飲酒とキリスト教
一昨日は「関西学院大学教育学会」の研究発表会があるった。「学会」と言っても、教育学部の教員が会員。今年は3回目。研究発表会のあとに懇親会がある。実質的には全員を対象にした年間唯一の懇親会。実は、昨年、一昨年と私はこの研究会の幹事だった。研究会後の「学会のあとには普通は懇親会をします」という理由をつけて私が提案してはじめたことである。
関学全体なのかどうかは知らないが、我が教育学部には、学部教員全員が集まって懇親会をするという文化がない(仲間うちで帰りに1杯ということも少ないほうだ)。新任教員の歓迎会も送別会もない。
関学はアルコールに関しては厳しい。キャンパス内ではアルコールはいっさい禁止。ちなみに、学則の「学生心得」には「禁酒禁煙を守ること」の項がある(禁煙は、守られていない。学内のコンビニや生協売店では煙草が売られている。学内には喫煙所がある。禁煙に関してはかなりゆるい。禁酒を守っているかどうかは知らない。これは未成年の学生に対する項目だと思うことにする)。
ただ、キリスト教主義と禁酒は結びつけるのはどうだろうか。イエスが最後の晩餐で弟子たちに教えたことは、「こうして一緒に食事をしながら杯を酌み交わして私のことを思い出しなさい」ということではなかったのか(ミサはそれを儀式化したものである)。キリスト教に禁欲主義を持ち込んだのは誰だ。
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