恥ずかしい!
ゴミの収集日には、出勤する際にゴミを持って出る。居住しているマンションのゴミ置き場に置いていくだけだから簡単である。
ところがこの日は考えごとをしながら家を出た。5分くらいで駅なのだが、駅のそばまで来てまわりの人の視線が気になった。みんな私を見て怪訝な顔をしている。気がついたらゴミ袋をしっかり手に持っていた。
あとは・・・・・・
そのゴミがどうなったか?
ご想像におまかせします。
ゴミの収集日には、出勤する際にゴミを持って出る。居住しているマンションのゴミ置き場に置いていくだけだから簡単である。
ところがこの日は考えごとをしながら家を出た。5分くらいで駅なのだが、駅のそばまで来てまわりの人の視線が気になった。みんな私を見て怪訝な顔をしている。気がついたらゴミ袋をしっかり手に持っていた。
あとは・・・・・・
そのゴミがどうなったか?
ご想像におまかせします。
原子力安全委員会の斑目春樹委員長。原発事故が起きた時からこの人の言動について取りざたされてきた。インターネット上の意見の中には「投獄せよ」という過激なものまである。
私は、その分野の専門家ではないのでこの人の過去の責任についてはまったくわからない。今回の「海水注入による再臨海の可能性」について言ったかどうかも、文字通り水掛け論になってしまって、なにが事実だかもわからない。
しかし、私にも一つだけわかることがある。
斑目氏は報道陣に対して次のように述べている。
「そんなことを言ったら私の原子力専門家の生命は終わりだ。名誉毀損(きそん)で冗談ではない」
また、辞任要求の声には
「辞めたら末代までの名折れ」
と応えている。
どうもこの人は、原発危機よりも、自分の「名誉」や「名」のほうが重大ごとらしい。この言葉をきいただけでこの人ではダメだと思った。
NHKスペシャル「くじらと生きる」を観た(22日22時)。
番組の案内には次のように書かれている。
400年以上も前から鯨を糧に生きてきた和歌山県太地町。人口3400の小さな町が今、国際紛争の舞台となっている。2010年9月から海外の反捕鯨団体 が常駐し、抗議活動を展開しているのだ。きっかけは、アカデミー賞作品となった映画「ザ・コーヴ」。欧米を中心に太地の鯨漁への非難が高まった。生活の糧 と、自分たちの生活そのものを否定された漁師たち。異なる価値観のぶつかり合いのなかで揺れる人々の半年を見つめた。
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2011-05-22&ch=21&eid=26101
それにしてもひどい。反捕鯨団体とは、シー・シェパードのことだが、実際に小さな漁港にやってきて物理的な妨害活動をする。まるで暴力団である。地元の人たちは彼らの挑発に乗らないようにじっと我慢している。我慢ができなくなって爆発しそうな人を年配の人がなだめる。
漁民に向かって平気で「死ね!」という言葉をあびせる。鯨やイルカの命よりも日本人の命が軽いと言っているようだ。さらに鯨を処分する場面を隠し撮りし世界に配信する。まさに、目的のためには手段を選ばずである。
残念なことだが、彼らをいくら説得してもしかたがない。彼らは分かろうとしない人だし分かりたくない人だからである。それに、彼らは世界中の企業や団体から金をもらって妨害活動をくりかえすいわば職業的テロ組織である。
また、彼らは日本人ががま強い国民であることも、彼らに対して軍事力を行使できないことも全部計算に入れてやっているのだ。対処する方法はないものか。
軍事力の行使はおそらく彼らの思うツボだ。それで日本を世界から孤立させることがねらいだからだ。一時的に捕鯨をやめるという意見もある。鯨を食べなくてもなんとかなる。ただ、それで太地町の人々があまりにもかわいそうだ。また捕鯨をやめれば、こんどはその攻撃がマグロ漁やカツオ漁に拡大してくることは明らかである。
結局、国際的世論をつくり政治交渉によって彼らの資金源を断ち切るしかないだろう。ただ、それまで時間がかかりすぎる。それまでに一泡吹かすアイデアはないものか。
橋下大阪府知事の率いる大阪維新の会が、卒業式等で国歌斉唱の際に起立しなかった教員を懲戒免職を含む処分とする条例を9月府議会に提案するという。教育長が校長を通じて職務命令を出し、それに従わなかった教師を職務命令違反として処分するということになる。
国歌斉唱で教師が起立しない教師が存在することが学校教育にとってそれほど重要な問題か。起立しなかったことで教師としての資格が問われるような問題か。
「君が代」はすでに国歌として法制化されている。学習指導要領でも「歌えるようにすること」と明記されている。だがら、学校現場のさまざまな儀式に「君が代」が登場することに異は唱えない(学習指導要領の通りに音楽の授業をしていない教師はいくらでもいる)。
しかし、「君が代」を国歌としてはどうしても認めたくない、歌いたくないという教師がいてもまったく不思議なことではない。まさに日本が民主主義国家である証左である。そのような教師が一人もいない国がいいのか。そのような少数者を認めない国をめざすのか。橋下知事が常日頃批判しているような隣国のような国にしたいのか。
起立したくない、歌いたくない教師がいてもよいではないか(当たり前のことだが、国歌の教育に熱心な教師がいてもよい)。それに、起立の拒否は、「君が代」を歌いたくないことの積極的な表現ではない。強制されるからそうせざるを得ないという消極的表現に過ぎない。
この条例が成立したら、卒業式でどんなことが起きるのだろう。教育委員会の職員が、起立していない教師がいるかどうかを、国旗に背を向けてチェックするのだろうか。あるいは、教師席に向けて監視カメラが設置されるのだろうか。このほうが、起立しない教師の存在よりもよほど異常である。
大相撲の千秋楽では、「ご起立ください。前奏に引き続きご唱和ください」とアナウンスされる。これが普通の感覚というものである。学校の儀式もこれでよいではないか。
土曜の朝起きたら足が痛かった。左足のくるぶしの下を捻挫したような痛さだった。家が50メートルほどの老先生のいる整形外科へ行った。
原因はわからないが靱帯が少し傷ついているか化膿している、とのこと。どこかでつまずいたとか、打ったというような記憶が何もない。(酔っぱらって忘れたのかもしれないが、前日にはそれほどは飲んでいない)。とにかく、湿布と薬しかない。
月曜は大学に出たのだが最悪だった。多くの人から「足どうしましたか」ときかれた。さいしょは「靱帯を・・・」と丁寧に答えていたが、最後は面倒になって、答えがつっけんどんになった。せっかく心配してくれたのにごめんなさい。
昨日はかなりよくなった(と思った)ので少し歩き回ったのがいけなかったのか、家に帰ると大きく腫れていた。今もまだ腫れている。安静が一番良いのだがそうもいかない。だましだまし金曜日まで乗り越えるしかない。
とにかく新年度に入ってめちゃくちゃ忙しい。
作家の団鬼六(おにろく・・・・わたしは数年前まで「きろく」と思いこんでいた)氏が昨日亡くなった。関学出身だということをニュースではじめて気ついた。
私は、鬼六氏の専門のほうの小説(例えば『花と蛇』)は一冊も読んだことがない。ただし将棋を題材にした本は読んだ。本棚には次の2冊があった。
『真剣師小池重明』(幻冬舎アウトロー文庫・1997)
『鬼六の将棋十八番勝負』(kss・」1999)
前者は、将棋のアマ強豪(将棋ギャンブラー)、小池重明の破天荒な生涯を描いたノンフィクション小説。後者は、林葉直子(当時女流棋士)、大山康晴(故人、十五世名人)、羽生善治(当時四冠)らに挑んだ自戦記である。
なんと、鬼六氏はこの将棋で、大山十五世名人、羽生四冠に勝っている。もちろん平手ではなく飛車落ちだが、それでもこの二人を負かすのは大変なことだ(多分私は4枚落でも勝てない)。
将棋の他にもう1冊
『ただ遊べ帰らぬ道は誰も同じ-団鬼六語録』(祥伝社・2009)
これはタイトルのとおり「語録」である。めちゃくちゃおもしろい。
その中から好きな言葉を一つだけ
お銚子なら一本半とか、水割りなら薄め二杯とか、そんな風に計算して自分の肉体を庇いながら酒を飲める酒飲みがいるものか。
大学や高校の同級生のほとんどは、この3月に定年を迎えているはずである。60歳定年というのは、それなりに合理性があるのではないかと思う最近。体力が急に落ち込んだような気がする。ただ、被災地のことを考えるとこんなことは言っていられない。
前に書いたように、この三連休のうち3日、4日は授業実施日。
今日は、2限と5限が授業、明日は1限、2限が授業で5時から8時頃(たぶん)まで会議の予定。
木曜日あたりからまったく休んでいないような気がする。少し疲れてきた。トシかな?
最近のコメント