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2012年4月の投稿

2012年4月23日 (月)

スーツ

この土・日は東京だった。昨日は会議に出席。会議にスーツを着ていったら「どうしたんですか」と言われた。今年になって、ほとんどスーツを着たことがなかった(どうしても着なければならない時は、その一瞬でけだけ着てすぐ着替えていた)。

実は、1〜3月の間は急激な体重増で、着られるスーツがなかったのである。ズボンがパンパンならまだよいのだが、前ボタンも止めにくい状態。スーツを着たら歩くのも苦しかったのである。

それで3月末から一年一念発起(というほどはないが)次の3つを心がける。
①適度な運動(毎日の徒歩通勤、休日はウォーキング)
②食べ過ぎに注意(八分目でやめる・・・・もう少し食べたいをがまん。お酒はがまんしない)
③「もう一度走りたい」という気持ちを持ち続ける。
昨日は、東京・新橋のホテルで朝を迎えたのだが、靴を持って行き皇居の周囲をウォーキング(もっとも、iPod Touch をもってFacebook にアップしながら歩いたので単なる散歩になった)。

というわけで、体重は順調に減って3キロ減(「たった3キロ」とも言えるが、自分で貯め込んだ脂肪なので仕方がない)。なんとか、スーツが着られるようになった(まだ少しきついが)。

ただ、最初はすぐに体重が落ちる。最初に落ちるのは内蔵脂肪でまだまだ大量に皮下脂肪が残っている。皮下脂肪はなかなか頑固なのでゆっくりゆっくり燃やしていくしかない(ダイエットを途中であきらめるのは、この皮下脂肪がなかなか減って行かないせいだ)。これからが正念場である。皮算用だが、6月くらいからウォーキングをジョギングに切り替え、7月からはランニング・トレーニング、秋には、市民ランニング大会出場、来年にはフルマラソン・・・・、道は遠い。

・・・・というわけで、今日も歩く。

2012年4月19日 (木)

ピアノは危険

一昨日のこのブログ記事を読まれたのかもしれない。大きな重荷を背負ってしまった。

昨日の1年向けのピアノ入門の授業。グランド・ピアノのふたがしまっていたので、学生にふたを開かせることからはじめた。ところが、あぶないあぶない。指をはさみそうでヒヤヒヤする。そこで、しばらく時間をとって、ふたの開き方、譜面台の立てかた、ついでに響版(大蓋)の立て方などを指導する。

考えてみると、ピアノは危険な楽器である。小学生にとっては。ふたを開いたり、大蓋を立てたりする作業を子どもにさせる大けがをする危険性がある。何年生になったら子どもにさせてよいのか・・・・結構悩む問題だ。どなたか実践していないだろうか。

もう一点は、地震対策。昨日私が使ったピアノはインシュレーター※もなく、直に床に置いてある。大きな地震がくれば必ず転がる(これはすぐ対策をする)。それで、最後に次のように話す。
「地震がきたら、ピアノの側からできるだけ離れなさい。まちがっても、ピアノを押さえつけたり、ピアノの下に隠れたりしてはいけない。アップライト・ピアノは倒れてくるので、もっと危険です」

そう説明すると、一人の学生が
「先生、アップライト・ピアノって何ですか?」

※もともとは、床の共鳴を遮断(調整)するためのもので滑り止めではないのだが、滑り止めとしての効果はある。

2012年4月17日 (火)

礼拝

関西学院大学では、1限目と2限目の間の休み時間が40分間ある。この時間はチャペル・アワー(学校礼拝)で、どのようなイベントも入れられない。もちろん、信教は自由なので、教員も学生も出席は強制されていない。だから、教員・学生が全員出席するわけではない(全員が出席できる、チャペルの容量はない)。全員が出席しないのに、40分の時間をあけておくのは無駄だという考え方もなりたたないわけではないが、それは違う。

関学はキリスト教主義の大学。私は、せっかくキリスト教主義の大学に入学したのだから、キリスト教についてはきちんと学習してほしいと思う。少なくとも、キリスト教とは、どのような教義なのか(宗派によって異なるが)、キリスト教徒とは一体何を信仰しているのか(個人によって異なるが)について一端には触れてほしいと思う。これについては、「キリスト教学」(必修)といった科目があるので一通り学ぶことができるだろう。

しかし、もう一つ重要なことは、キリスト教の習慣やキリスト教主義的な考え方に触れることである。そのためには、礼拝に、出て賛美歌を歌ったり、祈りの言葉に触れたり(例えば「「主の祈り」)、宗教主事やキリスト教信者の話しを聞いたりすることが大切である。そしてその話しを自分なりに解釈したり、批判したりすればよい。ただ、学校礼拝は、教会の礼拝とはまったく異なる。だからこれを「礼拝」と考えるにはまったく不十分であるが、それでもキリスト教の習慣に少しは触れることができる。

学生にはできるだけ礼拝に出席するようにすすめたい。そして私も今年度はできるだけ礼拝に出席することにする。実は、毎日同じ時間に礼拝に出席することによって、生活にリズムができるという利点がある。もちろんそんな実益を求めての出席でもよいのである。

***最近人間が素直になりつつある。「ひねくれ」は返上しなければならないかな。

2012年4月14日 (土)

備忘録

8日(月)から新年度の授業がはじまった。一通り終えたところである。それぞれの「授業びらき」をきちんとしようと思って、私にしては珍しく気合いを入れて望んだ。うまく行ったところもあれば、空回りしたところもある。それぞれ反省しなければならない。

水曜日は教授会。ミスを一つしていて謝罪。これはあきらかにうっかりミスなので、言い訳のしようもない。そう言えば、3月の教授会でも謝罪・・・これは個人的なミスとは言えないが、言い訳のしようがない。子どもの頃からケアレス・ミスが多かったのだが、年をとるにしたがってさらにそれがひどくなってきた。・・・ミスをなくす方法を考え実践中・・・・うまく行ったらここで紹介したい。

先月末、とうとう体重が80キロを超えた。検査をしたら、中性脂肪の値が異常に高かった。医者に「早死にしますよ」と言われた。早死にするのはよいが、メタボで死ぬなんておしゃれじゃない。すぐ走るのは無理なので、「ウォーキング」として歩いて大学へ、それから食べる量、飲む量を少し減らす。「もう一度フルマラソンを走ろう」という意思を持ちつづける。少し効果が出てきた。

FaceBook をよく見るようになった。よい仲間がよい情報をたくさん落としてくれる(私のはがらくたばかり)。ただ、面白すぎて時間を忘れてしまうのが玉にキズ。少し、自重することにした。

教師の条件として「子どもが好き」というのは当然のことである。大学教師は「大学生が好き」でなければならないだろう。ただし、それは一般論であって、 「子どもが好き」になりすぎてそれが不適切な行動に結びつく場合がある。大学教師でも「大学生が好き」というかわりに、(男性教員が)「女子学生が好き」 と言えば問題にはなるだろう。個人に向かって「好き」などと言えばもう懲戒も覚悟しなければならないことになる。

私は、ある時期から大学生にはできるだけ感情を持たずに付き合うことにした。むしろ、「バカで、未熟で、無知で、礼儀知らずで、図体だけ大きくなったガキ」と思うことにした。また、それに近いことをこのブログにも書いてきた。しかし、私がそう思っていることは、学生にも伝わるのだろう。けっこういろいろな反発がある。授業の感想文を見てもそれがよくわかる。それでもいいのだと思っていた。・・・・ところが最近自分の気持ちがゆるんで来た。学生たちがとても可愛く見えてきた。とても愛おしく見えてきた。ああ、いかんなあと思う。

2012年4月 6日 (金)

話すのが苦手

昨日、Twitter で次のようにささやいた。

昨日は新入生への学科教員の紹介。最後の番の私にマイクがまわった時は、終了時間を5分過ぎていた。次のように話す。「吉田孝です。私の言いたいことは前 の先生方に言われました。もう終了時間を5分過ぎています。私は授業時間の超過はしない主義です。これで紹介をおわります」

別にこれは私の時間がなくなったから怒って言ったのではない。私が、授業時間の超過をしないのは本当である。5分過ぎていたのも本当である。しかし、本当に本当の理由は、実は何も話したくなかったのである。

私は学生に対して何か訓示めいた話をするのがとても苦手である。だからお説教話などとんでもないことである。私に話せるのは、音楽や音楽教育に関わる話だけである。あとバカ話や与太話ならいくらでもできる。下ネタ話ならもっと得意だが、まさか学生の前でやるわけにもいかない。だから他の先生が自己紹介をしながら大学生としての心構えなどを話しているのを聞くと、心からうらやましく思う。とくに関学教育学部の先生たちは、そういう話がものすごくうまい。学生が結構感動して聞いているのがよくわかる。私が、前の先生以上に気の利いた話ができるわけがない。それで、私が話す時間がなくなったことで、ホッとしたというのが真相である。

なぜ、そういう話ができないかと言うと、自分は物心ついたころから人に話すと感動するような体験をしたことがほとんどないからだ(笑われるような体験にはこと欠かない)。唯一自慢できるのは50代でマラソンを完走したことくらいだが(これだけは何度でも自慢するが、自己満足に過ぎない)。自分に優れたところがあるとも思っていないし、人一倍努力したということもないし、他人のために尽くしたという体験もない。怠けたり、失敗をして迷惑をかけたり、他人を傷つけたりした経験は山ほどある。とくに学生時代のことを話し出すと枚挙にいとまがない。

そういう意味では、小中学校の先生(クラスで毎日話さなければならない)は向かなかっただろうと思っている。ひょっとしたら「先生」と呼ばれる職業についたことさえ向いてなかったのかもしれない。何十年もやってきて今更と言われそうだが。

2012年4月 5日 (木)

昨日、Facebook に iCloud のことをいろいろ書いた。断片的でわかりにくいのでまとめて書くことにする。
**************
iPadを使いはじめた。これで、私は4つのApple社製のデバイス(機器)を使うことになった。
研究室用 MacBook、
自分用 MacBookAir、iPad、iPod Touch
それで、iCloudというApple社が提供しているインターネット・サービスを利用することにした。Cloud(雲)という概念が分からなかったのだが、使い始めて少し分かった.

例えば、次のようなことができる。
・どのデバイスにもカレンダーというアプリがついている。それを使って一つの機器にスケジュールを記入すると全部の機器のカレンダーが更新される。
・iPod や iPad のカメラで写真をとると、全部の機器のアルバムにその写真が配信される。

使ってみてわかった「雲」の仕組みは次のようなもの。
Mac などで iCloud を設定すると、iCloud という雲の中(実際はApple社が管理するサーバー)に自分専用のファイル置き場ができる。また同時にそのiCloud設定をしたすべてのデバイスのデータファイル(iCloud対応のファイル)が雲の中のファイルと同じ状態になる。ある一つのデバイスのデータを書き換えると、雲の中のデータが書き換えらる。それによって他のデバイスのデータも書き換えられる(これがプッシュ)。つまり「雲」を中心にしてすべてのデバイスのデータが同じ状態で保たれる。これが「雲」という概念である。


iCloud で、いまのところ使いやすいアプリは次の通り。
・カレンダー (リマインダーを含む)
・メモ帳
・アドレスブック
・写真(MacではiPhoto)

カレンダーとメモ帳はもうかなり役に立っている。
Word、Exel  PowerPont はまだ難しい。モバイル側には、それに互換するアプリとしてPages Numbers Keynote があるが、どのくらい使い物になるのかが不明。とりあえず Pagesだけ買って互換性を試してみたが、Word → Pages は○だが、Pages →Word はテキストだけ互換というところ。なおワードのデータは直接cloudに送られるのではなく、Web を通して cloud に送る。Macにとっては普通のストレージとかわらないが、モバイルへはただちにプッシュされる。

Keynote(iPod Touch, iPad 用のプレゼンテーション。アプリ)を使うかどうか迷っているところである。うまくいけば、パソコンのパワーポイントで作ったデータをiPod Totch(またはiPad)にプッシュして、iPod Touch(またはiPad)でプレゼテーションができる。800円ですぐダウンロードできるのだから水割り2杯節約すればいいのだが、それがもったいないようで躊躇している。

・・・・・・・・・・・・・
どうもおかしい。IT機器って本来は Tool のはずなのに、Tool をどう使おうかということに思考が支配されている。

 

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