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12月23日

今日は、12月23日である。昨日は12月22日だった。なぜ、昨日が12月22日だったかというと、昨日が12月21日だったらちょっと困るからである。例えば、昨日受け取った学生のレポートはどうなるのだろう。「先生、私は12月22日にレポートを提出しました」と言う学生に、私が「僕には12月22日はなかったのだ」と言うと、学生はどんな顔をするだろうか。

しかし、昨日は本当に12月22日だったのだろうか。「昨日をここに出して見せなさい」と言われると非常に困る。昨日どころか、「過去」そのものはどこにも存在しないからである。過去は、自分の記憶と記録の中にあるだけだ。

「時間とは何か」は哲学の重要なテーマらしい。哲学などどうでもよいのだが、毎年この時期になると一年の短さばかりが気になるのだ。その証拠に、私の過去のブログから引用してみる。

今年も、今日を入れてあと5日。あっという間の1年だった。本当は「あっ」という間に1年が終わるはずはないのだ。1年どころか1日だって終わらないのである。その証拠に、試してみればわかる。「あっ!」。まだ、12月27日なのである。

で は、なぜ過ぎ去った日々は「あっ」と言う間だったように感じるのかと言うと、少し難しい哲学的な考察を必要とするので、詳しいことはあえてか書かない(書 けない)が、過ぎ去った日々というのは、どこかに存在するものではなく、人間の脳味噌の中にしか残らないので、私のように小さく粗雑な脳味噌の中(脳味噌 は小さいに違いないのだが、頭はとてもでかくてキャップは3Lである。ついでに顔もでかい。でかい顔は時代劇の役者には向いている。その証拠に高橋英樹も 里見浩太朗もでかいが、木村拓哉は小さいのに時代劇にでている。子どもの頃からでかいツラするなと言われ続けてきたが、好んででかいツラをしているわけで はない。おっと脱線しそうである。カッコをつけて注釈をつけているうちに脱線するのは私の悪い癖である)には一年分の日々などはとても入りきらないのだ、 「あっ」くらいが精一杯なのだと妙に納得して喜んでいる師走である。1年が「あっ」と言う間の人は私だけで、ひょっとしたら「あっいっうっ」くらいの人も いるのかも知れない。

ところで、今年は2006年だが平成18年でもある。私は、今年が平成何年だということにななじむまでに、だいたい 夏から秋くらいまでかかる。つまり今年の場合だと10月くらいになってやっと、今年は平成18年だと言うことが違和感なく受け入れられる。つまり、夏あた りまでは、17年のような気がしていた訳である。おそらく、来年になっても19年という実感はあまりないだろう。

一つだけ思い当たる理由 は、教育関係の仕事のため、平成○○年度と言う方をすることが多いことである。来年になっても3月までは平成18年度である。それを引きずっているのかも 知れない。安倍首相は大学の9月入学制度を考えているようだ。そうなると、ますますややこしくなりそうだ。(2006年12月27日)

ここに2006年12月27日の記録はある。しかし、このようなことを書いた記憶はもうないし、ましてこの2006年12月27日はもうどこにもない。記憶にはないが、その「翌日」とされる日の記録もある。

今年も、今日を入れてあと4日。あっという間の1年だった。本当は「あっ」という間に1年が終わるはずはないのだ。1年どころか1日だって終わらないのである。その証拠に、試してみればわかる。「あっ!」。まだ、12月28日なのである。

なんだ、昨日と同じじゃないかと思われるかも知れない。しかしよく見ると2箇所ほど違うのである。この2箇所の違いなどと言うものは過ぎ去ってしまうと 「あっ」と言う間の違いに違いないのだが、今この瞬間を生きている私(ああ、なんと若者っぽい言葉だ!)には大きな違いがあるのだ。

あ と5日と思っていた時点からあと4日と思った今の時点までの1日は、ゴミのような1日かも知れないが、それでも確かに私の脳味噌の中に刻印されている(カ ントがそんなことを言ったかどうかは知らない)。しかし、あと3日と私が思う時点が確実にやってくるとは限らないのだ。

そうだ! 今この瞬間、一生懸命生きることが大切なのだ。わーい青春だ! 

・・とかなり強引に短絡して文章が終わるのは、もう書く時間がないからである。

今日は、9時30分から大学で会議である。午後は卒論の指導、3時ごろから研究室に来訪者がある。一応今日までが出勤日である。たぶん、明日も出て行かなければならないだろう。もちろん今日の午後がやってくるか、明日がやってくるはきわめて不確実である。(2006年12月28日)

なかなか、くだらない文である。しかし、哲学者が書いたって五十歩百歩である。

夏休みも、いかにそこに刺激的な体験が詰まっていようと、終わってしまえばアッという間であった。今年もアッという間に過ぎた。とすると、死の床で七〇年あるいは八〇年の一生を振り返ってもアッという間であった、と感ずるにちがいない。誰でも知っていることですが、人生の「客観的な長さ」は振り返ったときの実感にまったくそぐわないのです。(中島義道『時間を哲学する』講談社現代新書、1996)

そうなのだ。私は数年前には、マラソンを4時間ちょっとで走っていたのだ。世界のトップクラスの倍くらいの時間で走っていたのだ。しかし、走り終わってみると4時間なんてアッという間の出来事なのである。世界記録よりももっと短いのだ。そうだ、私は一瞬で42.195を走ったのだ。

前置きが長くなった。要するに今日は12月23日なのだ。12月23日は特別な日なのだ。なぜ特別な日かというと・・・どこかに書いたようなような気がして探したら、2003年のメッセージに書いていたので引用する。

03/12/23 (Tue)
今日は、公私ともにいろいろな意味のある日。
 
まず私。長女の○○回目の誕生日である。あの日のことは忘れない。大変だった。
 
一方今日は、天皇誕生日である。国民の祝日である。
にもかかわらず、日本人にとっては忌まわしい日でもある。
今から55年前1948(昭和23)年の今日、12月23日に東条英機元首相、広田弘毅元首相ら7名のA級戦犯が絞首刑になった。
日本が行ったあの戦争をどう評価するかは別にしても、7名に死刑判決を下した東京裁判だけはひどい。
勝者が敗者を裁いた野蛮な裁判としか言いようがない。
それにしても、どうして12月23日なのか。おそらくこの日が将来「天皇誕生日」になることは分かっていたはずだ。
アメリカの嫌がらせなのだろうか。
 
ちなみに、絞首刑が執行された巣鴨プリズンの跡地には、サンシャインビルが立っている。
55年前にそんなことがあったとは思えないくらいに、今日はにぎやかにクリスマスの音楽が鳴り響いているのだろう。

今日は引用ばかりである。この手抜きのくせは、子どものころから何も変わらない。

娘よ、○○歳の誕生日おめでとう。
同じ誕生日のマイミクののんべるさんもおめでとう。

関西学院大は今年最後の授業日である(国民の祝日などまったく無視)。そして夜には、学部のクリスマス礼拝である。聖歌隊のお手伝いをする。                

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