月末
4月30日である。
アッという間というより、最近はゆっくりと時間が過ぎるような気がする。
今週どんなことをしたか。誰とあったか。何を話したか。結構思い出せるのである。
覚えていることしか思い出せないからかも知れない。思い出せたことよりもはるかにたくさんのことを忘れているのかも知れないが、それでもいいではないかと思うことにした。
時間にゆとりがあるというより、気持ちにゆとりがあるせいだろう。還暦を迎えて歳を自覚したことも大きい。欲張りをしないと決めた。
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4月30日である。
アッという間というより、最近はゆっくりと時間が過ぎるような気がする。
今週どんなことをしたか。誰とあったか。何を話したか。結構思い出せるのである。
覚えていることしか思い出せないからかも知れない。思い出せたことよりもはるかにたくさんのことを忘れているのかも知れないが、それでもいいではないかと思うことにした。
時間にゆとりがあるというより、気持ちにゆとりがあるせいだろう。還暦を迎えて歳を自覚したことも大きい。欲張りをしないと決めた。
今日は写真だけ
教師をめざすまじめな学生たち
甲山 ピアノ・レッスン室より
中庭の山桃
甲東園にて
いよいよ連休明けから2年生が「実地教育研究」という観察・参加実習に毎週出て行く。その視察日程の調整のために、昨日は各学校に電話で連絡した。私のクラスの学生は18人で、西宮、宝塚、伊丹、尼崎、芦屋、神戸の6市13校に分散する。学生が実習に行っている期間内で先方の都合も聞きながら日程を決めていくのである。
実は、私はこういった電話での調整はとても苦手なのである。若い頃から大学や研究機関の研究室に閉じこもってばかりなので、小学校との交渉はおっくうなのである。相手に失礼な言い方をしてしまうのではないかと心配ばかりする。その上、あがり症なのである。一応原稿を準備する。
関西学院大学教育学部の吉田と申します。このたびは実習で学生がたいへんお世話になります。ありがとうございます。つきましては、ご挨拶と学生の視察をかねて一度学校にうかがわせていただきたく存じます。その日程のご相談のためにお電話をさせていただきました・・・・・
この通りに読むわけではないが、原稿を準備すると少し安心である。それでもダイヤルのボタンを押すまでに5分ほどこの原稿を眺め(躊躇しているだけ)、意を決して電話をするのである。話しをはじめてしまえば、何ということもないのだが、かけるまでは大変である。
昨日は午後2時ごろからから各校に電話をかけはじめ、躊躇している時間、相手と話している時間、電話の内容を記録する時間も含め、13校と交渉するのに夕方までかかった。1校だけ校長先生、教頭先生が不在のため今日にもちこしたが、あとはどの学校ともうまく調整できた。
まずはホッとしたところである。そして5月・6月は毎週学校訪問をすることになる。スーツ・ネクタイがまた苦手。私がスーツを着るのは1年間で数日だが少しだけスーツを着る日が増えそうである。
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徒歩通勤(6)
十五橋
十六橋
十七橋。ここまで20分ほどである。橋を見たり、水路にいる鯉を見たりしているとすぐ時間が経ってしまう。
番号のついた橋はここで終わり。この橋から少し北に歩くとすぐ大通りに出る。この大通りを西に向かうと武庫之郷交差点。通勤路はまだまだ続くが、とりあえずこの記事がここで終わり。
民主党と自民党の二大政党時代が来るかと思った(心配した)のもつかの間、突然小政党の乱立である。
「立ち上がれ日本」「新党改革」「日本創新党」
名前から見ただけでは何をしようとしているのかわからないし、政策もない。自民党では民主党批判票の受け皿になれないという消極的な理由で生まれたような政党である。一回の選挙では少しは格好はつく(つかない可能性も高い)が、じきにどこかに取り込まれて消滅することになる。だから安心だ。
圧倒的に安定した政党も、強いリーダーシップをもった政治家も生まれてきそうにない。とてもよいことだ。民主党の小沢一郎幹事長がクリーンなイメージの政治家だったら・・・・。想像しただけでちょっとこわい。
小沢さんも、桝添さんも総理大臣にはなれないだろう。だから安心だ。
・・・と、最近政治に対して消極的な見方しかできなくなった私。
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徒歩通勤(5)
徒歩通勤している割に、体重は少しも減らない。
十一橋より北は「コミュニティ道路」となっていて、道路に模様が入っていて自動車がスピードを出しにくくなっている。それでも、自動車やバイクで思い切りスピードを出して駆け抜ける大バカ野郎もいる。
十三橋
民家にも橋はかかっているのだが、番号はついていない。
十四橋の向こうには教会が見える。
このあたりは高級住宅街のようだ。一軒一軒がでかい。
昨日は、スカイマークスタジアムに行ってきた。この球場の正式の名称は、「神戸総合運動公園野球場」というらしいが、現在は命名権をスカイマーク・ジャパン(ちょっと話題になっている航空会社)が保持している。かつては、オリックス・ブルーウェイブの本拠地で、グリーンスタジアム神戸と呼ばれ、1994年にイチロー選手が日本ではじめて200安打を達成した球場でもある。現在は、オリックス・バッファローズ(この名前も今年限り)の準本拠地になっていて、年間に27試合、オリックスの主催試合が行われる。
今回は、高校の同級生で野球部キャプテンだったM氏と観戦に出かけた。同じく同級生で捕手だったF氏(近鉄・ロッテに選手として在籍)がオリックス・バッファローズのチーム・トレーナーをしていて入場券を手配してくれたのだ。武庫之荘から阪急で三宮へ、三宮から地下鉄で20分。乗り換え時間を入れて50分程度で到着。芝生の美しい球場だった(天然芝らしい)。
さて、試合のほうは。おしゃべりをしたり、焼酎を飲んだりしながら、オリックス・西武戦を観戦。西武・中村おかわり君の2点ホームランが効いて、西武の勝ち。にわかオリックス・ファンの私には残念な結果であった。私は、現在のオリックスの選手の名前をまったく知らなかった。西武の選手はかなり知っている。どう考えても、オリックスは実力的に落ちる。それでも、現在5割なのは岡田監督の采配のせいか?
野球を生でみるのは、そのチームのファンでなくても楽しいものだ。
試合終了後は、三宮でまた軽く一杯。
家に帰って、F氏にお礼の電話をかけたらあっという間に睡魔が襲ってきて、バタン。
カープの話しはしたくありません(泣)
昨日の巨人-広島戦は、先日急逝した巨人の木村拓也コーチの追悼試合として行われた。両チーム気の入った好試合だった。広島が勝てばなお良かったが。
熱戦で試合が延長したので、中継放送をしていたNHKの番組がベタおくれになった。したがって、0時からの放送予定だった生放送の「今夜も生でさだまさし」も約30分ほどおくれた。その番組の中でのさだまさしの一言が気になった。
「今日の試合は弔い合戦だったので」
「弔い合戦」はないだろう。「弔い合戦」とは、死者の仇討ちのための合戦である。この試合は死者に捧げる試合であっても、仇討ちのための試合ではない。せっかくの好試合だったのに何ということを。
あれだけ言葉のセンスのよいさだまさしでもこういうことがある。生放送だから仕方がないか。
というふうに小さな言葉尻をとらえていちゃもんをつけるのが私の病気なのである。これにはやりかえされるというリスクも伴う。もうやめようと思っているのだが。
今日は、プロ野球観戦に出かける。
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徒歩通勤(4)
十一橋は大通りにかかっている(武庫之荘三丁目交差点)。
ここまでは駅から北●西に向かって歩いてきたが、ここから方向を少し変えて北向きになる。
GWがやってくる。うれしいなあ。
しかし、大学はこのGWのために授業時間の確保に苦労する。だから、休日にも授業を実施することがある。関学は次のとおりである。
25 26 27 28 29 30 1
2 3 4 5 6 7 8
(赤は授業なし、黒は授業実施)
なんと、5連休の中日の3日に授業を実施するというのだ。いっそうのこと、30日も休みにして7連休にしてやればよいのに(ついでに6日も7日も休みにして11連休でもよい)と思ったのは私だけだろうか。
月曜日の授業時間を確保するのが難しいからのようだが、それなら、29日に月曜の授業を実施するというようなことはできなかったのだろうか。まさか、「五月病の防止のため」などということはないだろう(もちろん決めた方たちにはやんごとなき事情があるのだろうが)。
私は、以前ならGWの中日は必ず休講にしていた。お互いの幸せのためという訳ではない。学生が可哀想だったからだ。自分は大学に行って仕事はしていた。別に一回分休講にしたからといってどうこうなるものではない。大学の授業は時間を引き延ばしたり、短くしたりすることくらいいくらでもできる。そんなにカチカチにしなければならないものでもない(もちろん授業によって違いはある。どうしてもやらなければならない場合もある)。
以前は大学はもっとおおらかだったのである。もちろん「授業熱心」な先生もいた(私にはその熱心さがいまでも理解できない)。だいたい連休の中日に授業を一生懸命するような先生は想像がつく。以前勤めていた大学で「この先生は連休の中日でも絶対授業する人だな」と推測していたら、その日の朝は校舎の外にまでその先生の大声(この日はひときわ大きかった)が聞こえてきた(ちょっと入り口の隙間から覗くと授業に出ている学生は数人だった)。自分の推測があまりにも大当たりだったので大笑いした(不謹慎ですね)。
今は、どの先生も授業を休講にするなどということは許されない。形式ばかりが重んじられるようになったので、教員も学生もなかなか大変なのである。よいことか悪いことかはわからないが、私のようないいかげんな教員は生きづらくなってきた。
さて、今年の私だが、担当授業時間数は昨年よりだいぶ増えたのだが、月曜日はうれしいことに授業がない。5月3日は当然休む。学生の皆さん、授業のある先生、ごめんね。
GWを楽しく過ごすために、来週 26日から30日までは必死で仕事をする。
場合によっては29日も大学に出る。いつもなら木曜は1日授業だが、この日はいろいろなことがたっぷりできる。
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徒歩通勤(3)
九の橋
十の橋 橋の向こうに前に紹介した「さいの整骨院」が見える。
拡大した写真(少しぼけていますが)
昨日は、「実地教育研究」で「授業観察の方法」という授業をする。授業記録を書く実習の対象にしたM先生の模擬授業がとてもおもしろかったので、学生にはよい勉強になったのではないかと思う。というわけで、これで事前指導が終了した。学生たち(2年生)は5月7日から木曜日に計10回、周辺(西宮市、尼崎、伊丹、宝塚、芦屋、神戸)の各市の小学校で観察・参加実習をする。もちろん毎週視察には出かけるが、送り出す側としては気がかりなことが山ほどある。我が学生たちを信頼しよう。
で、徒歩通勤の続き
「六の橋」の文字が見えるだろうか
七の橋
八の橋は、反対方向から。正面は武庫之荘郵便局。
ここに郵便局は便利だ。
帰ってテレビを着けたら、阪神-広島戦をやっていて、8回裏の阪神の攻撃中で無死一二塁の場面。投手は「マエケン」の場面。
鳥谷の二ゴロで一死二三塁。新井を敬遠したあと、満塁で城島、ブラゼルを連続三振。いいぞマエケン・・・いい顔しとるなあ。
9回表にあっさり二死になり、なんとなくその裏に阪神のサヨナラかといやな予感がしていたら、小窪が第1号本塁打。その裏、シュルツがあっさり押さえて勝ち。気持ちのいい勝ち方だ。こんな試合を続けて行けば良いのだが(鯉のぼりの時期に調子がよいのは毎年のこと)。
試合後に娘と携帯メールで喜びあう。娘からは「謙二郎、なかなか面白い試合をします。久しぶりにわくわくしています」。こうなったら、「明日は帰りに甲子園に寄るか」と思っていたら、今日は大雨の予想。たぶん試合は中止だろう。5月7日(金)からまた甲子園で3連戦なので、そのうちの一度は行くことにしよう。
という感じで、若い頃は選手の一挙手一投足に血が騒いでいたのだが(高橋慶彦選手が好きだったのだ)。
前に、「怒鳴らない!」と決めたのだが、いっそのこと「怒らない」ことにした。
「怒りは抑えることができない」と思いこんでいたのだが、どうも間違いっているようだ。
そういう場合もあるのかもしれないが、むしろ「怒っている自分に酔っている」ほうがはるかに多いような気がする。こんなことに、こんな年になって気がつくとは。このことは、お隣の大学の内田樹先生が書かれていたような気がするが(その先生の本を読んで私がそう思ったのかもしれない)、どこに書いてあったのか探し出せない。
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心おだやかに。
最近は毎日徒歩通勤している。その途中での風景。
阪急武庫之荘駅北口から北(やや北西)へ向かう道路を歩くのだが、その道の西側に小さな水路がある。この水路にかかっている橋に番号がついている。
駅改札口を出て左へ約20メートル。左が一の橋、右が二の橋
三の橋。道路は斜めに交差している。
右が四の橋。左側の店舗のタイルの下も水路である。だから「橋」でもあるのだが、店舗や民家にかかっている橋には番号がついていない。
五の橋を渡ると・・・・
続く
ホームページの色を変えた。カラーコードをいじるだけだから、2~3分でおわり。
#FF0000 赤 #00FF00 緑 #0000FF 青を基本(光の三原色)にして、あとは色を組み合わせるだけである。例えば、赤と緑の組合せは #FFFF00 で黄色、緑を少し明るくしたい場合は、赤の光と青の光を少し加えて、#80FF80 という具合。だんだん数字だけで自分の想像した色が出てくるようになる(ブラウザによって微妙な違いもある)
******************
私は自分の作成した文書、画像、音声などのファイルは、作成中はデスクトップに置いておく。そして移動する場合はサーバーに置く。そして用の済んだファイルはすべて1台の外付けハードディスクの中に保存する。40Gだが、まだ、半分以上も余っている。ときどきこのハードディスクの中を整理するのだが、整理していると昔のデータがでてくる。
昨日紹介した文はその一つであるが、こんなものが出てきた。だいたい10年前の2000年のもので、ある研究団体のニュース・レターのリレー連載に寄稿したものである。
我ながら「嘘だろう!」と思うほど本を買っている。かなりの読書量である。今はもうこれだけの本を買い読むのは無理である。通勤電車に1時間も乗らないこともあるが、それだけではなさそうだ。これは2004年頃の日記である。日記の内容のほとんどが読書ノートになっている。別に通勤電車に乗らなくてもこれだけ読んでいたということだ。年を追うごとに、私の日記から読書情報が少なくなっている。
目が衰えたとか、忙しかった(これはあまりない)とかいろいろ言い訳はできるが、結局は知的好奇心が衰えたのだろう。もう勉強しなくてもいいかな・・・という甘えも少しはある。
タイにおける混乱で日本人にも死者が出た。テレビで「国王の力が弱くなったからだ」と言っている人がいた。そうかなあと思っていたら「国旗・国歌の法制化」と題する古い雑誌記事が出てきた。1999年7月号の記事である。誰が書いたのでしょうか。
1
国旗・国歌は二三転しながらも、 国会で法制化されそうな見通しになってきた。これまでは政府も文部省も「国旗は日の丸、国歌は君が代」を慣習法として扱ってきた。しかし、教育現場でのさまざまな混乱のために、法制化に踏み切ることにしたようである。
学校現場で日の丸掲揚、君が代斉唱に反対する人々の主張の根拠の一つが、「法律によって定められていない」であった。法制化によってこの根拠はなくなる。卒業式や入学式で毎年起こる混乱はある程度は和らぐことになるだろう。
私は法制化には反対ではない。ただ、どうも十分な議論が欠けているような気がする。とくに「君が代」についてである。2
法制化によって問題が完全に解決するわけではない。とくに「君が代は主権在民を原則とする日本国憲法と矛盾する」という反対根拠は残るからである。しかし本当に矛盾するだろうか。
例えば英国は君主制をとっている。そしてもちろん民主主義の国家であり「主権在民」を原則としいる。そして英国の国歌の歌詞は「我らの王(女王)に神の恵みを」である。日本の「君が代」と本質的にはかわるところはない。「君が代」の「君」が必ずしも天皇を意味しているはとれない余地があるだけ、「君が代」のほうがおおらかだとも言える。
元首であれ象徴であれ、憲法で何らかの位置づけがされている以上、「国歌」の中に元首や象徴を持ち込んでもそれを矛盾と言うことはできない。「君が代」に反対するならば、天皇を象徴として定めている憲法を改正し、共和制に改めるしかない。3
ある国家が共和制をとっているか、君主制をとっているかは、その国の歴史や文化に依存しているが、一方では国家をうまく治めていくための戦略の一つでもある。決して、民主的な国家であるかどうかの基準にはなりえない。
現時点においては、共和制をとっているほうが民主的な国家とは言えない。むしろ逆のケースのほうが多い。
例えば、現在独裁国家と呼ばれている国家を思い浮かべてみるとよい。すべて共和制の国家である。戦火が続き内乱の絶えない国も共和制国家である。
300万人の国民が虐殺されたと言われるカンボジアの悲劇は王政の崩壊によってはじまった。そして王政の復古とともにとにもかくにも内乱の時代は終わった。
現在、君主制をとっている国家に独裁国家や内戦が起こっている国家はない。君主制のほうが、大統領に権限が集中しないだけ独裁はおこりにくく、また君主の存在によって内戦もおこりにくいという面があるのかも知れない。4
もちろん私はいかなる場合においても君主制が共和制よりもよいと言っているのではない。個人的に言えば、皇室などは存在しないほうがよいと思う。また、マスコミが皇室に対して敬称を使っているのを見るとむしずが走る。感覚的にいやなのである。
しかし、戦略的に見れば現在の象徴天皇制は、全体としては日本に合っているのではないかと思う。むしろ象徴天皇制のために政治の力が弱すぎるくらいだと思っている。力のある政治のリーダーが生まれにくい仕組みになっているからである。
やや話が脱線してしまった。要は国旗、国歌の法制化を機会にして、もっと国家のあり方や今後の戦略についての議論がまきおこるべきだと思うのである。また学校教育においても「国家」に関わる学習をもっと強めるべきだと考える。
教育現場への対応という理由からだけで、法制化を急ぐべきではない。
この著者は、言動に安定性がありませんね(笑)。
日本音楽教育学会の学会誌『音楽教育実践ジャーナルvol.7 No2』の特集「学校器楽教育の過去・現在・未来」を少しずつ読んでいる。感じたこと2つ。
第一は、「器楽教育の過去」というが、少なくとも小学校教育に関する限り、この特集に書かれているような音楽体験が私にはまったくないということだ。
例えば、1952年当時の鳥取県の智頭町の小学校での全校合奏(ハーモニカ、アコーディオン、オルガン、打楽器、金管楽器を演奏している姿が見える)の写真が表紙に掲載されている。また1958年当時の大阪府吹田市の小学校でのリコーダー合奏の写真も紹介されている。ところが、1957年に福岡県の小学校に入学した私には、リード合奏もリコーダー合奏もまったく経験した記憶がないのだ(幸せだったのか、不幸せだったのかはわからない)。
この特集の編集担当の有本真紀氏が「今号の特集には、投稿が2本しかなかった。募集の文章が原因か、他に考えられることは何だろうと悩んでしまった。そう思いたくはないが、ありうべき一つの可能性は、学校器楽教育が本当に危機に瀕しているのかもしれないことだ」と述べている。
上の鳥取県の小学校での全校合奏の指導は有本氏のお父上ということだ。また吹田市でのリコーダー合奏の指導は柳生力先生とのことだ。この有本瞳日月先生や柳生力先生のような優れた指導者は存在したのであろう(柳生先生の授業は研究者になってから一度見せていただいたことがあり、非常に感銘を受けた記憶がある)。しかし、一方で私と同世代の人と話しをすると、学校の「授業」できちんとした器楽の指導を受けたという話しはほとんど聞かないのである。現在の大学生に話しをきいても似たり寄ったりである。
私は「危機」という言葉にほとんど実感がない。むしろ、現在が「危機」というほど、器楽教育(実は「音楽教育」全般なのかもしれない)はまともには行われてこなかったのではないか。ほんとうにごく一部の子どもだけが、有本先生や柳生先生のような実践の恩恵にあずかれたのであって、多くの子どもはカヤの外におかれてきたのではないか。そしてそれは今も昔もかわっていない。このように思えてしかたがないのである。
第二は、こちらのほうが私にとって重要なことなのだが、小学校や中学校で音楽教育を受けた時代が、そしてさらには音楽教育研究者になってからの時代が、もうすでに音楽教育史の対象になってしまったことだ。逆に言えば、この音楽教育がたどってきた過去と現在に対して自分も少しは責任を負わなければならないということだ(若い研究者は未来だけに責任を負えばよいのだが)。
「私は何をしてきたのか」と考えると気が重くなってきた。
日本乳幼児教育学会という学会がある。関西学院大と合併した聖和大学とゆかりの深い学会である。この学会の第20回大会が、10月に関西学院大学聖和キャンパスで開催される。
最初は大会のお手伝いをするつもりで実行委員会に入ったが、所属する学科が「幼児初等教育学科」でもあり、幼児教育コースの学生も担当しているので、学会に入会することにした。そして発表申し込み期日までにメドが立てば、発表もしようと思っている。実は、前からあたためてテーマがある。実はこのブログに少し書いたことがあるテーマであるが、はっきり書くのがはずかしい。あたためても雛にかえることは、私の場合希だからである。
そういえば、日本保育学会の大会は今年松山東雲女子大学・短期大学で開催される。私の最初の職場である。私の研究・教育の原点がここにある。久しぶりに行ってみようかなあと思っている。
松江の旅
日曜日には、島根大学のF先生が出雲方面に連れて行ってくださった(私はこの先生に頭が上がらないのだが、またまた頭が上がらないことになってしまった)。あいにくの小雨模様だったが、F先生の話によると「雲の出る国」だからいつもだいたいこのような天気だとのこと。
車の中で、島根県の歴史、地理、現在の政治状況など・・いろいろなことをうかがってとても勉強になった。島根県のことをまったく知らなかったことに気づいた。あまりにもたくさんのことがあって整理しきれない。
ちなみに三宮-松江間は高速バスで4時間(途中15分の休憩2回)、往復運賃8,100円で非常に近いことわかった。山陰地方に関心がある。鳥取、米子、浜田、萩、津和野。何度でも来る予定。
昨晩、松江から戻ってきた。松江行きの直接の目的はコンサートを聴くことだった。地元紙の翌日(11日)朝刊にこのコンサートのことが出ていた。一部引用する。
山陰フィルハーモニー管弦楽団団長の加藤幹雄さん(60)は、退職と還暦の節目と、コントラバス演奏30周年を記念し、松江市西津田6丁目のプラバホールでリサイタルを開いた。(略)加藤さんは、75年に同楽団に入団、県職員を続けながら音楽活動を続けてきた。(略)加藤さんは、30年前にほぼ独学で演奏の基本を身につけ、2年前からは広島交響楽団の斎藤賢一さんに師事し、月2回広島に出向き、腕を磨いてきた。(略)今回のリサイタルは、「加藤幹雄とコントラバカたち」と銘打ち、斎藤さんや山陰フィルの仲間も出演。バッハやビバルディの組曲など加藤さんのソロ演奏や総勢12人による合奏を披露。加藤さんのソロ演奏には、会場から大きな拍手が起こった。(山陰中央新報 記事全文はこちら)
加藤さんは、大学の吹奏楽団の一年先輩で経済学科卒である。音楽以外のことでいろなことを教えていただいた(例えば囲碁)。長いことご無沙汰していたこと、松江はこの阪神地方から以外意外に近いことに気がついたこともあってかけつけたというわけである。
加藤さんは、90年ごろからずっと地元のアマオケの団長をされていたようで、それだけで音楽仲間からどれだけ信頼されていたかわかる(学生時代も吹奏楽団の団長をされていて、信頼されていた)。別のルートからも加藤さんの話しを聞いたことがあるが、やはり評判がよい。そのせいもあるのだろう、音楽仲間に支えられた心温まるコンサートだった(私はコンサートではあまり感動しないほうなのである)。
加藤さんは、大学時代はパーカッション担当でオーケストラでもパーカッション担当だったのだが、入団後しばらくしてその座を「新進気鋭の奏者に奪われ(プログラムによる)」コントラバスに転向したそうである。以後30年間コントラバスを続けてきたといういうことである。
私がいうのはおかしいかもしれないが、一人のアマチュアの音楽愛好者が音楽活動を30年間継続し、そして最後はリサイタルまで開いてしまうといういうことが不思議で仕方ない。高等学校学習指導要領の芸術の「音楽Ⅰ」の目標は「音楽の幅広い活動を通して、生涯にわたり音楽を愛好する心情を育てるとともに、感性を高め、創造的な表現と鑑賞の能力を伸ばし、音楽文化についての理解を深める」である。その中の「生涯にわたり音楽を愛好する心情」を建て前でなく実際に持ち続けてきた人なのである。
音楽教育研究者としていえば、この「生涯にわたり音楽を愛好する心情」を何が支えているのかに非常に興味がある。生涯学習という観点からも、学校教育という観点からも。加藤さんには、一度ゆっくりお話しをうかがいたい。
木曜日・春学期は朝の1コマから4コマまで全部授業。おまけに午前中は「実地教育研究」という集団で担当する授業。「担当教育授業の30分前に集合」という委員長のお達しで、朝6時30分に家を出て歩いて来た。7時50分に家を出て大学に着いて本日やることを確認して、今ちょっと一息。一杯やって(もちろんコーヒーである)教室に出かけるところだ。(8時7分)
↑
これじゃTwitterですね。
夙川(しゅくがわ)
阪神地域以外に住んでいてこの地名が読める人は、相当教養のある人か、地理オタクか、テッチャンである。たいていの人が読めない。私も40歳くらいまで読めなかった。あることがきっかけで、調べて調べてやっとわかった。「夙に」と書いて「つとに」と読むことは知っていたが、「夙」を「しゅく」とはなかなか読めない。
夙川というのはこのあたりを流れている小さな川の名前のようだ。この夙川をはさんで約4キロにわたる緑地があり、これを夙川公園という。1700本の桜が植えられている。
昨日は、仕事の帰りにこの夙川公園まで歩いてみた。約1時間ほどで、阪急苦楽園駅近くにある公園北側にたどりついた。苦楽園駅から夙川駅まで歩いたが、桜の名所といわれるだけあって、桜並木が美しい。花見客でいっぱいで、あちこちで宴会をしていた。露店も出ていて、途中で缶ビールと缶焼酎をそれぞれ1本、おでん3本、焼鳥1本。幸せだなあ!
写真機を忘れたのが残念である。携帯で撮影してみたが、美しさが伝えられない。
朝からあることがあって怒鳴りつけてしまった。それによって何も良いことは起こらなかった。後味の悪さだけが残った。
悪いことに、最近は弱いところに怒鳴ることが多くなってきた。
こうなると、欲求不満を吐き出していると言われても仕方ない(欲求不満など何もないのだが)。
100%自分に正義があったとしても、怒鳴って状況が好転することはまずない。
もう死ぬまで決して怒鳴りません。約束します。
気がつけば、プロ野球がはじまりもう第3週目である。
わがカープは、初戦だけ勝って7連敗。野村謙二郎監督に期待していたのだが、戦力不足はどうしようもない。地元の阪神も出足こそよかったが、中日に三連敗で5割。今年もダメなら真弓監督の責任が問われる。いつのまにか巨人がちゃっかり1位の座に。くやしいが、今年も巨人だろう。原監督は、大監督の道を歩み始めたようだ。木村拓也コーチのことはとても心配。
パリーグは、ロッテと地元のオリックスが好調。今のところが昨年とまったく逆の成績でが、いつまでつづくやら。4月中に一度大阪ドーム(京セラドーム)に観戦にいくつもり。
生きているうちに見たいもの二つ。
・広島カープの優勝
過去6度のセリーグ優勝、そのうち3度の日本一
最後の優勝は1991年、日本一は1989年1984年。遠い昔のことのような気がする。
・出身校、鞍手高校の甲子園出場
どちらも、限りなく遠い。広島カープは、景気が急変してマツダの車がバカ売れすればありうることだ。そういえば、カープの黄金時代は、ロータリー車の人気が高かったのだ。カペラ※とか、RX7※※とか。「エコ、エコ」の時代にそんなことはとても望めそうもない。その前に球団の存続を心配しなければならないかも。
鞍手高校については、キャプテンM君と「夢」として語り会う合うとにしよう。
※この歌を運転しながら、歌を歌うことを「ア・カペラ」という。
※※私が運転免許を取った頃(そんな時代もあった)に発売されて、とてもあこがれたのだ。
昨日は、近畿鞍陵会という高校の同窓会の観桜会という企画で奈良に行ってきた。奈良には、30代のころに何度も来たのだが、なんとなく足が向かず(なぜだろう・・・笑)、関西に住むようになってからははじめてである。
家を9時に出て、9時10分の電車に乗り、阪急、地下鉄御堂筋線、近鉄線を乗り継いで、10時32分には奈良に到着。あっという間だった(しつこいが、あとから思い出すとあっという間と感じるだけで、けっしてあっという間には到着しないので、念のため)。
さくらは、写真のようにちょっと寂しい。
ただ、寂しいと思ったのは、弘前公園のさくらを何年も見てきたせいかもしれない。だから弘前のさくらはあまり若いうちに見ないほうがよい。
また、下のような建造物がさりげなく建っているのも奈良の特徴である(京都にはおどろおどろしく建っている)。
参加者は私より年配の方がほとんどだったが、お話ができて楽しかった。
今年度から、「実地教育研究」という科目を担当することになった。2年(こちらでは回生)向けの科目で、毎週木曜日の午前中に小学校、幼稚園、保育所に行って、観察や部分実習を行う。ほとんどが阪神地方の公立の校園である。よく引き受けてもらえたものである。500先生をはじめとする実習支援室メンバーのお力である。その最初の3週間と最後の数週間は、事前・事後指導(木曜日の1~3コマ)である。この事前・事後指導は全体授業、コース別授業(幼児教育と初等教育に分かれる)、分級指導(各クラス約20名)に分かれている。基本的には、コース別指導の一部と分級指導の一クラスを担当する。
分級では、学生同士の討論が中心になるが、この分級指導のねらいの一つは、学生自身が自分たちでこの討論を運営できるようにすることである。各時間は次のような活動をする。
・小グループに分かれての討論
・クラス全体での報告と討論
最初の時間の課題は、だいたい次のとおり
・自己紹介
・グループ分け
・クラス代表の決定
・各週ごとの司会者、記録者などの割り当て
・各グループの代表、司会者、記録者などの割り当て
これで、次週からはすべて学生にまかせ、私は必要な時に助言するだけのシステムをつくりたいと思っている。ただ、できればこの第1週目も学生にまかせたい。次のような選択肢がある。
◎1週目はすべて私がリードする。
普通だが、これでは芸がない。
◎クラス代表を決めるところまでリードし、あとはそのクラス代表にまかせる。
これが普通かもしれない。
◎仮司会者を決め、あとは全部その仮司会者にまかせる。
これも一つの方法である。しかしそれならいっそのこと次のような方法がある。
◎最初に課題だけ示して、あとは「自分たちで決めなさい」と指示してつきはなす。
これがやりたいのだが、少しおそろしい(何も決まらない)。しかし、この可能性を考えている。この場合、しっかりしたマニュアルが必要になる。最終的にはマニュアルなしにすべて自分たちで運営ができる学生を育てるようにしたい。そして、2~3年後には、上回生が自分の経験をもとに下回生を指導するようなシステムができあがらないか。言わば、全自動システムである。
このようなことを考えるようになったのは、弘前大学教育学部のチューズデイ実習(毎週火曜日の午後に附属学校に出て行く)の経験から来ている。弘前大学教育学部では、1年次から実習に力を入れていたが、その最も大きな成果は、学生が自分たちで討論を運営することができるようになったことである(もちろん実践力もついたと確信する)。4年生になると、教員はほとんど口を挟む必要がないくらいきちんと討論ができていた。もちろん討論の内容には未熟なところがあったが、それはあくまでも専門性のレベルで未熟というだけだった。そんな場合最後に少し講評というかたちで意見を言うだけですんだ。最近、弘前大学から学生が作成したという実習のテキストが送られてきた。まずは、このレベルに追いつき超えたいと思っている。弘前大学が最下位の国立大学などとは、とんでもない話しだ(怒)。
教師が楽で学生がしんどい授業をいかに実現するか。私の一生の課題である。
橋下大阪府知事の新入職員への訓示が報道されている。
大阪府庁では、知事部局の新規採用137人の任命式があった。君が代斉唱などの後、橋下徹知事は「思想、良心の自由と言っている場合じゃありません。国家・国民を意識してもらうため、今後事あるごとに国歌斉唱を求めていきたい」と訓示した。
君が代斉唱は橋下知事の指示で今回の任命式から始められた。知事は「君が代歌えましたか。歌詞わかってますか」と新人職員に問いかけ、「僕が感ずるところ、まだ声が小さい。日本国家の公務員ですから歌うことは義務。しっかりお願いします」と語った。
橋下氏のことはきらいじゃない。が・・・・。橋下氏は歌詞の意味を考えて歌ったことがあるのだろうか。歌詞をきちんと考えると、君が代は大きな声を出して歌うような歌ではないことがわかる。「さざれいしの」「こけのむすまで」は非常に難しいのだ。無理に大声で歌おうとするとだみ声になる。プロの歌手がイベントなどで歌ってもよくこけるのである。
「君が代」にふさわしい表現、発声はまだ確立していないのである。私もわからない。それぞれが自分なりに受け止めて自分なり歌えばよいのである。もちろん心の中で歌うのもよい。大声で歌っているとしても、心の中まではわからない。ア 曲想を味わい,曲にふさわしい表現を工夫して歌うこと。
イ 曲種に応じた発声や言葉の特性を理解して,それらを生かして歌うこと。(2008年版中学校学習指導要領)
大きな嘘を書いて、最後に「今日は4月1日(エイプリール・フール)です」と書こう思ったが、早とちりしする人が必ずいるのでやめた。例えば次のような内容である。
代理で投稿します。
吉田孝は昨晩、急逝しました。59歳でした。
原因等は不明です。
詳細がわかりしだいお知らせします。
子どもの時は、4月1日はどうやって人をだますかということばかり考えていた。大人になるとエイプリール・フールは年度のはじまりでもあるので、バタバタしてエイプリール・フールであることを忘れるようになった。
さて、新年度。
今日から、毎日少しずつ続けようと思うことが3つある。一つはトレーニング(再開)。あとの二つはヒミツ(小さな小さな目標である)。
今日は入学式。5日(月)までは、オリエンテーションなどの年度初めの行事。6日(火)から授業がはじまる。今年度は持ちゴマ数が一気に増える。昨年は一回生だけだったのが、今年は二回生がいる。当たり前のことだ。
ホームページの色を茶系にするとどうしてもう○こ色に見えてしまう。とりあえず、青系にした(私の色ではない)。いろいろ試してみるつもりである。
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