の一つが昨日終わった。実はこれは「下」のほうの検査だが、何ともなかった。いったい健康診断の結果は何だったのだろう。

ちょっと強気になって、控えていた酒をかなり飲んでしまった。

さて、突然だが、ブログに変えてから休んでいた、ひねくれ教育事典を復活する。4巡目の【こ】あたり止まっていたので、【さ】から復活である。これまで書きためた項目は、ホームページにある。
http://yoshidatakashi.my.coocan.jp/hinekure.html

ひねくれ教育事典 【さ】
さくぶん(さくぶん)
 日本には戦前から「生活綴り方」という作文教育の伝統がある。戦後も無着成恭著『やまびこ学校』などのが生まれ、1950年代に全国的な運動になった。しかし、私はこの日本の作文教育の伝統の恩恵をまったく受けることがなかった。全国的な運動中に小学校に入学したので、やたらに作文を書かされたのはよく覚えている。しかし、少しもおもしろくなかったかったし、「つまらない」とけなされてばかりいた。次のような文章しか書けなかったのだ。

  えんそく     よしだ たかし
 ぼくはきょお、えんそくにいきました。
 おひるにおべんとおをたべた。
 そのあとみんなであそびました。
 とてもたのしかったです。
 かえりのしゅうごうじかんにおくれました。
 せんせえからおこられて、とてもかなしかったです。

実は、作文指導にもしっかり方法論があって、その方法論を私の担任の先生たちが学んでなかったのではないかと思うのである。これは、教育研究というのをはじめるようになって、すぐれた作文教育の実践をしている先生と出会って気がついたことである。

「作文」にはもう一つの意味がある。公的な報告書などをつくるときに、報告すべき内容がないときにてきとうに文書を創作して報告することを「作文」と言う。大学が評価機関に上げる自己評価書、小中高等学校が教育委員会にあげる報告書、教育委員会が文部科学省にあげる報告書、かなりの部分が作文である。とにかく、その中身よりも形にあるものにして残すことを重視するので「作文」が横行することになる。

また、首相や閣僚が国会で答弁するための原稿は、官僚や秘書の作文である。自分で心をこめて書いた文ではないので、漢字を読み間違えることがよくある。

2009年1月 9日 (金)

無題

ある大学のホームページを見たら、私の名前が出ていた。http://www.kwansei.ac.jp/education/index.html
昨年末から出ていたようなのだが、まったく知らなかった。
これで、世の中にも知られることになった。

と言うわけで、4月から新しい場所での生活がはじまる。
しかし、その前にすませなければならない仕事が山ほどある。

2009年1月 8日 (木)

定額給付金

昨年のある酒席での話

Aさん「吉田先生は、麻生首相と同郷だそうですね」
私「そうなんですよ。福岡の筑豊でね。麻生太郎は飯塚だけど、私は直方」
Bさん「そうなんですか。何かご関係でもあるんですか」
私「関係も何も。麻生太郎とはいとこ同士なんですよ。私の父の姉が太郎の母でね。祖父が茂なんですよ」
Aさん「ヘエー、そうだったんですか」

・・・そして後日・・昼食時に・・・

先述の話の中にいたCさん「吉田先生、給付金はいつ出るんですか。先生のいとこの麻生さんはどう言っていましたか?」
私「この間太郎あにに電話したらね、『野党がうるさくってね。大変なんだよ』とぼやいてましたよ。その時にね『揚げ足とられないように、原稿読む前にちゃんと漢字にふりが打っとけ』と言ってやりましたよ。」

もちろん、私がほんとうにいとこだったら、「給付金なんかやめろ。パチンコ屋が儲かるだけだ」と言うだろうが。

2009年1月 7日 (水)

CT

昨日はじめて、CTによる検査というものを受けた。

X線撮影をしたときに肺に陰影があるので精密検査としてCTで撮影すると言うことだ。CTというのは、対象物を輪切りにしてその断面を撮るらしいのだが、実際に機械の中に体を突っ込むと、本当に上から刃が出てきて輪切りにされるのではないかなどと想像してなかなか恐かった。

しかし、やっぱり検査の結果のほうが恐い。来週はじめに結果を聞きに行く予定である。
Ct_2

2009年1月 5日 (月)

授業開始

今日から後期の授業が再開である。
本来なら、北国だから冬休みがもう少し長くてもよいのだが、ハッピー・マンデーとかで月曜日の回数が少ないので、今日からはじめざるを得ないらしい。

しかし、別に1期に必ず15回授業をしなければよいならないいとうものではないだろう。
回数が少なければそれはそれなりに工夫をする。学生によっては時間がかかる場合もあるし、少ない回数にすむ場合もある。必ず15回というのは、形式主義もいいところである。こんなことやっていると、学生は出席さえすれば単位がもらえると思うようになってくる。

別の学部の話だが、「授業を早く終わる教員がいる(授業時間が短い)」とか言って、そのような教員を摘発することを生き甲斐にしている人もいるらしい(私は、時間通りにはじめてはやめに終わる主義である)。どこかに書いてあったが、授業が終わっても教室に残って学生の質問を受け付けたりするのを自慢している人がいた。その教室で次の授業をする人間から言えば、迷惑千万である。

この大学にはびこる形式主義はなんとかならないか。
どこの大学に行っても同じなのだろうか。

2009年1月 4日 (日)

己丑(つちのとうし)

今年の干支は己丑である。己(つちのと)は十干の6番目。

ちなみに、十干とは木、火、土、金、水のそれぞれの兄弟で、甲(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)、丁(ひのと)、戊(つちのえ)、己(つちのと)、庚(かのえ)、辛(かのと)、壬(みずのえ)、癸(みずのと)。これを十二支と、甲子(きのえね)、乙丑(きのえうし)のように組み合わせる。10と12の最小公倍数は60だから、同じ組み合わせが60年に1度回ってくる。干支が一回りして60歳になった人が還暦である。今年は己丑年生まれの人が還暦を迎える。

来年は・・・・庚寅(かのえとら)。
ヒェーーーーーー!

と言うことは忘れて・・・

私のホームページの左上には、その年の十二支にちなんだ言葉を入れている。
昨年は「窮鼠猫を噛む」、一昨年は「猪突猛進」、その前は「犬も歩けば棒に当たる」(ウソ。この時はなかった)。今年は、躊躇なく「鈍牛」である。

粘り強く進んで行こうと思う。

2009年1月 2日 (金)

お正月番組

テレビの正月番組、少しもおもしろくない。

バラエティ番組ばかりでつまらない。
歌手が出てきて歌を歌っているのならよい。お笑い芸人がお笑いやっているのならよい。スポーツ選手がスポーツやってるのならよい。しかし、この人たちが、ゲームやったりして自分たちだけで遊んで楽しんで、それを見せられるほど腹立つものはない。

歌手は歌っておけばよい。
お笑い芸人はお笑いやっとけばよい。
スポーツ選手はトレーニングでもせい。
 昨年成績悪かった選手! テレビに出ている場合じゃないだろう。 

ここまで書いたら、天から声が聞こえてきた。
「研究者は自分の研究まじめにやれ! 締め切りの迫った原稿書け!」

 返す言葉がない。・・・と言うわけでいまから仕事にかかる。

 

2009年1月 1日 (木)

新年おめでとうございます

本年もよろしくお願いもうしあげます。

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