今の学生は、階名唱などほとんど経験したことがないようだ。だから、楽譜を見て階名視唱などとてもできない。しかし、それでも楽譜に階名をふらせると(ドの位置がどこかをきちんと教える)、完全とまではいかないまでもある程度の階名視唱ができる。逆にこれをやると音痴になるのが、子どもの頃からピアノを習い、「ドはドに決まっている」という学生である。Cの音をファとよんだりソと読んだりすることが気持ち悪いと言う。不幸だと思う。
このような状況をみると、階名を読む困難さえ克服すれば普通の人(絶対音感をドレミで身に付けた人を除く)にとって階名視唱はそれほど難しくないことがわかる。言い換えれば、相対音感はほとんどの人が身に付けているということになる。
学習指導要領では、「相対的な音程感覚を身に付けさせるため、適宜、移動ド唱法をもちいる」ことになったが、むしろ階名唱は音楽経験によって身に付けた相対的な音程感覚を視唱や音楽理解に利用することということになる。もちろん階名唱をすれば音程感覚はさらに精度を増す。
トニック・ソルファ法やコダーイの方法などによれば、階名を読むことはそれほど困難でない。にも関わらず、学習指導要領では階名による視唱は小学校ではハ長調・イ短調に限定してしまっている。これでは、「ドはドに決まっている」という観念から抜け出させるのは無理である。また、多くのピアノ教師は幼い子どもに「ドはここです」と固定的に教える(「Cはここです」と教えてくれていたらどれだけ、階名が教えやすいか)。私は、これをてっとりばやくピアノを弾かせたいというピアノ教師のエゴだと捉えている。そして学校教育もこのピアノ教師のエゴに迎合しているのである。
「どんぐりさんのおうち」という歌がある。よくこんなばかげた歌が掲載されている教科書が検定をくぐり抜けてきたとあきれるばかりである。
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とここまでは移動ド原理主義
私は上のような移動ド原理主義者ではない。
で、現実的な提案も含めた論文を書き始めた。(続く)
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