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あっという間に25年

今回の山口、北九州の旅行は、法事や親類のお見舞いが目的だったのだが、たくさんの親類と会うことができた。そしてそのほとんどが25年会っていない人々だった。祖母、義父が亡くなって以来、会っってなかった人々である。昔話しに花を咲かせた(私のこのブログを読んでくれているいとこもいた)。そしてあらためて故郷は良いものだと感じた。

この25年の間に、亡くなった人もいたが、遠く(弘前)に住んでいたため葬儀に出ることもままならなかった。高校せいだったいとこがすでに結婚して父や母になり、働き盛りだったおじやおばがすでにリタイアして余生を送っている。当たり前のことだ。自分に孫が3人もいる。

昔話をしててあらためて思ったのだが、子どもの時のことは、その一つ一つの場面、一つ一つの会話を細かく覚えている。最近のことはこうはいかない。昨日何を食べたか、誰と会ったかすら覚えていないこともある。

年を取ると時間の経過が速い。その理由は最近のことを忘れやすくなるからである。人生の中で子どもの頃のことは細かく覚えているので1年間でも長く感じる。最近のことはほとんど覚えていないので、10年でも短く感じる。たまに、このブログを見直すが、3年前のことでも忘れていることがある。しかし、ブログを読み返すことで、その時に自分が何を見、何を読み、何を考えていたかがよみがえってくる。

何度か書いたが、時間の流れの速さに抵抗する方法は、記録をとることである。脳みそには残らなくても外部記憶装置に毎日の記録を残すことはできる。ブログはその一つの手段でもある。

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空からの日本

3月24日~25日、仕事及び私事をかねて旅行をした。東京→山口→九州。
日程の都合もあって久しぶりに東京-山口宇部間で飛行機を利用した。空席が多かったので、飛行機の左右の窓側席を行ったり来たりしながら、空の風景を楽しんだ。飛行機はあまり好きではないのだが、このような楽しみもある。

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朝焼けの房総半島(東京湾側から)

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どこから見てもきれいですね。




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受動喫煙防止条例

兵庫県議会で受動喫煙防止条例が成立した。

他人のたばこの煙による受動喫煙を防ぐ「受動喫煙の防止等に関する条例」が19日、兵庫県議会で可決・成立した。民間施設も含めた規制は、2010 年に施行した神奈川県に次ぎ全国2例目。公共性の高い施設では喫煙室の設置も認めず、神奈川県より踏み込んだ。来年4月以降に施行する。

条例で「禁煙義務」を課すのは、兵庫県内の教育施設、医療関係施設、官公庁施設、福祉関係施設の4種類で、民間施設も含む。神奈川県では認めている喫煙室の設置も認めない(大学など一部施設では既設の喫煙室を当面認める)。

宿泊施設のロビーや飲食店で100平方メートル超の規模のものは、喫煙室の設置や禁煙・分煙空間を壁などで仕切る「分煙義務」を課す。宿泊施設の宴会場 は除外する。100平方メートル以下の小規模飲食店など「喫煙可」の店舗については、その旨を店頭に示す義務を課し、利用者が店を選べるよう配慮した。パ チンコ店やナイトクラブなどは、規模に関係なく受動喫煙防止の努力義務にとどめる。(朝日新聞夕刊 3/19)

これはもうほとんど「禁煙」しろと言っているのに近い。それに「分煙」にするには施設費がまたかかる。この費用はだれが負担するのだろうか。暴論を2つ並べるが、どちらも成り立つ。

暴論1
分煙の恩恵は非喫煙者が受けるので、費用はすべて非喫煙者に負担させるべである。
そのため次のような措置をとる。
①全面禁煙の施設では、非喫煙者からは入場のたびに禁煙施設使用料を徴収する。喫煙者は無料とする。喫煙者には喫煙証明書(たばこに添付、購入日翌日まで有効)を発行する。
②分煙の施設では、禁煙区画使用料を徴収する。

暴論2
分煙を実施しなければならないのは喫煙者が存在するからであり、費用はすべて喫煙者に負担させるべきである。そのために、次のような措置をとる。
あらゆる喫煙場所(レストラン・宿泊施設等の喫煙区画を含む)で喫煙区画使用料(灰皿使用料、吸い殻処分料を含む)を徴収する。

「暴論1」は喫煙者には暴論には見えないであろう。

しかし、喫煙がこれほどいかんと言うなら、いっそうのこと「全面禁煙法」または「全面禁煙条令」を制定したほうがよい。たばこの製造、小売り、使用を全面禁止にするのである。一挙には無理だろうから、禁煙年齢を20歳から、毎年1歳ずつ上げていくのである。そうすればある世代から下がいっさい喫煙しなくなる。そして、喫煙はそのうち「じじくさい-ばばくさい行為」ということになる。

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「共喰い」

田中慎弥「共喰い」(『文芸春秋』3月号)を読む。芥川賞作品である。受賞時の記者会見時の発言などで、作者に関する話題が先行してしまってなかなかコメントがしづらいが・・・

選考委員の何人かが述べているように文章はなかなかすごい。とくに主人公の暮らす地域の風景、主人公のまわりにいる人々を描写している場面を描いているところでは、ぐんぐん引き込まれていく。ただ、主人公の内面の描写はいただけない。

主人公の遠馬は17歳の高校生。近くに住む上級生の千草とのセックスにのめり込んでいる。父は相手に暴力を加えながらセックスをするという性癖があり、それを目撃した主人公は同じことを千草にしてしまう。その前後の主人公の葛藤を描いた小説、ということになるのだろう。

この17歳の主人公の頭の中は、セックスばかりである。わたしもかつて「17歳の少年」を経験したことがあるのでこのような頭の状態はわからなくもない。しかし実際の17歳の少年はそれだけではない。自分の将来のこと、家族のこと、友人のこと、学校のこと、社会のことも1%くらいは考える。その中で苦しみもがく。頭の中は99%セックスばかりであっても、葛藤がセックスから生まれるわけではない。

この主人公も一応は葛藤しているようだ。だから、その葛藤もセックスに由来している。しかし、そんな葛藤にはほとんど必然性がない。それは作者が描いた虚構にすぎない。.この主人公が特異な性格であり、仮に実際に存在する自分だとしても、作者はこの主人公の内面、つまり葛藤の本体は何も描ききれていない。

結局、ベトベトした精液の匂いばかり残る薄気味悪い小説、というのが私の感想である。

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「沈黙」

本棚から、久しぶりに遠藤周作の作品を取り出す。遠藤周作の作品のテーマは、「沈黙する神」「弱者イエス」である・・・・・と私は思っている。

代表作である『沈黙』は、幕府による厳しいキリシタン弾圧の中で、神の存在を問うポルトガル人司祭を主人公にした作品。主人公の神への問いは、「なぜあなたは黙っているのです。この時でさえ黙っているのですか」。

この問いは、作者自身の問いでもある。そして次の一節は、作者自身がたどり着いた答えでもあろう。

「主よ。あなたがいつも沈黙していられるのを恨んでいました」
「私は沈黙していたのではない。一緒に苦しんでいたのに」

震災の日。以前は、すっと心に落ちていたこの言葉も、今はすんなりとは落ちてこない。

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10年前

10年前の日記を読んでいたら、こんな文が出て来た。

わたしの日常生活(時間の使い方)
A.生きるために必要な時間(睡眠、食事、家事など)
B.教育活動(授業とその準備など)
C.実務(委員会や書類作成など)
D.研究(論文執筆や調べ物)
E.自己実現のための時間(読書、ネット、ランニング、つきあい)
F.遊びの時間(酒、たまにテレビ、たまに?)
どれも必要な時間である。それでも時間が足りない。それで今まではAの時間をできるだけ削ってきた(掃除などを省略する。睡眠時間を減らす)。また、Cも 出来るだけ手抜きしてきた。ところが、6月から新たにもう一つGが加わりそうである(5月末頃には発表予定)。当然どれかをけずらなければならない。A~Dはほとんど削れない(Dの時間がなくならないように注意しなければならない)。Eは削りたくないがこのネット活動は少し縮小することになるかも知れない。大幅に削減できるのはFだけだ。よいことかも知れない。


こんなにひたむきに生きていた頃がわたしにはあったのだ。最近ちょっといかんなと思う。

※Gというのは、おそらく弘前大学職員組合委員長をひきうけたことだと思う。
 

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飲酒とキリスト教

一昨日は「関西学院大学教育学会」の研究発表会があった。「学会」と言っても、教育学部の教員が会員。今年は3回目。研究発表会のあとに懇親会がある。実質的には全員を対象にした年間唯一の懇親会。実は、昨年、一昨年と私はこの研究会の幹事だった。研究会後の「学会のあとには普通は懇親会をします」という理由をつけて私が提案してはじめたことである。

関学全体なのかどうかは知らないが、我が教育学部には、学部教員全員が集まって懇親会をするという文化がない(仲間うちで帰りに1杯ということも少ないほうだ)。新任教員の歓迎会も送別会もない。

関学はアルコールに関しては厳しい。キャンパス内ではアルコールはいっさい禁止。ちなみに、学則の「学生心得」には「禁酒禁煙を守ること」の項がある(禁煙は、守られていない。学内のコンビニや生協売店では煙草が売られている。学内には喫煙所がある。禁煙に関してはかなりゆるい。禁酒を守っているかどうかは知らない。これは未成年の学生に対する項目だと思うことにする)。

ただ、キリスト教主義と禁酒は結びつけるのはどうだろうか。イエスが最後の晩餐で弟子たちに教えたことは、「こうして一緒に食事をしながら杯を酌み交わして私のことを思い出しなさい」ということではなかったのか(ミサはそれを儀式化したものである)。キリスト教に禁欲主義を持ち込んだのは誰だ。    

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昨日の囁き

昨日は、幼児教育コースの学生が実習をしている施設を訪問。その電車の中でずっと Twitter していた。いろいろなことを書いているので、文のおかしなところや誤植を訂正してまとめて掲載する。

1 電車で西へ移動中。幼児教育コースの学生が実習している施設へ。明石海峡大橋の側の駅。JR・舞子 or 山陽電鉄・舞子公園。どちらが安いか、どちらが速いか? 別に速い必要はないが・・・       

3 神戸高速線・新開地駅。地下駅。 神戸高速線には独自の電車車両はなく、いろいろな会社線が乗り入れている。阪急はここまで。ハンキュウ、ベリマッチ。ここから山陽電鉄に乗り換え。改札を出ずにそのままホームで乗り換え。地下でWiMaxが使えないので、電車が地上に出てからTwit。(地下ホームでTwitしようとしたのだが、送信できず電車が地上に出てからTwitボタンを押す)

4 山陽電鉄・特急姫路行き。須磨駅。左側に淡路島がかすんで見える。 「淡路島かよふ千鳥の鳴く声にいく夜寝覚めぬ須磨の関守」という一首を思い出す。

5 垂水駅。最近太って、おなかのたるみが気になっている。

6 次の停車駅が舞子公園。神戸市の西の端。こうしてみると神戸市は東西に長い。

7 というわけで、施設の訪問が無事終了。今日はちょっとフリーにできるので、寄り道しながら帰ろう。写真がうまくアップできないので、これはあとでブログで。帰りも山陽電鉄で。これは・・・阪神とつながっていて梅田行き。どこで降りるかは未定。
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(後記)このあたりでは、どこかの駅で寄り道し昼から飲める店を探して一杯飲んで帰ろうと思っていた。ところが電車の中で突然思考に変化が(昼12時ごろ)

8 話しは違うが、ここの大学に来て一番おどろいたのは、教員に「勤務時間」「出勤日」という概念がないこと。つまり、授業、会議、その他の業務をきちんとやっていれば、あとは何をやってもよいということ。

9 国立の時代も、それほどきちんと勤務時間があったわけではないし、大学を離れることはできたが、それはその時間には研究やその他の業務をしていることが前提。だから、遊びや私事旅行の場合は年休願いを出していた。ところが、この大学には「年休」の概念もない。(追記 「概念」がないのではなく、制度がないということ)

10 大学教員がそれだけ自由でいられるのは、自由にしておいても自分の生活をきちんと制御し、日々研究にはげんでいる人々だと(少なくとも建前上は)みなされているからである。実は、これはとても怖いことなのである。

11 時間がいくらでもあると思っていると、矢のように時間がたち、気がつけば、四流五流の研究者・・・いや研究者とも言えないような、単なる「大学のせんせ」で終わってしまう。(追記 大学の教員がいくら忙しいと言っても小、中、高の先生と比べるとたかがしれている。当たり前のことだが、大学の教員は研究という業務があるからこそ、小・中・高の先生並、またはそれ以上の給料がもらえるのである。)

12 時間がいくらでもあると思っていると、矢のように時間がたち、気がつけば、四流五流の研究者・・・いや研究者とも言えないような、単なる「大学のせんせ」で終わってしまう。

14 少なくとも研究者と名乗る以上は、「このような研究をしそれはこのように社会や学界に貢献した」というものを残す必要がある。そしてそれは、自分の名誉ではなく、研究という職業を選んだ人間の責務でもある・・・・こう考えてみると、私はまだ自分の責務を果たしてない。(追記 研究がしたいと思って研究の仕事につけるのはよほど運のよい人である。その運に感謝しながら研究と教育の業務に励むべきなのである・・・・・と自省する)。

15 というわけで、電車は阪神三宮についた。 三宮で降りて「山笠ラーメン」という九州ラーメンの店で昼食(500円)。ここのラーメンはチャーシューたっぷりが特徴。
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(このあたりで、飲んで帰るのはやめることに決めている。)

16 というようなことを書きながら、今日は寄り道をして遊んでいてはいけないなあと思い直して、戻って仕事に励むことにした。調べないといけないこともあるし。ただし、今日は大学に戻るより家で仕事するほうが効率的なので帰宅する。

17 家に戻ってきた。これで、発言はしばらく控え、夕方まで一心不乱に仕事。
(追記 いつも心の中では、ひどい怠け者の私と自省する私が喧嘩していて、ほとんどは怠け者の方が勝ってしまうのだが、この日は珍しく自省する私の勝ち) 

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旅がしたい

品川のホテルから

昨日は、ネット上で知り合った友人と夕食。初めてではなく、何度も会っている友人である。

「旅行」は好きか?という話題になった。今も旅行中と言えば旅行中だが。考えてみると、私は旅行そのものが目的である旅行にはほとんど行ったことがない。海外には、7度ほど行ったことはあるが、1回を除くとしごとがらみばかり。学会や調査。国内旅行では、福井、三重、宮崎、鹿児島を除くすべての都道府県に宿泊したことがあるが、それもほとんどは仕事目的である。

たまには、ゆっくり仕事と関係のない旅行をしてみたいと思うことがある。ふらりっと列車にのり、気に入った風景が見えたら降りてみる。気に入った町なら、安い宿を探して泊まる。夜は赤提灯で、一杯やりながら地元の人と交流。観光地とか名所じゃないほうがいい。できれば10日ほど。青春18きっぷ2冊分。携帯もパソコンもなし。これは、旅行というより「旅」だな。旅人になりたいのだ。

問題は、その10日間をどう作るかである。この春休みはもう無理だ。あとは夏休みだ。そのためには、一つは、自分が安心して10日間旅に専念できるよう、仕事をかたづけておくこと。もうひとつは、自分が10日間いなくても、誰もこまらない人間になること。こっちは今でも大丈夫だ。

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31ビキニ・デー

もちろん水着記念日ではない。

1954(昭和29)年3月1日、太平洋のビキニ環礁でアメリカが水爆実験を行い、附近を航行していたまぐろ漁船「第五福竜丸」の乗組員が被曝した。そのうちの1人である久保山愛吉さんが半年後に亡くなった。

いまでは規模が小さくなったが、かつては「31ビキニ・デー」と呼ばれ、反核・原水爆禁止を求める集会が全国各地で開かれていた。私は学生時代には平和運動にとくに関心が高かったので、大学1年の時には静岡で行われた全国集会にも参加した(焼津での久保山さんの慰霊行事にも参加した)。

この核実験の影響か、私たちが子どものころは「放射能」という言葉に対してはかなり敏感だった(部分的核実験停止条約が結ばれ核実験が地下実験に限定されるようになったのはずっと後のことである)。雨に濡れると「髪が抜ける」と子ども心に本気で心配していた。しかし、時が経つにつれ、放射能にも核兵器にも鈍感になっていった。

時代が変わって、現在の福島原発事故による放射能汚染の問題。この影響については日本人全体にあまりにも大きな認識の差がある。どの情報をを信じてよいのか正直言ってわからない。今何が被災地のためになるのか。このことをめぐって国民の中に対立さえ生まれている。ネット上では汚いことばで非難合戦がくりひろげられている。「絆」という言葉もすっかり色あせてしまった。

一人ひとりが一体何をすればよいのか。何かをすればどこからか非難される(それが悪意によるものならなら無視できるが、善意によるものなので悩みは大きい)。眠れない夜が続く。

※Twitterで福島産米を買って食べることを宣言したが、それに対する批判もきた。危機的な現状を容認し国や東電を免罪することになるということか。

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