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歴史

日本音楽教育学会の学会誌『音楽教育実践ジャーナルvol.7 No2』の特集「学校器楽教育の過去・現在・未来」を少しずつ読んでいる。感じたこと2つ。

第一は、「器楽教育の過去」というが、少なくとも小学校教育に関する限り、この特集に書かれているような音楽体験が私にはまったくないということだ。

例えば、1952年当時の鳥取県の智頭町の小学校での全校合奏(ハーモニカ、アコーディオン、オルガン、打楽器、金管楽器を演奏している姿が見える)の写真が表紙に掲載されている。また1958年当時の大阪府吹田市の小学校でのリコーダー合奏の写真も紹介されている。ところが、1957年に福岡県の小学校に入学した私には、リード合奏もリコーダー合奏もまったく経験した記憶がないのだ(幸せだったのか、不幸せだったのかはわからない)。

この特集の編集担当の有本真紀氏が「今号の特集には、投稿が2本しかなかった。募集の文章が原因か、他に考えられることは何だろうと悩んでしまった。そう思いたくはないが、ありうべき一つの可能性は、学校器楽教育が本当に危機に瀕しているのかもしれないことだ」と述べている。

上の鳥取県の小学校での全校合奏の指導は有本氏のお父上ということだ。また吹田市でのリコーダー合奏の指導は柳生力先生とのことだ。この有本瞳日月先生や柳生力先生のような優れた指導者は存在したのであろう(柳生先生の授業は研究者になってから一度見せていただいたことがあり、非常に感銘を受けた記憶がある)。しかし、一方で私と同世代の人と話しをすると、学校の「授業」できちんとした器楽の指導を受けたという話しはほとんど聞かないのである。現在の大学生に話しをきいても似たり寄ったりである。

私は「危機」という言葉にほとんど実感がない。むしろ、現在が「危機」というほど、器楽教育(実は「音楽教育」全般なのかもしれない)はまともには行われてこなかったのではないか。ほんとうにごく一部の子どもだけが、有本先生や柳生先生のような実践の恩恵にあずかれたのであって、多くの子どもはカヤの外におかれてきたのではないか。そしてそれは今も昔もかわっていない。このように思えてしかたがないのである。

第二は、こちらのほうが私にとって重要なことなのだが、小学校や中学校で音楽教育を受けた時代が、そしてさらには音楽教育研究者になってからの時代が、もうすでに音楽教育史の対象になってしまったことだ。逆に言えば、この音楽教育がたどってきた過去と現在に対して自分も少しは責任を負わなければならないということだ(若い研究者は未来だけに責任を負えばよいのだが)。

「私は何をしてきたのか」と考えると気が重くなってきた。

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