続「主われを愛す」考
「主われを愛す」については、もう一つ思い出がある。
私は、子どもの頃、この歌を次のように歌っておもしろがっていた。
主われを愛す 主は強ければ
われ弱くとも おそれあらじ
かぜかぜ吹くな シャボン玉とばそ
最後は、「シャボン玉」(野口雨情作詞、中山晋平作曲)になる。理由は簡単である。二つの歌の歌詞の「おそれはあらじ」と「こわれて消えた」はどちらも「ララソドミレド」、でおなじ旋律だからである。
「シャボン玉」は、野口雨情が生後間もない娘を亡くした事実と結びつけられることがある。また中山晋平の曲の中では異質でもある(他の歌と歌い比べていただきたい)。いずれにしても、この歌には祈りが込められているようだ。そのへんにも共通性を感じていたのかもしれない。
シャボン玉とんだ 屋根までとんだ
屋根までとんで こわれて消えたシャボン玉消えた とばずに消えた
生まれてすぐに こわれて消えた風々吹くな シャボン玉飛ばそ
ただし、音楽的には「シャボン玉」のほうがはるかにすぐれている(もちろん、歌詞の問題がある。「主われを愛す」の日本語の歌詞は紋切り型でつまらなさすぎる)。
つまらないなぞなぞを思い出した。
シャボン玉をとばしている日のお天気は?
台風です。
そのココロは?
屋根まで飛んだ。
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