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民主党圧勝!

選挙結果は、ご存じの通り。民主党が308議席獲得、自民党が119議席に激減。
心配された(期待された)揺り戻しもなかった(揺り戻しがあったからこの程度ですんだという見方もある)。自民党は小泉政権が終了したときに国民に信を問うべきだったのである。

自分の選挙区ではないが、私の好きな候補者がいて注目していたのが、僅差で負けた。
また彼の県の元県知事は僅差で負けた(時代が終わった)。私の所では、別の県の元県知事が勝った。この勝った元県知事、中身はともかく言葉は豊かである。さすが作家だなあと思った。小泉の「がきたち」ががんがん落選していくのを見て痛快。

民主党という政党、私はまだ正体がよくわからない。自民党と同じ顔をした人もいる。党首もどうも頼りない。どのような政治をするのか、じっくり見ていきたい。そして今後の自民党にも注目したい。「保守」なら「保守」らしくぶれない落ち着いた分かりやすい主張をする野党として再出発してほしい。

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平衡感覚

今朝の朝日新聞によると、民主党が320議席獲得の予想だとか。
日本の選挙には有権者の平衡感覚が働く。320という数字を見ると、「いくらなんでもこれは勝たせ過ぎ過ぎだ」と思う人が必ずいる。つまり揺り戻しである。

2005年の郵政選挙は自民党の有利が伝えられていたが、いくらなんでもあそこまで勝つとは予想されなかった。だからあまり揺り戻しは起こらなかった。むしろ選挙後に「勝たせ過ぎ」という声が起こった。今回は予想の段階で「勝たせ過ぎ」になっている。揺り戻しが効き過ぎると、予想外の結果が起こる。たぶん自民党はそこに期待しているのだろう。

他人事のようで申し訳ないのだが、選挙はおもしろい。

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三方一両得

各政党の政権公約を見ていたら、昔次のようなことを書いたことを思い出した(どこかに文が残っているはずなのだが思い出せない)。

大岡政談の中に「三方一両損」という話がある。落語にもなっている。
三両拾った人と落とした人が互いに「これはお前のものだ」と譲り合って埒があかない。その話を聞いた越前守が自分で一両出して四両を二人で二両づつ分けるように提案する。落とし主はもとあった三両が二両になったから一両損、拾い主は三両得するところが二両になって一両損、大岡も一両損して三方一両損それぞれが一両づつ損をしたことになる。

この話をきいたのが大岡だったからよかったもののの、悪徳奉行ならどうするか。「三両のうちの一両を私に渡しなさい。残りの二両を二人で分けなさい」。落とし主はもうなくなったと思っていたものが一両戻ってきたから一両得、拾い主はもともとなかったものが一両になったのだから一両得、奉行は一両もらって一両得。それで「三方一両得」。

どうもこういった詭弁がまかり通っているような気がしてきた。




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なさけない候補者

報道番組で、選挙の特集をしていた。
その中で、ある自民党の大物(前職)候補の選挙戦を紹介していた。

その候補が街頭演説している場面が出た。
「小選挙区は○○○○(自分の名前)に、比例区は公明党に」
一瞬耳を疑った。その選挙区に自党の候補を立てていない公明党が「小選挙区は(我が党の推薦する)自民党の○○○○候補に、比例区は公明党に」というのならわかる。しかし、比例区には当然自民党も候補を立てているのである。いくらなんでもひどい。言わば自分への票ほしさに自分の所属する自民党を他党に売る行為である。全国の本物の自民党支持者はどう思っただろうか。

いくら苦しいとは言え、こうなってしまうともう政治ではない。自民党がここまで堕落しているとは思わなかった(もちろん全部ではないだろうが)。これも小泉劇場型政治の遺産かも知れない。

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高校野球

昨日は甲子園球場で高校野球を堪能した。

とくに花巻東高校対明豊高校戦は試合はすばらしい試合だった。花巻東は菊地菊池投手が背筋痛(これはあとから知った)で退き、救援の投手が打たれた。それでも粘って得点を最小限に抑えて最終回に同点に追いつき延長10回に逆転した。菊地菊池投手ばかりが注目されているが、いつの間にか打力のチーム集団になっている。これが高校野球のおもしろいところだ。小さな佐藤(涼)選手の動きが見ていて気持ちよい。明豊の今宮投手も打たれたがいい投手だった。

例によって、甲子園までを歩いて行き(約5キロ)、帰りも少し歩いた(3キロ)。運動をたっぷりしたので、夜はカロリー栄養過多の心配もなく食べて飲んだ。

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高校野球・総選挙

大学13日~23日まで一斉休業。17日までは無理に入構して仕事をしていたのだが、工事をしていたりでやりにくいので少し休むことにする。今日は、入場券をもらったので甲子園に行く。

甲県と乙県の代表が甲子園でぶつかる。甲県出身で乙県在住の丙さんはこのような場合、どちらを応援するのだろう。「どちらを応援しますか」という携帯書簡を送ってみた。その返信は予想外のものだった。

「比例区は丁党、小選挙区は戊党の候補者」という答えが返ってきた。
すばらしい! 心がけが私とは相当違う。

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総選挙

今年は、お盆も返上してまじめに過ごしているのだが、研究の仕事にはおわりがない。
(今頃気がついてもおそいのだが)
いつのまにか高校野球も楽しみがなくなった。

衆議院選挙がはじまった。
駅前で、「民主党マニフェスト」というのをもらった。なんで「マニフェスト」という片仮名なのか。
日本語というのは、そんなに貧弱な言語なのか。別に民主党だけに腹を立てているわけではないのだが。

今朝の朝日新聞によると、民主党が300議席に迫り、自民党は半減だそうだ。中には、「民主党390、自民党44」などという週刊誌予想もある。まあ風がいちばん民主に吹けばそんなこともあるかもしれない。ただ、日本国民には微妙なバランス平衡感覚があるので(2005年の選挙ではそのバランス平衡感覚を失ってしまったのでとんでもない4年間になってしまった。)ここまではいかないと思うが、よほど大きなスキャンダル醜聞でもでてこない限り、民主党が大勝するだろう。あんまり魅力的な総理とは言えないが・・・

小泉さんが2001年に自民党総裁になるときに「私が自民党をぶっつぶす」と言っていた。
あのときはレトリック修辞だったのだろうが、本当にそうなってしまった。小泉チルドレンの馬鹿息子に馬鹿娘って一体なんだったのだろうか。

と言うわけで、今まで、「ひねくれ教育日誌(パート2)」としていたのを、「ひねくれ教育日誌(第2部)」にかえる。

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甲子園

甲子(きのえね)の年にできたから、甲子園っていうのだな・・・・とかいったことはまったく関係なく。

昨日は朝6時ごろからゆっくり散歩して、1時間半くらいあるいて甲子園へ。
8時前に甲子園に到着。そのまま8時30分からの第1試合を観戦。地元の試合のためスタンドはほぼ満員だった。
Img_1036

試合もおもしろかった。私は勝手に「ピッチャーキャッチャー」と呼んでいるのだが、捕手が救援投手であるという珍しいチーム。このピッチャーキャッチャーは攻撃の軸でもある。勝ち上がっていくかどうかは、このピッチャーキャッチャーにかかっていそうだ。

10時半ごろ試合が終わって大学へ。もうキャンパスには人がほとんどいない。
おかげで仕事がはかどること・・・・・・といいたいところだが、ぼちぼちでんなー。

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岡倉天心

何も役には立たなかったのだが、おもしろい本があった。

齋藤隆三『岡倉天心』(吉川弘文館、1960)

岡倉天心は、最初に音楽取調掛でメーソンの通訳をするのだが、その部分の記述がおもしろい。

とくにその優れた英語と、既知機知縦横の才能とは、メーソン夫妻をして、公的にも私的にも処するところに支障なからしめ、異国に或るの寂寥をさえ覚えしめなかったとあって、極めて親しく・・・・

また、伊澤修二と不仲で音楽取調掛を去って美術掛に移ったとするのだがこのくだりもすごい。

これ蓋し音楽界の不幸であったか、美術界の幸福であったか、将たいずれが天心に幸福であったか、それは知るよしもないこととする。
・・・
(伊澤修二は)天心の音楽掛在任中は、音楽教育調査として米国に派遣されて国外に在ったのであるが、それが明治14(1881)年10月に帰朝して、音楽取調掛長として天心の上位に就いた。
・・・伊澤は海外の帰朝直後から、すべてにおいて純西洋主義をもって臨み、加えて性格偏狭にして人を容れるの余裕なく、厳格を旨として寛容に欠けた態度は、多分に天才的であって、奔放な性情の天心は相合うべき筈もなく・・・

うーん、伊澤は完全に悪役だな。
音楽界の不幸、美術界の幸福。美術界の人はそのように感じているのかな。
史実の間違いもある(3つ)。それがわかる人は音楽教育史通。

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台風・地震

朝起きたら、東海地方で地震のニュース。
友人にメールしたら、無事とのこと。
しかし、台風も重なっている。被害が拡大しなければよいのだが。

順延されていた高校野球。
選手たちの帽子のかぶりかたが変だ。
流行なのだろうが、目くじらをたてるようなことではない。
高校生のファッションはいつの時代も奇妙だ。

もちろん私たちの時代も・・・・

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唱法問題

久しぶりに専門的な話
まだしつこく「階名」論にとりくんでいる。あるところに次のような趣旨のことを書いた。

階名とは相対音高名のことである。そして「ドレミ」は、もともと相対音高をあらわす名称として生まれたものである。したがって、「ドレミ」を別の呼び方に転用(例えば「固定ド」や「機能ド」)するのは、階名(相対音高名)が不要だと言うのに等しい。
私は、階名が不要だという主張も認める。また不要な人が存在することを認める。しかし、階名が不要だからといって、もともと階名に使っていた「ドレミ」が勝手に転用されると、階名が必要だと思っている人間はどうすればよいのか。
固定ドは、実は身勝手で不道徳なのだ。

少し、過激かしら?

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ヒロシマ・ナガサキ

今日はナガサキの日。
40年前にヒロシマにある大学に入学した私は、当たり前のようにして原水爆禁止運動に身を投じた。そして運動から身をひいても、8月6日、9日を決して忘れることはなかった。6日8時15分には、9日11時2分には、どこにいても黙祷を捧げた。

ところが、いつかそれを忘れるようになった。今年の6日も忘れた。論では公然と核保有論が出てくるようになった。私の中でもヒロシマ・ナガサキが風化しつつある。

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官僚的?

「官僚的」という言い方がある。
広辞苑を見ると、「独善的、形式的」という意味だそうだ。

 

だから、「おまえは官僚的だ!」と言われれば、「独善的で形式的だ」という人格批判になる。しかし、個別の考え方や行動に対して「官僚的」だと言われると、普通の人なら困惑するしかないだろう。

 

例えば、先日1日遅れで学内紀要執筆の申し込みをしに言ったら、事務担当者から「締め切り後は受け付けません」と言われた。私は、自分の落ち度だとあきらめた。一縷の望みをもった自分が馬鹿だったと思った。

 

自分の大学の例ではないのだが、こんな場合に「官僚的」だといって高圧的に自分のわがままを通そうとする人もいる。それもその人が「官僚的」と言った相手よりもはるかに強い立場の人である。事務は、決められた方針にもとづいて処理しようとしているだけである。「形式的」だが、それは人格でもなんでもなくその人の仕事である。仕事をきちんとやって「官僚的」となじられてはたまらない。

 

また自分と意見が異なる場合に、やたらに「官僚的」という言葉を使う人がいる。この場合は「官僚的」は一つのレッテルに過ぎない。「非民主的」「右翼的」「左翼的」「退廃的」「プチブル的」「遊び人」「女たらし」・・全部言われたことがある(泣)。これらのレッテルの1枚である。・・・・実は、私自身、すぐレッテルを貼り付ける傾向があるので気をつけなければいけないと思っているのだ。

 

自分が書いたこと、言ったことに対する具体的な批判なら、相手の意見に十分に耳を傾けなければならない。しかし、それでもって「○○的」という言い方で人格批判されれば本来なら絶交するしかない。もっとも、私のような無節操でズボラな人間は、「官僚的」と言われるとかえってほめられたような気がするのだが。

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学生は夏休み

毎日通常通りに大学に出ている。
別のものを書いているので、ブログの文を書くゆとりがない。

関西学院の高等部が70年ぶりに夏の高校野球選手権に出場するという。
それは良いのだが、さっそく学院長から寄付金のお願いのメールが来た。
仕方ないなあ。この学院からもらってる給料の一部を返しているだけのような気もするが。

メガネの調子が悪い。仕事にもひびくので新しくすることにした。
1年に1度くらいの割合でとりかえている。近視と乱視と遠視がまざっているので、結構出費がかさむ。

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写メール

光陰鉄砲玉の如し
というわけで、もう8月4日だ。

写メールが来た。
そのうちのいくつか・・・・

弘前時代のゼミ生から
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なんじゃこりゃ!

おなじく弘前時代のゼミ生から
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孫3人
090722_154901
090727_093101
頭が重そう

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