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官僚的?

「官僚的」という言い方がある。
広辞苑を見ると、「独善的、形式的」という意味だそうだ。

 

だから、「おまえは官僚的だ!」と言われれば、「独善的で形式的だ」という人格批判になる。しかし、個別の考え方や行動に対して「官僚的」だと言われると、普通の人なら困惑するしかないだろう。

 

例えば、先日1日遅れで学内紀要執筆の申し込みをしに言ったら、事務担当者から「締め切り後は受け付けません」と言われた。私は、自分の落ち度だとあきらめた。一縷の望みをもった自分が馬鹿だったと思った。

 

自分の大学の例ではないのだが、こんな場合に「官僚的」だといって高圧的に自分のわがままを通そうとする人もいる。それもその人が「官僚的」と言った相手よりもはるかに強い立場の人である。事務は、決められた方針にもとづいて処理しようとしているだけである。「形式的」だが、それは人格でもなんでもなくその人の仕事である。仕事をきちんとやって「官僚的」となじられてはたまらない。

 

また自分と意見が異なる場合に、やたらに「官僚的」という言葉を使う人がいる。この場合は「官僚的」は一つのレッテルに過ぎない。「非民主的」「右翼的」「左翼的」「退廃的」「プチブル的」「遊び人」「女たらし」・・全部言われたことがある(泣)。これらのレッテルの1枚である。・・・・実は、私自身、すぐレッテルを貼り付ける傾向があるので気をつけなければいけないと思っているのだ。

 

自分が書いたこと、言ったことに対する具体的な批判なら、相手の意見に十分に耳を傾けなければならない。しかし、それでもって「○○的」という言い方で人格批判されれば本来なら絶交するしかない。もっとも、私のような無節操でズボラな人間は、「官僚的」と言われるとかえってほめられたような気がするのだが。

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