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1Q84

村上春樹の本がベストセラーになっているらしい。中身はまったく知らなかったのだが、家人に頼まれて大学生協の本屋にWEBで注文した。そのときに、署名検索でボールペン書きのメモを見ながら署名をIQ84と入力するのだが、検索結果は「該当なし」。何度入力してみても同じ。仕方がないので、村上春樹と入力するとしっかり出てきた。

変だなあと思っていたら上下2冊の本が来た。ところが、本の題名をよく見ると「IQ84」ではなく「1Q84」だった(よく見比べてください)。メモには1Q84と正確に書いてあったのだが私の読み違いであった。どこかで知ったかぶりして「今、IQ84という本がはやっているそうだね」などと言ったら、大恥をかくところだった。

このことを何人かの人に尋ねてみた。「今村上春樹の本が売れてるの知ってる?」。正確に数えたわけではないが、私の感覚では「IQ84」と勘違いしている人が半数くらいはいる。すでに恥かいている人もいるだろうし、間違って見過ごされている人も相当いそうだ。

それを聞いたNさんは「題名だけでこんなに話題になるなんてすごい本ですね」。

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九州の阿蘇での研究会がおわり、今博多で休憩中。

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のぞみ

のぞみで新神戸から小倉まで2時間。広島からだと45分。早くなったものだ。ビールを飲む間もない。

学生時代に帰省した時には、広島から下関まで急行で3時間、下関から小倉まで各駅で15分くらい(小倉から直方まで1時間くらい)かかっていた。今なら日帰りだってできそうである。

同じ列車で、偶然先輩の同業者と乗り合わせる。この人とは昔から不思議な縁があって、なぜか偶然出会うことが多い。いろいろな話をしたのだが、当然あの話に。

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心の中は探らない

今日は、授業をすませて九州へ行く。
1年ぶりに九州の仲間たちと会える。研究会も楽しいのだが、なんと言っても夜が・・・
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品のよい話しではないが

女性に対してとても優しい男がいる。そういう男を見ると、私はすぐ「アイツは下心があるのだな」と思ってしまう。それは、私の中に「下心なしに女性に優しくなれるわけがない」という前提があるからだ。つまり「アイツの下心」は私の下心の裏返しなのである。

自分では考えても見なかったことなのに、卑しい言葉で心の中を非難されることがある(面と向かっては決して言われないのだが)。そんな時にムキになっても仕方がない。それはその人の心の中の卑しさの裏返しと考えることにしよう。そして自分も他人の気持ちを卑しく探るのをやめよう。

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『現代音楽の練習帳』

もう一つ書いておく
一昨日大量に買った本の中に次の1冊がある。

浜田邦裕『現代音楽の練習帖』(世界思想社・2007年・1600円)

著者は建築家である。これは良い本である。こういう本が出たのを見逃していると悔しい。

著者は次のように言う。

ところが、CDのライナー・ノートやコンサートの楽曲紹介は、曲の構成に終始するか、抽象的な形容詞のオンパーレードです。音楽評論家の本も、誰がどうした的な事実の羅列にとどまることが大半です。
何か本質的な事項が欠けていると私は思いました。
それは、何を論じているのか、という論点に対する意識と、自分は何を発見し、何を主張したいのか、という結論の明確化、あいまいで情緒的な言葉を羅列しない、論証のトレーニングだと思います

ここまでで、どんな本なのかがある程度は推測できるだろう。
そして、たくさんの例題と回答例が掲載されている。例えば例題の1は「サクラ・ソングの修辞学」と称するつぎのような問題である。

サクラを歌詞や題名にもちいた、いわゆるサクラ・ソングがある。これらのなかで、サクラが比喩として成立しているのは、日本人に共通する何かを指し示すことができるからである。では、サクラは何を指し示しているのか、比喩の一般的な修辞法に言及した上で、説明しなさい。

私が今取り組んでいる論文の参考にもなる。また将来はゼミにも使えそうである。

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FD

昨日の記事の一部を削除した。感情にまかせて、つまらないことを書いてしまった。まだ修行が足らないと反省。
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昨日は、学部ではじめてのFD研究会があった。FDというのは、Faculty Development の略で大学教員の能力(とくに教育能力)開発のための組織的な取り組みを言い、現在は大学に義務づけられている。

3人の先生の実践報告と、教育学の先生のFDのあり方についての提案だった。3人の先生の実践報告の内容もよかったが、FDのあり方についての提案すばらしかった。とくに「学生の授業評価アンケート」対しては、その問題点を教育学の立場から冷静に指摘するものだった。私はすぐ感情的に批判してしまう。こんなFDなら何度あってもよいなあと思った。

もっと内容を紹介したいが、私は、人の話を要約するのは苦手だし、そんなことをするのは失礼だと思っている。

追加
将棋名人戦。羽生善治名人が郷田真隆九段を破り、4勝3敗で名人位を防衛。棋譜を見たら、終盤は私でも羽生名人のわかる展開になっていた。私でもわかる。こんな時は、プロにとっては大差がついているということだ。

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一度入ったら

本格的な梅雨で蒸し暑い。こんな時は、弘前がよかったなあと思う。

一度入ったら、抜けられない。・・・宗教団体や政治団体のことではない。ネット上の各種のサービスのことだ。

各種のサービスの会員には、クレジット・カードさえあれば簡単になれる。月100円あまりのわずかばかりの会費だからと思って安心していると、そのうち会員になっていることさえ忘れてしまう。それに気付いていざやめようと思うと、会員のIDやパスワードを忘れている。

中には、サービスをいつの間にか別会社が引き継いでいて、どう連絡してよいのかわからなくなることさえある。

また、会員にはWEB上の簡単な手続きですむのに、止める時には印鑑付きの書類を求めてくるサービスもある。大手の有名なサービスでさえそうだった。

ネットは便利だが、やはり十分に注意を払うべきだ。加入する前に脱退の仕方をきちんと確認しておくほうがよい。引っ越しを機にいろいろなサービスを整理したのだが、非常に苦労した。

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本の安売り

ここ数日、体調がものすごくよい。早起きと適度な運動が、効いているようだ。ただし、脳みその調子が相当悪い。大事な仕事がちょっと進まない。今週の土曜日に、九州で研究会があって話さなければならないのだが、その準備もできていない。昨年の講師があまりにもおもしろすぎたので、どんなふうに話せばよいのかちょっと迷っている。
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大学生協の書籍部が昨日から3日間、全品15%の割引セールをやっている。それで、店舗に行って大量に本を買い込んできた。また、店舗にない本はこの期間にWebで注文するとやはり15パーセント引きになるので大量に注文した。

ただ、本をいくら買っても当分は読む時間がない。しばらく「積ん読」状態だ。

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父の日

というわけで、息子から贈られてきたのがこれ。
Ca4la
CA4LA というオリジナル・ブランドで、カシラと読むらしい。なるほど!
しかし、これをかぶって外に出るには勇気がいるなあ。

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好きな場所

昼飯を食おうと梅田へ。

Umeda1

もちろん、「食」だけで終わるはずもなく。

Umeda2_2

Umeda3

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日本郵便、やっぱりだめだ

2005年の総選挙では郵政で自民党が大勝したが、今度は郵政で足下をすくわれそうだ。・・・・・というようなことはどうでもよいのだが、郵便で少しだけ腹が立つことがある。

手紙を出すとき、切手をいくら分貼ればよいかわからなくなる。そんな時には、インターネットの日本郵便のページで、料金計算をする。これが便利なようで、なかなかイライラする。

例えば、75gの郵便を速達で出したい。その場合、重さは「100gまで」を選択し、「速達」にチェックを入れて、「料金計算する」をクリックする。すると・・・・。「通数を入力してください」という答え。通数を入力させてどうするのだ。手紙は1通ごとに切手を貼らなければならないのだ。合計を知っても一般の利用者にはほとんど意味がないのだ(概して、インターネットには、このような大きなお世話が多い)。

しかたがないので、「1通」と入力すると、「1通あたり140円、合計410円」と出てくる。試みに「10通」と入力すると「1通あたり140円、合計4100円」と出てくる。いったい何を考えているのだ。民営化の前からこうだったのか、民営化してこうなったのかは知らないが、やっぱりだめだと思った次第。

ちなみに、私は郵便の重さを計るのに「Postman100」という小さな秤を使っている。自宅と研究室に1個ずつ置いている。こちらはなかなか便利だ。
Postman
Click to enlarge

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臓器移植法

臓器移植法改「正」案、A案が衆議院通過。

この問題については、私自身にも結論がない。臓器を待っている人もいれば、脳死の家族を持つ人もいる。私自身は「自分の臓器が役に立つなら私が脳死になったときにはどうぞ使ってください(としなのであまり役にはたたないかもしれない)」という気持ちはある。しかし、そのような発言するをすること自体が、脳死の家族を抱えている人たちの気持ちを傷つけることになるかも知れない。

ただし、「脳死は人の死」と定義することには反対。

追加
昨日の学校礼拝は、聖和短期大学の担当。賛美歌は何と「愛の主イェスは」!。口語の歌詞で学生たちはごく自然に歌っていた。「聖書は言う」のところを、私は思わず「わが・・」と歌いかけてしまった。はじめから『賛美歌21』で習った学生たちにとっては何でもないことなのだろう。・・・6月16日の記事参照

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走る

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3ヶ月・なかなか悪太郎のようだ

毎日、片道6キロほどの道のりを歩いて通勤している。最近は汗が相当出るので、着替えをリュックサックに入れて短パンで歩く。途中、武庫川河川敷の土の上を1.5kmほど通る。メタボなので足を痛めるのが怖いが、その部分だけゆっくり走ってみた。久々だったのだが、感触がよみがえってきた。また、マラソン大会に出たい。そのためには、このメタボを直さなければ・・・

ところで、歩いたり走ったりするとメタボにどのくらい効果があるのか。今から5年ほど前、走ることに夢中だった私は自信満々で書いていた。2004年1月4日のメッセージである。

今日は津軽は雪でしたが、勇気を振り絞って走ってきました。
家から弘前城公園の外をぐるっとまわって帰ってくるとだいたい12キロです。
ところで、12キロ走るといったいどのくらい痩せられるのしょうか。
よく聞かれるので書いてみます。
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時々人に聞かれます。
「走るのはダイエットに効果がありますか?」
この質問は実は間違っています。Dietは「食事」やや広げて「食事療法」という意味です。
ダイエットを減量という意味で使っている人(マスコミなども含む)もいますが、意味の広げすぎです。
ダイエットというのは減量の一つの手段です。そしてもう一つの減量の手段が「走る」を含む運動です。
 
問題は「走ると一体どのくらい減量できるのか?」ということです。
例えば、走る前に体重を計ります。10キロ走って帰ってきて体重計にのります。最大の場合3キロくらい減っています。
しかし、これは減量とは言いません。体から水分(汗)が出ていっただけです。出た水分は補給しなければならないのです。
水分を補給すれば結局体重は戻るのです。補給しなかったら脱水症状になり危険です。「水を飲んではいけない」などという説もあるそうですが、古い昔の説です。・・ちなみに△木そ○子式ダイエットでは「水分をとるな」と言ってましたが、大きな間違いです。
 
本当の減量とは、体の脂肪を燃やすことを言います。個人差はありますがだいたい次のように考えてください(どの本に書いてあることもだいたい同じようなものです)。
 
・体重Xキログラムの人が1キロ走る(早足で歩くでもよい)とXキロカロリー消費する。
・7200キロカロリー消費すると、体脂肪が1キログラム燃える。
 
では実際に応用してみましょう。計算しやすいように体重72キロの人(昔の私)の例で考えてみます。
この人が毎日2キロのジョギングをしたとします。
72キロの人が1キロ走ると72キロカロリー消費しますから2キロだと144キロカロリー消費します。
7200キロカロリーで1キログラムですから、144キロカロリーだと0.02キログラム、つまり20グラム減量できます。
10キロ走ってやっと100グラムです。体重の少ない人はもっと効果薄です。
 
ジョギングで減量できる量なんてごくわずかですね。10キロ走ってもいつもの食事よりカレーライス1杯(約700キロカロリー)余分に食べたら、それでもうおしまいです。
「なーんだ」と落胆されたあなた! それだけ時間をかけて自分で脂肪を貯め込んだんだからしかたないでしょう。
時間をかけて消費しましょう。
 
とは言うものの続ければ必ず効果が現れます。健闘を祈ります。

この文、そっくりそのまま今の自分へ(泣)。

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住みにくい県

昨日は、所用で関西学院の本部にある上ヶ原キャンパスに行った。徒歩で15分くらいで行けるのだが、めったに用がないので、2週間に1度くらいである。はじめてゆっくり生協の書店に立ち寄った。教育学関係の本は、残念ながらほとんどなかった。

例によって新書・文庫のコーナーに立ち寄り何冊か買ってきた。その中で本当の新書(新しい書)は2冊。

不破哲三『マルクスは生きている』(平凡社新書・720円)
佐藤拓『データ比較「住みにくい」県には理由(わけ)がある』(祥伝社・780円)

不破さんの文章を読むのは本当に久しぶりである。とりあえず、第1章「唯物論の思想家・マルクス」だけをざっと読んでみたが、ものすごくわかりやすい。のめりこみそうなのでやめておいて、時間ができたらゆっくり読むことにする。

『データ比較』は、賃金、社会福祉、教育、治安など各分野にわたる各都道府県の数的なデータを、順位別に並べたもの。例えば、「教育力-子どもが育つ県、育ちにくい県」では国立教育政策研究所が発表した20年度全国一斉学力テストの結果を、ランキングしている。小学校が6年生の総合順位は次のとおりである(国語・算数の平均正答数をランキングしたもの)。

 1位 秋田
 2位 福井
 3位 青森
 4位 富山
 5位 東京
 ・・・・
43位 長崎
44位 滋賀
45位 山口
46位 北海道
47位 沖縄

ちなみに私がかつて住んだことのある都県を取り出すと次のようになる。

 3位 青森
 5位 東京
 9位 広島
17位 兵庫
30位 愛媛
34位 高知
39位 福岡
全国平均は22位と23位の間

このデータ、私が日頃感じている実感とはかなり違う。「えーーーーーーっ!」という感じである。「3位青森」については、ノーコメント(笑)。30位愛媛は低いので意外。34位高知は健闘しているという感じ。39位福岡はひどい。

ただし、数値と実感が異なるのはこの教育分野だけで、経済などのデータはほぼ実感と一致していた。教育分野での実感との違いは気になるところである。この本では、データの出典が示されているので、詳しいことを調べたい場合は、その出典にあたればよい。夜、寝ながら眺めている。

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続・続「主われを愛す」考

作詞家の故阪田寛夫氏の講演をまとめた『童謡の天体』(新潮社・1996)の中に、「はじめての賛美歌」という講演が掲載されている。そこで、この「主われを愛す」のことが詳しくのべられている。

この歌の元の歌詞は次の通りである(Anna B. Warner 作詞) 。

Jesus loves me, this I know,
For the Bible tells me so;
Little ones to Him belong,
They are weak, but He is strong.

Yes, Jesus loves me!
Yes, Jesus loves me!
Yes, Jesus loves me!
The Bible tells me so.

この歌には、日本に伝えられた明治の初期からいろいろな日本語訳がつけられてきたそうだ。一番古いのが次の「耶蘇我を愛す」である。

耶蘇(エス)我を愛す 聖書にそ示す
帰すれば子たち 弱きもつよい
はい耶蘇愛す はい耶蘇愛す
はい耶蘇愛す そう聖書に示す

「我(われ)」を一音符の中に入れなければならないので、少し窮屈だ。

阪田氏によると「一音符に一音ずつおさめる今の形に落ち着いたのが、明治36(1903)年発行の賛美歌」である。阪田氏はこの今の形の箇所について次のように語っている。

しかしなだらかに訳語が落ちついて行くのと反比例して、歌の意味が消えて行く過程も、同時に読み取って頂けたと思います。牧師さんには叱られるかも知れませんが、現行の「主われを愛す」は、一節の歌詞だけなら、たとえば主織田信長をたたえる、われ木下藤吉郎の歌であっても少しも差し支えありません。

主われを愛す 主は強ければ
われ弱くとも 恐れはあらじ

阪田氏の言う通りである。また英語の原文とも意味が相当異なっている。紋切型に感じるのはこのせいかも知れない。

ところで、1997年に発行された『賛美歌21』には、この「主われを愛す」の歌詞とともに、口語訳の歌詞が併載されている。

愛の主イェスは 小さいものを
いつも愛して 守るかたです。

聖書は言う、イェスさまは
愛されます、このわたしを

賛美歌は歌い出しの歌詞を歌のタイトルにして呼ぶ慣習があるので、こうなると「主われを愛す」ではなく、「愛の主イェスは」ということになる。

「主われを愛す」という訳は、ルーテル、バプティスト、聖公会などの他の教派の賛美歌集、聖歌集などでも共通して採用されてきた。そしてほとんど1世紀以上も同じ歌詞で歌いつがれてきた。物心ついた時から歌って来た人もいるだろう。おそらく、この新しい歌詞には抵抗があるだろう

※「愛の主イェスは」の歌詞が併載されている「賛美歌21」を使っているのは、日本キリスト教団で、他の教派の賛美歌集・聖歌集ではたぶん「主われを愛す」で統一されている。(「たぶん」と言うのは全部の教派を知らないし、全部は調べられないから)。

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六甲トンネルの真上にて

関西学院の本部のある上ヶ原キャンパスと教育学部(聖和大学・聖和短期大学)のある聖和キャンパスは、六甲山脈の一番東端の小高い丘陵地帯に位置しているが、この付近の地下を山陽新幹線が走っている。地図。これが全長16キロに渡る六甲トンネルであり、このトンネルの西端はもう新神戸駅である。この六甲トンネルの東端の真上に「新幹線公園」という小さな公園がある。聖和キャンパスから徒歩で10分くらいのところにあるので帰宅途中に寄ってみた。

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公園より新大阪方面

この公園の中央に慰霊碑が建立されていた。この慰霊碑は、1970-72年の山陽新幹線・新大阪-岡山間の工事で亡くなった人たちを慰霊するためのものだった。

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碑の背面には、実に54名もの殉職者の名前が刻まれていた。わずかこれだけの区間で54名とはあまりに多くないだろうか(1人でも大変なことだが)。そう言えば、工事が行われていた頃、殉職者があまりにも多いので「まるで人柱だ」と批判していたマス・コミがあったような記憶がある。

新幹線は、脱線、衝突などによる死亡事故が起きていない(起きてはいけない)世界に誇れる鉄道である。しかし、工事ではこれほどの犠牲者を出し、その後も犠牲者を出し続けている。これも交通災害の一つとは言えないだろうか。開業を急ぐあまり、工事計画に無理がないか。鉄道好きの人間としても、これ以上は一人の犠牲者も出ないことを望む。

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続「主われを愛す」考

「主われを愛す」については、もう一つ思い出がある。

私は、子どもの頃、この歌を次のように歌っておもしろがっていた。

主われを愛す 主は強ければ
われ弱くとも おそれあらじ
かぜかぜ吹くな シャボン玉とばそ

最後は、「シャボン玉」(野口雨情作詞、中山晋平作曲)になる。理由は簡単である。二つの歌の歌詞の「おそれはあらじ」と「こわれて消えた」はどちらも「ララソドミレド」、でおなじ旋律だからである。

「シャボン玉」は、野口雨情が生後間もない娘を亡くした事実と結びつけられることがある。また中山晋平の曲の中では異質でもある(他の歌と歌い比べていただきたい)。いずれにしても、この歌には祈りが込められているようだ。そのへんにも共通性を感じていたのかもしれない。

シャボン玉とんだ 屋根までとんだ
屋根までとんで こわれて消えた

シャボン玉消えた とばずに消えた
生まれてすぐに こわれて消えた

風々吹くな シャボン玉飛ばそ

ただし、音楽的には「シャボン玉」のほうがはるかにすぐれている(もちろん、歌詞の問題がある。「主われを愛す」の日本語の歌詞は紋切り型でつまらなさすぎる)。


つまらないなぞなぞを思い出した。
シャボン玉をとばしている日のお天気は?
台風です。
そのココロは?
屋根まで飛んだ。

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「主われを愛す」考

9日(火)の学校礼拝の時間に奏楽を担当した(この日の日記から見ると、少し不謹慎ですね)。この日の賛美歌は「賛美歌21」の484番「主われを愛す」。田淵宗教主事の話も、この歌にちなんだものだった。

このクリスチャンなら誰でも知っている「主われを愛す」を聴いたり弾いたり歌ったりすると、私は母方の祖父のことを思い出す。明治14年生まれで、20歳の時にキリスト教に入信した敬虔なクリスチャンだった。「寧太郎」という名前の通り、几帳面で誠実な人だった(その性格をなぜ受け継いでいないのだろう)。

この祖父は、いつも背筋をピンと伸ばして礼拝に出席していた。ところがこの「主われを愛す」の中の「我が主イェス」のフレーズになると、このピンと伸ばした背筋を深く折り曲げてお辞儀をするのである。「我が主イェス」は3回繰り返され4番まであるので、一曲歌う間に都合12回お辞儀をすることになる。子どもごころに不思議な感覚で祖父を見ていた。

この祖父、88歳で世を去ったが、晩年には「主よ、みもとに」(賛美歌21では434番、歌詞は旧版)を朝晩口ずさんでいた。音程は合ってない、というより音程がないと言ったほうがよいくらいの歌い方だったが、哀愁を帯びていた。

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辻井伸行さん

バン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝したピアニストの辻井伸行さんの演奏を、私はちゃんと聴いたことはないので何も書けない。しかし、いろいろな人が語っている。読売新聞にいい文章が2本出ていた(どちらも9日付け朝刊・大阪本社)。

最初は、1面のコラム「編集手帳」の一部である。

普通は譜面を見て覚える曲を辻井さんは録音テープを聴いて学ぶという。見えない鍵盤をたたいては「天から降る」と評された独特の美しい音色に織っていく。天才や奇跡という安易の形容は寄せ付けず、努力や鍛錬というありきたりの言葉では足りず、簡単感嘆の吐息をもってしか語ることのできない人生もある。

うーん。うまい! さすがにプロの文章だ。しかしもっとすごいのがあった。文化欄に、吉原真里氏(ハワイ大学教授・アメリカ文化研究)の批評が出ている。この人はコンクールの場に実際にいたそうだ。同様に一部を紹介する。

私は、今まで辻井さんの演奏に触れたことはなく、実際に聴くまでは多少懐疑の念を持っていた。盲目でありながらこれだけピアノが弾けるのはもちろん驚異的だが果たして本当にほかのピアニストに匹敵するものなのか。
(中略)
しかし、予選の演奏を聴き、そんな思いはたちまち雲散霧消した。ショパンの練習曲ハ長調作品10が始まってわずか数小節で、ぽろぽろ涙が出てきて、1、2分もたつと辻井さんが盲目であることはすっかり忘れてしまった。実にまっすぐな解釈でありながら音楽的に洗練され、聴衆の心に訴える演奏なのだ。演奏の後、聴衆は総立ちでブラボーを連呼し、拍手は5分以上も続いた。

なんという文章か。私まで、辻井さんの演奏を聴いている気持ちになった。そして気がついたら、私の目からもぽろぽろ涙が。私には一生書けない文章だな。

追加 

研究仲間のまるしんさんのブログで辻井さんの師匠である川上昌裕さんのブログが紹介されている。どちらもおすすめ。

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久しぶり

Nomisugita

なんと言うこともないのだが、久しぶりに外で飲みたくなった。
少し深酒をしてしまった。

それでも、目は早く覚める。
今から大学に出れば、仕事がたくさんできる。

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尼崎市議選

今日は、尼崎市会議員選挙の投票日だった。私は、まだ転入して3ヶ月未満なので選挙権はない。人口50万人弱、有権者38万人。定数44に立候補59。面積小さいので、昨日まで市内どこへ行っても選挙カーの声がひっきりなしに聞こえた。

昨日朝、駅に向かって歩いていると、選挙カーとすれ違った。まだから顔を出して候補者がわたしも軽く会釈すると、スピーカーから「あなたのそのうなづきをぜひ一票に変えてくださいますようにお願いします」。おもわず苦笑した。

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ウェブ・メール

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研究室の仕事スペース

関西学院のメール・システムは、Outlook Web Access。大学のシステムにログインすると、Outlook Express に似たソフトがWeb上にあらわれる。メールの送受信は、Web上で行う。Outlook Express のように、メールを自分のパソコン上にダウンロードすることはできない。少し不便だと思うこともあるが、慣れてしまえばたいしたことはない。もちろん、このシステムだとインターネットにつながっているパソコンならどこからでもアクセスできる。

実は、個人用の Nifty のアドレスもWeb上でアクセスしている(前に書いた)。2007年の7月からはじめたのでもう2年ほどになる。サーバーの容量は5メガと、一応限りがあるので、時々、ダイレクトメールなどの余計なメールを削除する。現在の使用量を調べたら、「5120.0MBのうち、680.4MB(14%)を使用しています」と表示されていた。このペースだと、あと10年以上は使える(10年後は、パソコンのない生活をしていたい)。

Webメールの良いところは、人から来たファイル、自分が送ったファイルをいつでもどこでも取り出せることである。いざというときに役に立つ。これで助かったことが何度もある。

逆に安心して、ファイルをきちんと整理しなくなったが・・・・

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帰宅途中で空を見上げると虹が・・・

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足利事件

足利事件の受刑者の菅谷さんの刑の執行が中止され釈放された。当然のことである。それにしても、どうしてこんなに冤罪事件が起こるのか。菅谷さんは、きびしい取調べにたえかねて自白してしまったと告白している。

私は睡魔に弱い(みなさん、ご存じですね)。どんなに楽しいことが控えていても、一度眠気がくるともう我慢ができない。だから眠らされずに「おまえがやったろう。吐いてしまえば眠らせてやる」と責め立てられれば、ひとたまりもなく「やりました」と言ってしまうだろう。怖い話しだ。

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天安門事件20年

天安門事件から今日で20年だそうである。当時の民主化運動の指導者のウーアルカイシ氏が中国に帰国しようとしてマカオに入ったが、台湾に強制送還される見通しだという。

天安門事件のあと、世界は劇的に動いた。同じ年にベルリンの壁が崩壊、ルーマニアのチャウシェスク政権をはじめとする東欧諸国の社会主義政権が崩壊、そして1年後には社会主義の本家本元のソビエト連邦(注)まで崩壊した。

しかし、中国では、何もなかったように共産党一党独裁の政権が続いている。天安門事件などニュースがなければ忘れてしまいそうだ。北京オリンピックも何事もなく無事開催された。しかし一方で、中国は経済的には、社会主義国でも何でもなく資本主義国になってしまった。

天安門事件からさらに20年前。私は大学に入学した頃である。若者の多くは、社会主義を理想の社会と思っていた。幼稚ではあったかもしれないが、毎日のように「革命」「社会主義」「マルクス」「レーニン」「毛沢東」について語り合った。しかし、こんな言葉さえ、日常生活から消えてしまった。私の日常生活の中にも「社会主義」というコンセプトはない。

ただそれでも、私はどこかで社会主義に期待を抱いている(未練がある)。資本主義社会は、弱者(国内的レベルだけでなく、国際的なレベルも含む)の存在なしには成立しえない社会だからである。かつて存在し破綻した社会主義国、既存のイデオロギーとは異なる社会主義を求めるのは幻想か。

(注)私は「理髪店に行って、髭を剃ってくれない国はどこでしょう?」というなぞなぞが好きだった。このなぞなぞができなくなった。

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IWC

和歌山県田辺市の内之浦湾に迷い込んだマッコウクジラが外洋に出て行ったとのこと。地元にとってはヤレヤレというところだろう。救出法なども考えたそうだ。

私などは、いっそのこと捕まえて、鯨肉にして食ってしまえばよいと思っていた。しかし、IWC(International Whaling Commission)もうるさいし、環境テロ団体が何をしかけてくるやらわからないので、そうもいかなかったのだろう。

このIWCは、Whaling の委員会だから、捕鯨を前提にした委員会である。つまり、鯨は有用な動物なので、絶滅しないように捕鯨制限をして守っていこうという団体だった。ところが、「鯨は知能が高い」といったへりくつをこねて捕鯨そのものを禁止しようとする国があらわれて、調査捕鯨を除いて捕鯨が禁止されるようになった。だから、上のようなあほらしいことがおきる。

私は、日本はIWCを脱退したらよいと思うのだが、国際関係でいろいろな報復を受けるのでその選択肢はない。・・・それでも、迷って入ってきた鯨くらいは、食ってもいいような気がするのだが。

捕鯨問題に関しては、私はすぐ感情的になってしまう。冷静に考えたい人は下の本をどうぞ。

秋道 智彌『クジラは誰のものか』 (ちくま新書・2009年・777円)

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和歌山(その2)

学会の例会がはじまる前に、和歌山の有名な中華そば屋「井出商店」に寄った(写真はクリックすると大きくなります)。

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スープは豚骨、タレは醤油で、少し醤油味の強い珍しい味だった。地元の人にはあまり評判が良くないらしいが、コクがあってうまかった。

学会の例会も充実していたが、31日に予定していた会議が中止になったので、もう1泊して加太(かだ)に寄った。海の見える温泉である。

加太からは、明石大橋、大阪湾、淡路島、紀伊水道が一望できる(天気の関係で四国は見えなかった)。ながめのよいところである。

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鯛の一本釣りをしている漁船

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明石海峡大橋

ホテルのそばには、淡嶋神社というおもしろい神社があった。
人形の供養をする神社だそうで、全国から集まった人形が所せましとならべられている。
圧巻である。
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子授け祈願もできるそうだ。そのせいか下のようなものも祭ってあった。(女性と未成年はクリック禁止)。
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と言うわけで、充実した週末を過ごした。


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