「主われを愛す」考
9日(火)の学校礼拝の時間に奏楽を担当した(この日の日記から見ると、少し不謹慎ですね)。この日の賛美歌は「賛美歌21」の484番「主われを愛す」。田淵宗教主事の話も、この歌にちなんだものだった。
このクリスチャンなら誰でも知っている「主われを愛す」を聴いたり弾いたり歌ったりすると、私は母方の祖父のことを思い出す。明治14年生まれで、20歳の時にキリスト教に入信した敬虔なクリスチャンだった。「寧太郎」という名前の通り、几帳面で誠実な人だった(その性格をなぜ受け継いでいないのだろう)。
この祖父は、いつも背筋をピンと伸ばして礼拝に出席していた。ところがこの「主われを愛す」の中の「我が主イェス」のフレーズになると、このピンと伸ばした背筋を深く折り曲げてお辞儀をするのである。「我が主イェス」は3回繰り返され4番まであるので、一曲歌う間に都合12回お辞儀をすることになる。子どもごころに不思議な感覚で祖父を見ていた。
この祖父、88歳で世を去ったが、晩年には「主よ、みもとに」(賛美歌21では434番、歌詞は旧版)を朝晩口ずさんでいた。音程は合ってない、というより音程がないと言ったほうがよいくらいの歌い方だったが、哀愁を帯びていた。
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