年末
いよいよ大晦日である。日本全体にとって散々な年だった2011年がやっと終わろうとしている。多くの不幸なできごとが続く中で、自分がいかに幸せな日々を送っているかを認識した年でもある。個人的にはよく働いた年でもある。
今日は1日ゆっくり1年間の反省をする。
みなさん、お世話になりました。来年は良い年でありますように。
いよいよ大晦日である。日本全体にとって散々な年だった2011年がやっと終わろうとしている。多くの不幸なできごとが続く中で、自分がいかに幸せな日々を送っているかを認識した年でもある。個人的にはよく働いた年でもある。
今日は1日ゆっくり1年間の反省をする。
みなさん、お世話になりました。来年は良い年でありますように。
ラス前。今年もあと2日。2013年まで、あと368日。
一昨日は、研究室の大掃除。昨日は自宅の勉強部屋(兼物置)の大掃除。大掃除といっても、やったことは、紙類(とくに印刷物)の処分。電子媒体が普及するので、オフィスから紙がなくなるだろうという予想を盛んにしていたの1980年代。ところが、印刷物はむしろ増える一方。整理をしてみると実に無駄な印刷物ばかり。大掃除をするたびに無駄な紙を大量処分することに。
シンプルライフを目指すのだが、うまくいきそうにない。
今日は27日、2012年まであと5日、2013年まであと371日である。
今日は大学へ。
研究室がごみためのような状態になっているので、大掃除をするつもりである。
(一日で終わるかな)
追記
しまった! 今日は28日だった。1日がどこかに消えた。26日の記憶がない。
私は福岡県生まれの福岡県育ちだが、実は本籍は高知県高知市である。31歳の時に高知に赴任し、その時は高知に永住するつもりだったからである。しかし、どうも高知が好きなようだ。リタイアしたら、高知に戻って暮らそうかなどと考えはじめている。
昨日は、ホテルのチェックアウトが11時だったが、バスのチケットの関係で、16時近くまで時間をつぶすことに。
日曜市のある追手筋を通って、私の好きなひろめ市場に。ひろめ市場は私が高知を出たあとにできた施設だが、飲食店が60店ほど入った巨大な飲食市場である。ここにいけば朝から飲める。
ほとんどは店舗だけあって、客はそこで飲み物や食べ物を買って、フリーのテーブルで飲み食いすることになっているのだが、いくつか、カウンターのついた店もある。昨日はめずらしくカウンンターのある店で飲んでいたら、美人の店員さんから話しかけられて話しがはずむ。どこから来たか、何をしにきたかといろいろ聞かれるので、里帰りということにしておいた。とても楽しい話しだった。
「こんなところで酒を飲みながら、気づいたら死んでいた(死んだら気づかないのだが)という死に方ができたら最高に幸せだ」「お客さん、そりゃあちょっと迷惑」などと話していたら、あっというまに時間がたち(この間焼酎水割り4杯、文旦酎ハイ2杯)少し買い物をして高知駅と急いだ。ところが私が時間を勘違いしており、タッチの差でバスに乗り遅れた。タクシーでインターの入り口の停車場まで追いかけてもらって事なきを得た。
というわけで満足した里帰りだった。
いい演奏会だった。昨年よりも人数も増えて厚みがあった。第1ステージの、太田大田桜子作曲「地球のてっぺん」の冒頭で、もう涙が落ちて来た。(この合唱団への思い入れ、そしてこの1年間の日本を襲った出来事を思い出したこともある)。
もっと驚いたのが、この子どもたちの歌好きなこと。打ち上げのパーティーに出席させてもらったのだが、そこでも子どもたちはずっと歌い続けていた。とくに男の子のエネルギーがすごい。また、私がお世話していたころのOBもたくさん来ていた。いつまでも歌を歌い続けているようだ。
私は、子どもの合唱はこのような地域から集まってくるスタイルのほうがよいと思っている。学校のクラブ活動(部活動)は、どうしてもコンクール中心になりやすい。指導の先生にとっても負担になる。中には、3〜4ヶ月の間、ほとんど同じ曲(課題曲と自由曲)ばかり練習する(させる)学校もあるときく。こうなってくると音楽とは別物の活動をやっているような気もする(それに教育的意義がないわけではないが)。
今日は高知に来ている。昔お世話をしたことのある少年少女合唱団の定期演奏会を聴くためである
第1期から8期までお世話したのだが、今年は27回目の定期演奏会ということだ。楽しみである。
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突然だが、趣味の一つである将棋を指すのも棋士を応援するのも終わりにしようと思う。将棋連盟会長である米長邦雄永世棋聖が、さしてスペックもよくないコンピュータ・ソフト「ボンクラーズ」に簡単に負けてしまったからである。You-Tube にその様子が出ている。
自転車や自動車が生まれても陸上競技に価値があるのは、それが「人間の体力」の限界に挑戦する競技だからである。しかし「コンピュータが生まれても、将棋は「人間の知力」の限界に挑戦するゲームだから将棋には価値がある」とは言えない。コンピュータそのものが人間の知力の結晶だからである。知の限界に挑戦するためにコンピュータを使ったか使わなかったで価値が高くなったり低くなったりするわけではない。研究者が情報収集や情報の整理にパソコンやインターネットを使ったからといって、研究の価値が下がるわけではない。
円周率を手計算して100桁、1000桁導き出し丸暗記して暗唱してみせても、変人扱いはされてもそれがほめたたえられるわけではない。コンピュータにたずねたら最善手がわかることを人間が長時間考えるのは知力の無駄遣いでしかない。
3級程度の実力の人が開発したソフトに仮にもかつて名人を名乗った人が負けるのでは、遊びとしては生き残っても、プロの存在価値はないに等しい。
私にとって、将棋は子どもの頃からのロマンの一つだった。時間(勉強)もお金(本)もつぎ込んだ。しかし、その将棋に今日でお別れ。
(一昨日書こうとしていたこととは違います)
昨日は、タイトルだけだった。本文も書いたのだが、どういうわけかアップされていなかった。それで、私に何かあったのかという心配のメールまでいただいた。昨日書いたことは今日になってはまったく意味がないので、とりやめ。一応レスがついたので、タイトルだけは残しておく。
今日は12月23日。いろいろな意味がある。
祝日だが、私の大学は授業日である。1月9日の月曜が祝日なので、今日は月曜日の代替日。成人の日だけは、授業日とするわけにはいかないだろう。なにしろ主役がいるので。
天皇誕生日である。78歳になられたそうだ。天皇制がどうこうという問題は別にして、私はこの天皇皇后ご夫妻は文句なく好きだ。震災の被災者を訪問したとき、きちんと被災者の目の高さまで姿勢を低くして話しておられた(案内役の某知事はその後ろで立って見ていた)。こういう姿を見ると、天皇というのもまだまだ日本では必要な存在と思ってしまう私は変節者なのだろうか。まだまだお元気で。
1948年12月23日 東條英機らA級戦犯7名が巣鴨プリズンで絞首刑。A級戦犯を擁護する気はさらさらないが、平和に対する罪、人道に対する罪は明らかに事後法である。それが成り立つなら、東京大空襲も、原爆投下も、シベリア抑留も裁かれるべきである。そして12月23日が将来天皇誕生日になることもわかっていたはずである。連合国のいやがらせだったのか。
1977年12月23日。長女が生まれた日である。難産だった。当時は、男は何もさせてもらえなかった。約12時間ほど、ただ病院の廊下でオロオロしているだけだった。それだけに、長女をはじめて見たときは感動的だった。もう、34年前のことである。
甲子園ボウルに行ってきた。アメリカン・フットボールを生で観たのは初めて。快勝だった。
帰りは孫のクリスマスプレゼントの買い物。3人分だとサンタも楽じゃない。プレゼントもらえない子どもがいることも教えないといけないとも思うが、まだそんな年じゃないと自分に言い訳してつい甘くなる私は、ただのじいさんである。
年賀状の受け付けがはじまったそうだ。こんな時代に「おめでとう」と言えるのかどうか迷っている人も多いそうだ。私は、迷いも悩みもしない。もう20年以上、基本的に年賀状は出さないと決めているからである(転任などの変化があった時だけ出す)。
年賀状を出すということは、付き合いのある人に軽重をつけることになる。無限には出せないから、相手を選ぶことになる。みんな私にとってかけがいのない人である。。
出さなくても年賀状をくれる方がいる。こういう人には返事の賀状を出したほうがよいのかも知れない。しかし来たら出すというのも偉そうだ。年賀状を出していた頃、「早々の賀状ありがとうございました」いう添え書きのある賀状が来たが、あまりいい気持ちはしなかった。
賀状を出そうと思うと悩みが増える。デザインをどうするか、誰に出すか、いつ宛名書きをするか。結局、出さないのがよいという怠け者ならではの結論に達する。
「失礼な奴だ」と思われているかもしれないが、それならそれでしかたがない。私がそう思われるのはしかたがないが、私は賀状を下さるか下さらないかによって人の判断をしない。今年は、一切出さない。
というわけで、どうか私には賀状を下さいませんように(何か変わったことがありましたら、メールでお知らせください)。無精の言い訳でした。
学生の頃、井上陽水の「人生が二度あれば」という歌がはやっていた。
50歳くらいまでは、「人生がやり直せるなら」ということばかり考えていた。若い人がうらやましくてうらやましくてしょうがなかった。青年の頃は子どもがうらやましかった。
あの時もっと勉強していたら。あの時もっと練習していたら。あのときあんなことにハマらなかったら。あの時もっと研究に打ち込んでいたら。
いつも後悔しながら生きてきた。怠け者であることを悔いていた。悔いる人生は、すでに中学生の頃から始まっている。何度も何度もそう思いながら人生を送ってきた。
しかし、その時に本当に悔いるなら、次の日から、その日から、その時から「時間を大切に努力する」生活に切り替えるべきなのである。それができる人間は少ない。たいていは、「明日から」「来週から」「来年から」と先送りにし、気がついた時には年ばかり重ねているのである。「いつか」と思っているうちに、人生の大半が終わてしまうのである。それが怠け者というものである。
ある時から、「人生をやり直したい」とは思わなくなった。やり直しても、この怠け者の自分は、おそらく同じように怠け者の人生を送り、同じ失敗を繰り返すだろうと思うようになったからだ。後悔をしたらその時から自分を変えることのできない人間は、人生を何度やり直しても自分を変えるのは難しい(私は若い人に教訓を垂れるのは苦手だが、これだけは自信を持って言える)。
という怠け者でも、なんとか幸せだと感じる人生を送っている。それは、おそらく私たちたちが生きてきた時代がよい時代だったことと、たまたま不幸な事態に巡り会うことがなかったからである。人生やり直したらもっと厳しい時代に生きなければならないし、どんな不幸なことにめぐりあうかもしれない。第一やり直しなんて面倒である。
「団塊の世代」(広い意味では私もその一員である)。全体としては最も幸せな世代である。学生時代に無法の限りを尽くした人も、私のような怠け者もそれなりに平穏な人生を送っている。この幸せな世代は、次世代のために何をすべきなのか? (天から「退場せい!」という声が聞こえてくる)。
先日、文化情報「赤穂」という地域情報誌が送られてきた。A4版8頁のミニコミ季刊誌だが、赤穂のことがよくわかる。この情報誌に「はなしのポケット」というコラムがある。最新号のこのコラムは、神戸新聞編集委員の田中伸明氏による「ミューズの子、樫本大進さん」。ベルリン・フィルのコンサートマスターの樫本大進氏の話だが、田中氏が幼いころの樫本氏や家族を取材した時のエピソードが書かれている。すごいのは次の箇所である。
彼が頭角を現しつつあったころ、潔子さん(注:大進氏の母・赤穂市出身)に取材していて、教育について相談されたことがある。いわく、「大進が練習しない。この年頃の男の子はみんなそうなんしょうか」。「一日何時間しているいるのですか」と聞く私に、潔子さんは「5時間ぐらいしかしないんです」。私は二の句が継げなかった。
私も何も言うことはない(今日は、怠け者の話を書こうと思っていたのだが明日にまわす)。
実は、この田中氏とは東京時代にある所で知り合って、田中氏の紹介で私もこのコラムを時々書かせていただいている(このブログに書いているようなばからしい内容である)。前世紀、国立教育研究所の芸術研究室長時代からである。赤穂には一度も行ったことはなかったのだが、弘前時代の2003年に、赤穂をはじめて訪れ、赤穂の歴史に詳しい三好一行氏(高光寺住職。音楽に造詣が深く、この方もこのコラムを担当されている)とも親しくお話をさせていただいた。
もう一度ゆっくり赤穂を訪問したいと思っている。こちらに赴任したのですぐ行けると思っていたら、もう3度目の討ち入りの日を迎えてしまった。というわけで、今日は赤穂浪士の吉良邸への討ち入りの日。正確には元禄15年旧暦12月14日(西暦1703年1月30日)である。
今日のテーマは何だったのか?
週末も仕事ばかりしている。(そのつもりだが、少しもことが進まない)
昨日は大学の研究室に夕方までいたのだが、ぼーっとしている時間のほうが長かったような気がする。火曜に出張(文部科学省)があり、明日の夕方から上京するので、今日は自宅で、授業の準備や事務作業をしている。まだ終わっていない(午前中のNHK「将棋の時間」を観てしまったせいもある)。
仕事の効率がものすごく悪い。てきぱきと片付けられない。人にうまくものが伝えられない。物忘れがひどい。ここ数ヶ月、授業を含め仕事が満足できたと思ったことがない。
今は冬休みだけが楽しみだ。
大阪のW選挙の結果について、サンデー毎日(12/18号)の内田樹氏の談話が説得力がある。
「呪いの時代 大阪市民は役人1万2000人のクビ切りを楽しみたいだけ」と題する談話である。教育基本条例について次のように述べている。
一つだけ確かなことは、教育基本条例が実施されたら、大阪の教育現場は取り返しのつかない傷を負うだろうということです。教師の多くは「面従腹背」の構えを取って橋下支配の時代をやり過ごそうとするでしょうし、イエスマンや「虎の威を借る狐」タイプの教員が学校で大きな顔をするようになるでしょう。
現場の信頼関係は傷つき、士気は低下し、何よりも子どもたちが「そんな教師たち」に不審と軽視の態度で臨むようになるでしょう。「スケープゴート」を探し出して「いじめる」ことが社会正義の実現だと信じ、能力の低い人間はどのような劣悪な環境でも感受すべきだと、と思いこむ子どもたちが組織的に生み出される悪夢のような光景を僕はおそれているのです。
もっともだと思う。しかし、考えてみると大阪のことは他人事ではない。我が学生たちの多くは、大阪から通っている。大阪で教師を希望する学生もたくさんいる。この事態の中で学生には何を言ってやればよいのか。
「相対評価でSがとれる教師になれ!」とは口が裂けても言えない(絶対評価ならまだしも)。
だからといって、維新の会批判だけでは何もはじまらない。
今のところは、「とりあえずは採用試験がんばれ」としか言いようがない。(何十年もの間自分は一体何を勉強してきたのだろうと思う)。
「移動ド」問題。
「適宜移動ドを用いる」のために混乱はむしろ広がったようだ。
双方が自己主張するばかりではなく、本当に現実的な議論が必要になっている。
解決するには次のどれかを選ぶしかない。
1 移動ドを徹底する。(ドレミを階名としてのみ使用する。音名としての使用法は禁止する)
2 固定ドを原則とする。(ドレミを音名として使用する)
3 「ドレミ」の使用を一時的に留保し、音名(イロハまたはABC)のみを使用する。
2をディベート風論題になおせば次のようになる。
論題:文部科学省は、「移動ド唱法」を廃止し、「固定ド」に統一すべし。
プラン
(1)イロハ音名を廃止しドレミを音名として使用する。
(2)「ドレミ」を階名として使用するすることは禁止する。
(3)幹音は「ドレミファソラシド」と呼ぶ。
(4)派生音はド#、レ#、ミ♭のように幹音の音名に#♭をつける(音名唱する場合には、#や♭は省略してもよい)。
(5)音部記号は、「ソ音記号」「ファ音記号」のように呼ぶ。
(6)調名は、ド長調、ファ長調、シ♭長調、ファ#短調のように呼ぶ。
(7)コードネームを日本語に訳す場合は次のように表記する。
C 「ド」 メジャーコード
Cm 「ド短」 マイナーコード
C7 「ド7」 セブンスコードメリット
(1)音名にドレミとイロハが二種類あることによっておこる混乱を解消できる。
(2)ドレミを音名と階名の両方に使っていることによって起こる混乱を解消できる。
(3)教師にとって教えやすく、子どもとってわかりやすい。
今から18年前、地方の国立大学(助教授)から国の研究所に転任した。「国のために働きたい」と本気で思ったからである(若さによる過信もあったが)。高校、中学校に入学したて、小学生の子もいたので単身赴任だった。給与は教育職から研究職への転任だったのでガクンと落ちた。諸手当(地域手当等)を入れてやっと元通りというところだった。
とりあえず住む家がなかったので、公務員宿舎を希望したら、国立大学の単身赴任者用の宿舎があてがわれた。6畳一間、キッチン、トイレ、風呂場が共用で「宿舎」というより寮のようなものだった。40男にとっては「ミジメ」きわまりない生活だったが、家賃が安いのでがまんした(ミジメは学生時代から慣れている)。二重生活なので経済的には大変だったし、民間のアパートを借りて家賃を払うゆとりがなかったのである。
そのうち、娘や母親といっしょに住むことに(住まねばならなく)なった。少し広い公務員宿舎を希望したら、東京都の一番北にある3LDKの宿舎があてがわれた。当時で築30年くらいたっていたが、内装はきれいにしてあり場所も良かったので満足していた。宿舎費は当時で36000円だった。民間のアパート・マンションなどと比較すると格安であろうが、依然として二重生活だった私には苦しかった。民間の宿舎を借りて住めと言われたら途方にくれていた。こういう宿舎があったからこそ、安心して仕事ができたのである。もちろんこのような宿舎が与えられていることを公務員の当然の権利だと思っていたわけではない。高い家賃を払って生活している人も知っていたので、多少のうしろめたさは感じていた※。
私と同じような条件で、中央の機関で働いている国家公務員は今でもいる(そういう人を知っている)。私のように都内の宿舎があてがわれればいいほうで、千葉県や埼玉県から2時間近く時間をかけて通勤する人もいる。「公務員宿舎は必要ない」という議論は暴論である。適切な質・数の公務員宿舎が必要である。質と量を問題にすべきなのである。
公務員宿舎が25パーセント削減が発表された。削減はよいとしても本当に必要な宿舎もある。企業にも宿舎はある。宿舎がない場合には一般の住宅借り上げて社員用宿舎にしている企業もある。マスコミ関係者はごく一部のことをとりあげて「公務員宿舎廃止」を主張する※※。本当に公務員の給与水準や仕事の質・量が分かって言っているのだろうか(たいていは激務である。あまりの激務に体をこわす人もいる)。政治や社会全般に対する不満が積もってくると、攻撃の矛先をどこかに向けることになる。「公務員バッシング」はその一つであるようだが、そんなことをしても何も解決しないと思うのだが。
※その宿舎には7年ほど住んだが、出るときに現状回復費として80万円ほど払った。7年も住めば、内装、キッチン、風呂のステンレスなど全部一律張り替えとなるので、どんなに大切に使ってもこのくらいはかかるそうだ。ショックだった。
※※推測だが、マスコミ関係者や、マスコミに登場して公務員バッシングをしている評論家諸氏は、平均的な公務員より高水準の生活をしている。
眼鏡を変えることにした。遠近両用を使っているのだが、近視のほうが年々弱まり、遠視が強まってきている。ついでに、「ふち」(「フレーム」というそうだが、おじさんはそんな言葉は使わない)も変えることにした。少し値段の高い(私にしては)ものにした。
めがねだけでなく、基本的に最近は少し高めのもの(以前よりという意味である。ブランドものは嫌いなのだ)を買うことにしている。理由は、当該品の買い物は、生涯最後にしたい、つまり死ぬまで使いたいからである。あと数年たてば、年金生活に入る。その先は短い。買い直すのは大変だし、買ってもそれがいつまで役に立つのかもわからない。
自分の身の回りのものを見渡すと、ほとんどが使い捨て仕様、つまり安物である。スーツ(ほとんど着ることはないが)、鞄、くつ、時計、小物、家具、文具・・・・・・・。安物を買って使い捨てをしてきたわけだが、これが経済的だっかどうかというと自信がない。
ようするに、これからの買い物は一生(あと10年ちょっとは生きたい)使えるものをというのが基本方針である(そういえば、一生住むための家がない)。
しかしコンピュータや携帯電話を一生使うのは難しそうだ。どれだけ大切に使ったとしても、10年間使えるどうかはあやしい。ただ、その対策はしてある。今のが使えなくなった時点で、使うことそれ自体をやめればすむことである。ネットや携帯電話に依存しない生活。あこがれの生活である。・・・・・・・・話が相当ずれてきた。
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