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久石譲

大阪城ホールで開かれた「久石譲 3.11チャリティーコンサート THE BEST OF CINEMA MUSIC」に行ってきた。聴衆は1万人くらいだったろうか。大阪城公園駅前から人、人、人。

久石の音楽をつけた映画作品の映像をスクリーンで映し出しながら、久石自身が大編成のオケと合唱を指揮するというもの。曲目は次のとおり

風の谷のナウシカ
もののけ姫
THE GENERAL
譲子弾飛
太陽照常升起
BROTHER
HANA-BI
キッズ・リターン
ハウルの動く城
おくりびと
千と千尋の神隠し
菊次郎の夏
悪人
崖の上のポニョ

久石の作品については皆さんご存知の通りなので書かないが、コンサートの問題が二つ。

・仕方ないことかも知れないが、マイクとスピーカーを使用していた。そのためかピアノの音がまるで電子ピアノのように安っぽくきこえる上に、とくに300名ほども集めたらしい合唱団の声が台無し。なんとかならなかったものか。ロックコンサートのようで。
最後は頭が痛くなってしまった。

・映像と音楽のリンクの試みだが、この状況の中で北野作品や「悪人」の暴力・殺人シーンやベッドシーンを見せるのはいかがなものか。子どもたちも参加しているし、子どもの聴衆もいる(私は北野作品そのものを1つも評価しないので、そう思うだけかもしれないが)。

もちろんチャリティーコンサートなので、私が支払った入場料が一部でも役に立てばよいので、コンサートそのものの趣旨には反対しない。ただ、他の聴衆の方のように、スタンディング・オペレーションをする気にはならなかった。欲求不満と後味の悪さだけが残った。

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授業で、共通教材を取り上げようとしてハッとした。

共通教材には、海に関する歌が3曲ある。

1学年「うみ」、5学年「冬景色」、6学年「我は海の子」

中学校の共通教材にも「浜辺の歌」がある。

どれも、海を肯定的にとりあげた歌詞である。しかし、今、これらの歌を歌わせるのは躊躇する。小学校や中学校ではどうするのだろう。

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青春の影

最近耳に残るセブン・イレブンのCM

音楽は、チューリップの「青春の影」(財津一夫作詞・作曲)。1974年発売だが、古くさくない。
財津の曲は若い頃はあまり好きでもなかったのだが、歳を取るにしたがっただんだん好きになってきた(中にはどうしようもない駄作もあるが)。この曲はとても気に入っている曲の一つ。おそらく同世代の多くの人に指示されているのだろう。「さぼてんの花」とともにドラマやCMの挿入歌として何度も使われてきた。

自分の大きな夢を追うことが、今までの僕の仕事だったけど
君を幸せにする、それこそがこれからの僕の生きるしるし

若いころ、一度こんな言葉言ってみたかった。

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めだかの学校

昨日は、3回生に対する第1回の事前指導。

関西学院大の教育学部には附属小学校がないので、ほとんどの学生がこの秋に公立学校で実習する。事前・事後指導は、それぞれ2日(1日2コマ)ずつで計4日8コマ、内容は実習生全体を対象にした講義と、約13〜4名程度のクラスに分かれた分級指導である。私はその1クラスを担当する。

昨日の2コマは、全体講義で、1コマ目は実習の心構えなどについて I の先生お話と実習支援室からの注意。そして2コマ目は学習指導案についての S 先生のお話。S 先生のお話は、指導案のポイントが押さえられている上に、授業の場面や教材お事例に即したとてもわかりやすく、私自身がとても勉強になった。

その話の中で、「『めだかの学校』になっていはいけない」いけない」というお話しがあった。つまり、童謡の「めだかの学校」(茶木滋作詞、中田喜直作曲)の歌詞のような「誰が生徒か先生か」になっていはいけない。つまり教師は教育内容をに理解し、教材や方法をきちんと準備していなければならないということを言われたのである。当然のことである。

その時、私は学生時代に受けたある教育学の講義を思い出していた(内容はほとんど忘れたが、こお部分は妙に印象に残っている)。

私がかつて学生時代に教えられた教育学(40年ほど前)では、「めだかの学校」は、戦前の学校の象徴としての「すずめの学校」(清水かつら作詞、弘田竜太郎作曲)との対比でとりあげられていた。 「すずめの学校」(すずめの学校の先生はむちをふりふりチイパッパ) が軍国主義の学校、「めだかの学校」は戦後民主主義の学校という訳である。

しかし、「すずめの学校」は大正10(1921)年作、戦前の中では軍国主義とはもっとも遠い時代である大正時代に生まれた歌である。これを軍国主義と結 びつけるのには無理がある。また、S先生が言われるとおり、「誰が生徒か先生か」という状態は学校の在るべき姿ではない。時には鞭(教鞭)をふることも大切である(音楽ではタクトを振る)。

歌で二分化できるほど現実は単純ではない。

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多数決を避けてはいけない

組織が意思決定するさいの方法の一つとして多数決がある。子どもの頃から、民主主義のイロハとしてこの方法を学んできた。ところが、実際の社会では、大学の教授会をはじめとして、会議などで多数決が採用されることはほとんどない。それにはいくつかの理由があるようだ。

1 多数決よりも全員合意(なぜか「コンセンサス」という横文字が使われることが多い)で事を進めることが望ましい。

2 少数者の意思を尊重すべきた。

3 執行部(または委員会)の時間をかけて準備した提案が、多数決によって否決されるこ
とによって混乱がおきる。

これらの理由はどれも間違っている。

1 現に反対意見があるときに全員合意などはありえない。「合意」というのは結局「反対者はいなかった」とみなすことにはかならない。

2 少数者の意思を尊重するということは、少数者が存在したことをきちんと記録に残すことである。多数決をしなければ少数者は存在すら否定されたことになる。

3 これは、反対者の意見が無責任であるという前提にたっている。しかし、いくら無責任な反対意見であろうとも、多数の反対意見があるままの決定が順調に遂行できるはずがない(提案のどこかが間違っていたと考えるべきでる)。仮に無責任であったとしても、過半数がそれを選んだのであればそれはそれで仕方がない。その程度の組織であったということだ。

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