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松山事件

昨日の読売新聞朝刊に小さく出ていた記事である。

宮城県松山町(現大崎市)で一家4人が殺された「松山事件」で再審無罪となった斎藤幸夫さん(2006年7月死去)の無実を訴え続けた母、斎藤ヒデさんが昨年12月24日、老衰で死去していたことが分かった。

101歳だった。再審を担当した弁護団が明らかにした。

1955年10月、農家が全焼し、焼け跡から一家4人の遺体が見つかった事件で、ヒデさんの次男幸夫さんは強盗殺人、放火容疑で逮捕され、60年に最高裁で死刑が確定した。

その後、79年に仙台地裁が再審開始を決定し、84年に無罪判決を宣告、確定した。

ヒデさんは、最高裁での死刑確定後に刑の執行が迫ったとみられると、植木庚子郎法相(当時)に「息子を生きたまま返して」と直訴。さらに15年以上にわたり、再審開始を求める署名活動を全国で続けた。

弁護団の青木正芳弁護士によると、ヒデさんは、数年前から入所していた大崎市内の特別養護老人ホームで亡くなった。

私は、若い頃にこの斎藤ヒデさんを見かけたことがる。1970年頃だと思うが、広島で行われた原水爆禁止世界大会の会場の入り口で「松山事件」と書かれたノボリを掲げて署名を集めていた。その後も別の場所で2~3度見かけた。その時は支援者もなく、たった一人でチラシを配りながら署名を集めていた。今考えると当時すでに60歳を越えていたようである。小さな体で懸命に息子の無実を訴えているのが印象に残っている。

その後84年に無罪判決が出たときにそのこのお母さんの姿をテレビで見て、本当に良かったなあと思った。それからまた15年、幸夫さんが亡くなったことも知らなかった。ほとんど忘れていたのだが、この記事によって署名を集めていたヒデさんの姿を思い出した。

昭和20年代から30年代にかけて、日本では数々のえん罪事件がおきている。八海事件や仁保事件のように最高裁で無罪になったものも事件もあるが、免田事件や財田川事件やこの事件は、一度死刑が確定して再審によって無罪の判決が出たものもある。もし再審がなければ取り返しのつかないことになっていたのである。いや、取り返しのつかないことになっていたことすら明らかになっていなかったかもしれない。

私は、「死刑廃止」論者ではない。しかし、その適用や執行は慎重であるべきだ。とくに最近は判決が世論の動向の影響を受けているように思う。少し危険な兆候である。また裁判員制度もはじまる。これらの一連のえん罪事件の教訓を生かさなければならない。

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コメント

そんな重い話題ではありませんが・・・

映画「それでも私はやってない」を見て、日本の司法は危ないと思いました。
基本は「疑わしきは罰せず」だと思うのですが・・・。

検察は犯罪人を出す(作る)のが仕事。
裁判官が「無罪」を出すということは、検察の仕事に対して「ノー」ということ。
当たり障りの無いように「有罪」にしておこうと・・・。

投稿: ebakos | 2009年2月 2日 (月) 19時57分

エバコスさん。
松山事件の場合、警察は示談が成立しているような争いごとを蒸し返して別件逮捕して斎藤さんを犯人にしたてあげました。一般の人は、自分はきちんとした生活をしているので、人から疑われるようなことはないと思っているのでしょう。しかし、映画「それでも私はやってない」(私は観ていない)は、一般の人でも突然犯人にしたてあげられることがあるということを教えているようですね。

投稿: 家主 | 2009年2月 3日 (火) 05時50分

「斎藤さんを犯人にしたてあげました。」=「犯人を作る」ということで、同じことを言っているのだと思います。
このことも多少気になることではあるのですが・・・。
「無罪」判決をするってことが、検察の仕事に「ノー」ということで、なかなか「無罪」判決しにくいような空気があるというのですね。つまり、セパレートしていないってことなんです。
少し前に読んだ「日本人をやめる方法」には、警察と日本のマスコミの癒着のような問題も書かれていました。警察にはいわゆる記者クラブのような部屋があるのですが、家賃を新聞社が払っているわけではないそうです。中には、警察の職員に「お茶汲み」をさせていることもあると書いてありました。
警察(検察)の横暴が横行すると、危ない気がします。

投稿: ebakos | 2009年2月 3日 (火) 09時47分

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