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車は凶器(暴論)

また、高校生の列に自動車が突っ込むという事故が起きた。この所、痛ましい自動車事故が続いている。被害者やその家族・遺族の方々は事故の理不尽最にやりきれない思いだろう。一連の自動車事故の責任は、もちろん運転者にあるし、その罪は厳しく問われるべきである。

しかし、いろいろな事故の原因を考えてみると、問題はもっと大きなところにある。それは、かつてはだれもが合意していた「車は走る凶器」という認識が薄まってきていることにある。車は一歩間違えば凶器である。数日前の京都の事故や高速道路のバス事故のように、運転者が居眠り運転をすれば大事故になる。それほど悪質な違反でなくても、ちょっとした心の油断が大事故を引き起こすこともある。

結局、事故が起きる原因は、凶器を所持し操作しているという自覚も能力もない人が自動車を所持し運転しているということにつきる。

「暴論」と言われそうだが、次のような対策をすべきである。

1 運転免許の取得を厳しくする。例えば、現在の一種の基準を現在の二種くらいまで引き上げる。
2 違反の罰則規定を厳しくする。例えば、いかなる違反も一発で免許取り消し。
3 免許の更新を厳しくする。例えば取得時と同じレベルの学科試験と技能試験を受験させる。
4 自動車の購入(所持)条件を厳しくする。自動車を所有する理由のない者は所有できない。
5 自動車の保有者の管理責任を厳しくする。事故が起きた時には保有者も責任を負う。

要するに、法律を厳しくして自動車そのものを減らすしかない。とくに自家用車をなくすことだ。今の日本でそのなことは無理だと言われそうだが、自家用車がなければ生活ができない社会が異常なのである。

この狭い日本に、車社会は似合わない。私自身は運転能力も自動車の管理能力も欠けていることを自覚しているので、20年ほど運転もしていないし、車も持っていない。運転免許証も捨てた。

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