醜い老人
昨日はテレビドラマ「凍れる牙~女刑事音道貴子」を観る。乃南アサの直木賞作品をテレビドラマ化したものである。なかなか面白かった。ドラマの流れとは関係ない話し。
ドラマの中で、木村佳乃演じる主人公が、警察犬協会の幹部から話しを聞く場面がある。警察庁からの天下りらしいその幹部を演じるのは津川雅彦。そばをすすりながら、話しをするのだが、その姿の見苦しいこと見苦しいこと。津川雅彦がうまいのだが、あそこまで見苦しく演じなくてもよいのにと思うほど、見苦しい。まさに老醜という言葉ぴったりである。ドラマを観たほとんどの人が「ああはなりたくない」と思ったことだろう。
老醜というのは誰にでもやってくる。肉体的な老醜もあれば精神的な老醜もある。それよりも一番見苦しいのは、このこのドラマの協会幹部のような振る舞いの醜さである。そしてやっかいなことに、この手の老醜というのは本人には自覚できないらしい。
どの世界にも老醜をさらしている人はいる。私の周りにもいる。もちろん本人に自覚はないだろう。そしてこれは他人事ではない。私にも生きていれば必ずやってくる(すでにやってきているのかも知れない)。引き際は大切である。
今年還暦である。普通なら来年3月で強制退職となるところだが、今の職場は勤めようと思えば2019年3月まで勤められるそうだ。もちろんそこまやる気はない。引き際を自分で決めろと言われているようなものだ。
中曽根さんやノムさんにはなれないし、なる気もない。引き際は人生の難問であるのだが、時をすぎるとこの難問を解く時期を逸して、老醜をさらすことになる。いつまでに難問を解けばよいのか。これも難問である。
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