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2010年1月22日 (金)

国楽

ちょっぴり調子が悪い(脳みそはいつも調子が悪いが、今日は珍しく体調も悪い)。

大学図書館の参考図書コーナーには、音楽事典類の中に音楽之友社や平凡社の音楽事典、The New Grove MGGと並んで『国楽大事典』という事典が置いてある。取り出してみると韓国の事典である。前から気になっていた。

先日の共同セミナーの際に、韓国音楽教育学会会長のミン・キョンフン会長に質問してみた。

韓国では、音楽科のカリキュラムの中にも「国楽」という言葉がある。この「国楽」を韓国の人たちはどのような意味で使っているのかを尋ねた。それは、英語だと、"Korean Traditional Music" になるそうだ。「韓国の伝統音楽」のことを「国楽」と呼んでいるのである。つまり、韓国の「国楽」は日本の学習指導要領で言う「我が国の伝統音楽」と同じような意味ということになる。

日本では「国楽」という言葉は現在は使われない。「国楽」という概念が生まれたのは明治期であり、伊澤修二らがその創成を目指したのが「国楽」であった。したがってそれは、必ずしも日本の伝統音楽を意味するものではなかった。「国楽」とは "National Music" 、つまり国民が国家の一員であることを自覚できるような音楽が「国楽」であったわけである。そしてその国楽を伊澤らは日本の伝統音楽の中に求めようとはしなかったのである。伝統音楽には「国楽」とすべきものが存在しないという認識があったからである(これは正しい認識である)。

唱歌教育をはじめるために1879年に創設された音楽取調掛の事業方針の一つは次のとおりであった。

将来国楽を創成する人物を養成する。

人材を育成を通してこれから創成するものが国楽だったのである。
では、伊澤らがめざした「国楽」は創成されたのか?
それはうやむやのまま(悪いことではない)、「国楽」という言葉が死語となり(これも悪いことではない)、現在では学習指導要領で「我が国や郷土の伝統音楽の尊重」が強調されている(悪いことではない)。

我が国の伝統音楽を尊重することが国家主義(ナショナリズム)と結びつくのではないかと危惧する人がいる。そういう質問を受けることがある。たしかに伝統音楽を意図的に「国家」や「愛国心」と結びつけようとする人もいるかもしれない。しかし、伝統音楽のあり方は多様である。そして伝統音楽の多様性を追求すればするほど、伝統音楽は国家主義からは(「残念」ながら)遠ざかっていく。したがって、伝統音楽の学習によって愛国心が育つことなど期待しないほうがよいし、また危惧することもない。伊澤らはこのことを130年前に喝破していたのである。つまり、日本では「国楽」と「伝統音楽」は対立する。

自分の経験で言えば、雅楽や民謡を聴いた時よりも、スコットランド生まれの「蛍の光」を歌ったり聴いたりしている時のほうが「国」を意識する。卒業式で愛国心を育てるなら、「君が代」よりも「蛍の光」のほうがよほどましだと思う(日本全国の小、中、校のすべての卒業式で、子どもたちが「蛍の光」の歌詞の意味をしっかり理解し、それを心を一つにして歌うような事態は恐ろしいが)。

右翼の街宣車が大音量で垂れ流していく音楽。あれは日本の伝統音楽からは最も遠いところにある。

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上の文はかなり短絡している。文と文の間に証拠資料を入れていけばかなりの論文になると思うが、やる気が起こらない。

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コメント

なんとなく懐かしい内容です!
体調早く治してくださいね。

そうだったかしら。

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