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2009年1月11日 (日)

卒論

昨日から東京に来ている。搭乗直前に学部の若い同僚と会った。同じ飛行機だった。

学生の卒論の締め切り(20日)が近い。それで、飛行機に乗っている間に卒論の下書きをチェックした。天候が悪くて揺れがひどかった。その上ずっと文字を見ていたせいか、降りる頃に気分が悪くなった。

飛行機を降りる時にまた、その同僚と出会った。

同僚「揺れましたね。今日は」
私「ずっと卒論チェックしていたので、揺れで気分が悪くなってしまいましたよ」
同僚「それは卒論の中身のせいじゃありませんか?」
私「確かに!」
なかなかきつい人だ。

ひねくれ教育事典 【し】

し(死) 死というのは、実は子どもにとって非常に恐ろしいものである。私は、5歳くらいに祖母の死によって、はじめて死を意識した。人間がいつかは死ぬことを知った。それ以来、死がいつも頭から離れられないようになった。老人を見ていて、もう死が近いのによくあんなに平然としていられるなあと思った。家の宗教はキリスト教だったので、「天国」という言葉を聞いて少し自分をごまかせたが、ごまかしきれはしなかった。天国に行くのは、らくだが針の穴を通るより大変なことなのだから。
しかしおとなになってから、ごまかす方法を覚えた。「死を考えるよりも、人生をどう生きるか。これが大切なのだ」。少しも解決にはなっていないのだが、それによって死を忘れることができる。これがおとなのずるさというものか。
ある哲学者がおとになっても死を考え続けることができれば哲学者になれるというような趣旨のことを言っていた。私は素質がなかったのだ。

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