入試犯罪
京都大学などでの掲示板を利用した不正入試。驚くというより」不愉快な事件である。どのような方法でメールを送ったのかはわからない。私も自分の大学で入試監督はしたが、とても携帯電話を使えるような状況ではなかった。京大の監督官が甘かったということはないだろう。おそらくだれも予想できないような方法でメールを送ったり受けたりしたのであろう。
これから通信技術が進めばいくら監督を強化しても、完全に防ぐのは無理なような気がする。それよりも、こういうことをやる若者の存在そのものが不愉快である。
京都大学などでの掲示板を利用した不正入試。驚くというより」不愉快な事件である。どのような方法でメールを送ったのかはわからない。私も自分の大学で入試監督はしたが、とても携帯電話を使えるような状況ではなかった。京大の監督官が甘かったということはないだろう。おそらくだれも予想できないような方法でメールを送ったり受けたりしたのであろう。
これから通信技術が進めばいくら監督を強化しても、完全に防ぐのは無理なような気がする。それよりも、こういうことをやる若者の存在そのものが不愉快である。
臨時収入があったので、2つの買い物をした。一つはWimaxへの加入。まだまだと思っていたが、サービスエリアがかなり広がっている。いろいろ考えて慣れ親しんだNifty と契約した。1年契約で月額3591円だが、キャンペーンとかで、1000円でバイルWiFiルータが買えた。モバイルWiFiルータとはいわば移動式無線LANルータのようなものだ。
インターネット ←無線→ モバイルルータ ←無線→ 端末機器(パソコン・モバイル機器)
このルータをかばんやポケットに入れておけば、どこからでも(サービスエリアなら)インターネットにつながる。さっそく便利なことがあった。
そしでついでに買ったのが、iPod touch 32G。こちらはいわば「携帯電話機能のついていない iPhone 」と考えたらよい。上のモバイルルータと組み合わせれば、やはりどこからでもインターネットにつながる。もしろん家の中では家庭用の無線LANにつながる。
だが、それでいったい何をするのかときかれるとちょっと困る。まあ、おもちゃですね。
おもちゃのチャチャチャ、おもちゃのチャチャチャ、チャチャチャおとなのおもちゃ である。
ブログも見ていらっしゃるかたはおわかりだろうが、私はワープロの入力ミスが多い。実は、原稿を書いてもミスがかなりある。ちゃんと見直せばよいと言われる。しかしミスに気づかないから、いくら校正をしてもミスがのこる。
今回出版される本では、2度の私の校正のあとプロの校閲が入った。ゲラが戻ってきたのだが、真っ赤だった。そしてどれも納得できるものだった。プロの仕事に感心すると同時に、かなり恥ずかしいと思った次第。
。
一昨日、学部の教員でつくっている関西学院大学教育学会で発表した。内容はともかくとして、発表で大失敗をしてしまった。ようやく慣れてきた Mac でプレゼンテーションをしようとしたら・・・・。(あまりにも恥ずかしくて書けない)。あとで冷静になって考えたら簡単なことだったのだが。結局、プレゼンテーションなしで発表した(詳しいレジュメを用意していたのでなんとかなったが)
実は、プレゼンテーションにはいろいろな仕掛けをしていたのだが、見せられなくて残念(泣)
そうして、昨日はもっと恥ずかしいことが・・・・
NHK 朝の連続テレビ小説「てっぱん」
毎日欠かさず観ている。もちろん朝8時から観るひまはないので、ビデオにとっている。といってもHDだから簡単である。
わたしなりにキーワードを取り出すと
「てっぱん」(鉄工所・お好み焼き)
「家族」(産みの親・育ての親・兄弟・同居人)
「音楽」
見所はたくさんある。そしてけっこう泣ける。ギャグもあるので笑える。
ただ、ちょっと気になることが一つ。それは、葉加瀬太郎のつけている音楽
バックに聴き慣れた旋律が出てきて、「ああ、あれを使っているな」と思った瞬間その旋律が別の方向へすすむ。はぐらかされたような気持ちになる。どうせなら、そのまま使えばよいのに・・・・
ネットで結構話題になっている。私は「○○○」とまでは言わないが、ちょっと興ざめ。
昨日は2月14日、バレンタインデーだった(そうだ)。ということとは無関係に3日ほど前から歯がいたい。左上の一番奥の歯がぐらぐらしている。
がまんができなくなったので、歯医者に行ったら歯全体がかなり重度の歯周病だといわれた。このままいくと歯が全部抜けてしまうので、手術が必要かもしれないともいわれた。つまり歯周ポケットがかなり深くなっているのでそこに汚れがたまって菌が繁殖しやすくなっているということだった。ああ、きたない。想像しただけでぞっとする。
とりあえずは朝晩ブラッシングをきちんとしなさいといわれた(私は朝しかしない。夜は酔っぱらっているので忘れるのだ)。それから1日1回歯間ブラシを通しなさいと言わて、大小2本の歯間ブラシをもらって帰ってきた。昨晩さっさくやってみた。気のせいか歯がきれいになったような気がする。
やっぱり手術まではしたくない。それい老い先も短いのでそこまでする必要はないような気もする。当分は歯石を取ってもらったりしながらゆっくり治療していこうと思っている。
Mac にかなりなれてきた。というより快適になってきた。
なんと言ってもヒラギノというフォントが美しい。
いろいろ改善した。
・Office for Mac のインストール
Word エクセル パワポは絶対必要なので
ただ、これらのソフトてヒラギノを使いその文書を他の人と共有しようとするとややこしいことがおきる。PDFに変換しても問題はおきる。テクニックが必要だ。
・TeX のインストール
研究では数式を使うので絶対に必要。かなり苦労したが、奥村晴彦『Latex2e 美文書作成に入門第5版』の付録DVD からインストールした。
もちろん、Windows for Mac などというそういう邪道は使わない。
ここで困るのは、「一太郎」である。実は私は頑固な「一太郎」ユーザーなのである。
しかし、思い切ってさよならすることにした。これまで作ってきた膨大な文書ファイルは使うときに rtf に変換すればなんとかなる。
まだ、共有プリンタの設定とかややこしいことがいくつかあるが、なんとかなりそうだ。
大変なことになってはいるが、「何をいまさら」という感じがしなくもない。相撲は興行。中にはそういうこともあるだろう。
「ありゃあ、ぜったい八百長だよね」
「そりゃそうだ、でももう少し上手にやったらいいのにね」
「今の勝負いくらだろう」
「ああ、横綱が負けた」
「相撲界の将来を考えたんだね」
「新しいスターつくらないといけないから」
少し通なら、こんな会話はどこでもしていたのではないか。
それも想定内で楽しんでいたのだが。
全部を白日のもとにさらしてしまったら大相撲そのものが終わる。
別にいいが、魁皇はもう見られないかもしれない。
恥ずかしながら3月に著書が出版される。大学の研究助成で関西学院大学出版会から「関西学院研究叢書」として出版される。その宣伝のために(?)、出版会が定期的に出している「理(ことわり)」というPR誌に原稿を書かせてもらった。
毫も異なる所なし 〜伊澤修二の音律論〜
本書でいう「音律」とは「音楽で使用する音の高さの相互関係(音程)を数量的に確定するための理論及びその理論によって導き出された数値(理論値)、または実際に音楽で使用されている音の高さの相互関係(実測値)」を意味する。
明治五(一八七二)年に明治政府は学制を制定する。学制には、小学校の一教科として「唱歌」が置かれていた。しかし「当分ノ間之ヲ欠ク」という但し書きがあり、唱歌教育はすぐには実施されなかった。実施されなかったこの唱歌教育を実施するために、明治十二年に文部省の下に設置された研究機関が伊澤修二を長とする音楽取調掛であった。
音楽取調掛は、唱歌教育の実施に向けてさまざまな事業や研究をすすめていったが、その研究の一つに「内外音律ノ異同研究ノ事」すなわち日本音楽と西洋音楽の音律の異同に関する研究があった。そして両者の音律は完全に一致していると結論づけ、さまざまな根拠をあげながらこのことを国内外にアピールした。
本書のタイトルである「毫モ異ナル所ナシ」は、伊澤修二が音楽取調掛の初期の事業成果報告書である『音楽取調成績申報書』の中で、音律の完全一致を主張するために頻繁にもちいたフレーズである。そしてその後の音楽取調掛の事業はこの音律の一致を前提にすすめられていった。
しかしながら、日本音楽が西洋音楽の影響を受けた現在でさえ、日本の伝統音楽の音律が西洋音楽の音律と一致していると断定するのは躊躇する。当時来日して日本音楽をきいた外国人の証言とも矛盾する。また、伊澤の提出した根拠にもさまざまな矛盾がみられる。音律の一致は事実ではなく、一つの政策だったのではないか。
本書は伊澤が示した音律一致の根拠を検証しつつ、その根拠が妥当なのか、なぜここまで音律一致にこだわったのか、音律の一致を主張することによって何を目指していたのかについて探る。そこから、現在の音楽教育のかかえる問題も見えてくる。
1日〜7日は入試週間である。そのうち2日間は試験監督があたっている。ほぼ1日拘束される。
最近は入試の監督に対してはいろいろ厳しい注文がある。刺激的な服装をしてはいけない。監督者同士が私語をしてはいけない。読書などをしてはいけない。居眠りをしてはいけない。試験室の外に出てはいけない・・・・当たり前のことではある。だからといって受験生の間を歩き回るのも迷惑だ。結局、業務を一生懸命やる意外以外にない。
しかし、この監督をしている時間の進行の長いこと。時計を見る。それからしばらくして時計を見る。1分しか経っていないこともある。この時間だけはずいぶん長生きしているような気がする。私のような人生も残り少なくなった人間にとってはありがたいことである。
しかし、この長生きしているように感じるのは、その時間だけであっておわってしまうとやはり「アッというまに過ぎてしまった時間」なのである。いや、日常の充実した時間(あまり少ないが)を過ごしている時よりもはるかにはやく過ぎてしまたような気がする。
2日のうち1日はこなした。あと1日である。
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