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2009年5月13日 (水)

レッド・クリフ

GWに映画を観た。「レッド・クリフPart II」。劉備・孫権の連合軍が圧倒的な兵力を誇る曹操軍を打ち破ったとされる赤壁の戦いを題材にしたものである。

私はどうしても観たかった訳ではないのだが、付き合いもあって観た。おもしろいところも少しはあったが、全体としては虚しさ、後味の悪さが残った。「制作費100億円」の価値はないと思った。

後味の悪さの正体は、はっきりしている。戦いに「勝った」「負けた」と言うが、勝った方にも、負けた方にも何十万という死者が出ている。この死者の一人一人に精神があり人生があったはずである。この死者の一人一人にとって「勝った」「負けた」は何の意味もない。

もちろん、この映画はこのような見方をしてはいけないのだ。この映画のおもしろさを評価する時に、兵卒一人一人の精神や人生を考えるのは、この映画を観るルール(解釈コード)に反している。例えば、ステーキの旨さを評価するときに、ステーキになった牛の命や心を問題にするのはルール違反である。それと同じである。一人一人の兵卒には精神や人生などはないことにするのがこの映画を観るルールなのである。映画の中の戦いはゲームなのである。だから、この映画が人命を軽視している、この映画を観て楽しむことができる人は冷酷だなどと非難するのは、まったくお門違いである。この映画を楽しむ人が、好戦的な人とも限らない。いっしょに映画を観た人は普段は私以上に平和主義者であるが、私以上にこの映画を楽しんでいた。ほとんどの人は映画の中の戦いと現実の戦争とをきちんと区分けできるのである。

しかし、それでもこの映画を楽しんでしまうことには、後ろめたさが残る。何故か?

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コメント

私も同じことを考えていました。
時代劇を単純に楽しみたいのに、独特のリアリズムに興がそがれるような。
PartⅠと比べても夫婦の人情劇・男女の愛情劇が多い分、
それがとても際立って感じられました。

エンディングにおいてあんなに虚脱感を強調したのは、
この映画にお金をかければかけるほど爽快感が失われるのを
実は監督がいちばんよく知っていた証拠ではないかとすら思います。
平和主義者から非難を招かないため、すべてが計算ずくだったりして…。

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