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2010年1月29日 (金)

雑用

なんとか成績を付け終わり無事提出。大変だった。なぜ大変だったかというと、少しサービスが過ぎて、100点がたくさん出てしまったこと。しかしこのくらいサービスしないと今度は、欠点が大量に出てしまう。この兼ね合いがたいへん難しい。学生の意欲、能力の見極めができていないからこんなことになる。修行が足りぬ。

今日は、新年度のシラバス入力の締め切りである。まあ、新学部発足の最初の4年間は設置申請のさいに文部科学省に提出したシラバス通りに入力するだけだから、すべてコピペですむ。だからシラバス入力は本当に雑用である。

シラバスをつくるのは大学の既定の方針だからもちろん入力する。しかし、個人的にはこのシラバスほどくだらないものはないと私は思っている。1年も前にどんな学生が受講するのか(教員は学生を選べない)、何人受講するのかもわからないうちに、15回分の授業内容を提示するのである。その通りに行くはずもない。私自身の研究や学習が進んだり、人生観や教育観が変わって、授業の内容や進め方を変えたくなることがある。そうでなければ私自身が楽しくない。教員が自分で楽しくない授業を受ける学生が楽しいわけはない(教員が楽しくても学生が楽しくない授業はたくさんあるが、その逆はない)。

もちろん、大学の授業がすべて選択科目で、あるいは必修科目でも同じ科目が複数開講されていて学生が教員を選べるようになっいて、受講生の数によって教員が評価され、それによって教員の待遇も決まるようなシステムになっているのなら、このシラバスが大いに意味を持つ。教員は自分の授業がどれだけ楽しくて役に立つものかをシラバスで宣伝することになるだろう。シラバスが「契約書」としての意味をもつ。しかし、そんな大学が本当によい大学と言えるか? 

日本の大学がそんなものだったら、私ははじめから大学教員なんかなっていない。私は器用(それに「貧乏」はつくが)で、他人が思っているほど頭は悪くない(少しは悪い)ので何をしても食ってはいけたはずだ。

ここまで書いて思い当たるのだが、考えてみると私はこれまで「こんな仕事いつでもやめてやる!」と思いながら生きてきたような気がする。私の身近にいる人は私がそう言って叫ぶのを一度は聞いたことがあるはずだ。そう思いながらとうとう還暦の年を迎えてしまった。

今更、「こんな仕事いつでもやめてやる」と言っても迫力はない(リスクがほどんどないから)。だから言わない。そのかわり大学が我慢が出来ないほど不快なものになったら静かに身を引くことにする。・・・と今日も話しがあらぬ方向に飛んでしまった。

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