岡倉天心
何も役には立たなかったのだが、おもしろい本があった。
齋藤隆三『岡倉天心』(吉川弘文館、1960)
岡倉天心は、最初に音楽取調掛でメーソンの通訳をするのだが、その部分の記述がおもしろい。
とくにその優れた英語と、
既知機知縦横の才能とは、メーソン夫妻をして、公的にも私的にも処するところに支障なからしめ、異国に或るの寂寥をさえ覚えしめなかったとあって、極めて親しく・・・・
また、伊澤修二と不仲で音楽取調掛を去って美術掛に移ったとするのだがこのくだりもすごい。
これ蓋し音楽界の不幸であったか、美術界の幸福であったか、将たいずれが天心に幸福であったか、それは知るよしもないこととする。
・・・
(伊澤修二は)天心の音楽掛在任中は、音楽教育調査として米国に派遣されて国外に在ったのであるが、それが明治14(1881)年10月に帰朝して、音楽取調掛長として天心の上位に就いた。
・・・伊澤は海外の帰朝直後から、すべてにおいて純西洋主義をもって臨み、加えて性格偏狭にして人を容れるの余裕なく、厳格を旨として寛容に欠けた態度は、多分に天才的であって、奔放な性情の天心は相合うべき筈もなく・・・
うーん、伊澤は完全に悪役だな。
音楽界の不幸、美術界の幸福。美術界の人はそのように感じているのかな。
史実の間違いもある(3つ)。それがわかる人は音楽教育史通。
伊澤と関係があったことはじめて知りました! 岡倉天心は、ボストン美術館で浮世絵他の収集・整理をして、東洋美術をかっこたる
ものにした人なので、その業績をボストン美術館でみたときに、「ああ、伊澤も、岡倉も同じボストンにいたんだあ」と、なんとなく
感動していましたが・・、こんな関係があったとは!! さっそく購入して読んでみます。
投稿: 田中健次 | 2009年8月13日 (木) 18時13分
この本は、間違いが多いのでやめたほうが良いと思いますよ。
もっといい本があるような気がしますが・・・
投稿: 吉田孝 | 2009年8月14日 (金) 16時13分