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下流指向

内田樹『下流指向-学ばない子どもたち 働かない若者たち-』(講談社文庫・524円)

2007年に出版されてベスト・セラーになった本が文庫版で出ている。ゆとりができたので、ゆっくり読んだ。

実は、この著者の内田氏は、私と関係が深い(と勝手に思っているだけである。あちらは私のことを知ろうはずもない)。第一に、同い年(同学年)だということだ(違うところはこの方は東大出身であることだ。私と同い年で東大出身はとても珍しい。なぜ珍しいかは私と同い年の人なら誰もが知ってる)。第二はお隣の方だということだ。お隣というのには説明が必要である。内田氏の属する神戸女学院大学は、関西学院聖和キャンパス(聖和大学・聖和短期大学)と隣合わせになっている。しかも、キャンパスの間には通路があって、キャンパス間を自由に行き来できるようになっている(聖和キャンパスを通って、女学院に通っている人がいる。逆の人はあまり見たことがない)。
Turo

内田氏の教育論は、腑に落ちるものばかりなのだが、次の部分にその教育論が凝縮されている。

「何のために勉強するのか?」という問いを、教育者もメディアも、批評性のある問いだと思いこんでいます。現に、子どもからそういう問いをいきなりつきつけられると、多くの人は絶句してしまいます。教師を絶句させるほどラディカルでクリティカルな問いなんだ、これはある種の知性のあかしなのだと子どもたちは思いこんでいます。そして、あらゆる機会に「それが何のに立つんですか?」と問いかけ、満足のゆく答えが得られなければ、自信たっぷりに打ち棄ててしまう。しかし、この切れ味のよさそのものが子どもたちの成長を妨げているということは、当の子どもたち自身には決して自覚されません。

「何の訳に立つのか?」という問いを立てる人は、ことの有用無用についてのその人自身の価値観の正しさをすでに自明の前提にしています。有用であると「私」が決定したものは有用であり、無用であると「私」が決定したものは無用である。たしかに、歯切れはいい。では「私」が採用している有用性の測定の正しさは誰が担保してくれるのでしょうか。

「何のために勉強するのか?」「何のに立つのか?」
このような問いをしてくる大学生も増えてきた。内田氏は、このような大学生に対しては、「二十歳の学生の手持ちの価値の度量衡を持ってしては計量できなものが世の中に無限に存在します。彼はあえて言えば、愛用の三十センチの「ものさし」で世の中のすべてのものを計ろうとしている子どもに似ています」と批判する。

その通りである。ところが、一方では大学教育がこのような問いを発する学生を増長させているのである。ある大学の「学生による授業評価アンケート」には、「教員この授業の目的や目標を示しましたか」という項目がある。つまり自分の授業の目的や目標をあらかじめ明確に示すことが、大学教員の義務になってしまっているのである。そして、それを明確に示さない大学教師はだめな教師なのである。私は、いつも馬鹿げたことだと思っているし、そのことを主張してきたのだが、そのような主張も通じなくなってしまった。

「何のために勉強するのか?」という質問項目を考えた人の頭の中には、「「何のために勉強するか?」となぜ問うのか?」という問いがあってもよさそうなものだが、そういう発想はなさそうである。私なら、「「「「何のために勉強するか?」となぜ問うのか?」となぜ問うのか?」となぜ問うのか?」くらいまで問う。それ以上問わないのは、思考力が間に合わないせいもあるが、入れ子構造が自分自身でも把握できなくなってしまうからである。おっと脱線しそうだ。

内田氏が指摘しているような子どもや大学生は最近になって生まれたのではない。昔からそういう子ども大学生もいた。少数派だったのが、ある一定の数を越え、何らかの外的な理由(教育する側の問題)で一気に吹き出してきたのだ。内田氏はそのような子どもや学生がなぜ増えたのかについては明らかにしている。この分析がとてもおもしろい。しかし、教育する側の問題についてはまだ明確にされていない。

私は、教育学に大きな責任があると思っているのだが、内田氏のようにスパッとした文章で表すことができない。隔靴掻痒である。

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コメント

「何のために勉強するのか」なんて考えたことはありません。
私は勉強が好きだから。といっても、「答えが一つしかない」勉強は嫌いですが。
勉強する理由を問う人間は勉強するという行為の本質を理解していないんじゃないでしょうか?
単に「将来のため」とか、「自分を磨くため」とかではなくて、もっとも~っと深淵にあるもの。
こんな偉そうなこと言える身分でもありませんがね。(笑)

私は「なんのために勉強するのか」という問いを持ち合わせていなかったから、自分の中にそれに対する明確な答えも持ち合わせていません。
ただ、これから、このような問いに一つの真理を後ろ盾にして答えていかなければならない時代がやってくるんでしょうね。
もう来てるのかな…?

とりあえず、授業中の私語、どうにかなんないんすかね~(笑)。

投稿: こどもと音楽 | 2009年12月15日 (火) 00時12分

> とりあえず、授業中の私語、どうにかなんないんすかね~(笑)。

私は、授業中の私語は、まだ教師の責任と思っています(思いたい)。
ただ、最近それだけではないと思うようになってきました。奥の手を使いましょうか(笑)

投稿: 吉田孝 | 2009年12月15日 (火) 07時57分

「手段のためには目的を選ばず」

「適当」と並んで私の好きな言葉のひとつです。

投稿: 北山敦康 | 2009年12月15日 (火) 11時47分

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