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2012年8月の投稿

2012年8月30日 (木)

南海トラフ

南海トラフで最悪犠牲者32万人の予想。この犠牲者を最小限にする努力をすべきだ。

自分もその時どこにいるか分からないので、巻き込まれる可能性はある。ただ、どうしても助からないこともある。個人的には覚悟を決めておくことが大切だと思っている。次の3つを心がける。

1 自分を助けるために若い人が犠牲にならないようにすること。

2 残った人たちに迷惑がかからないように、身の回りの整理をきちんとしてしておくこと(公的な文書、授業・学生関係の記録、自分のいろいろな証書類)

3 生前の恥を消去しておくこと。

考えると、どれもかなり難しそうである。とくに3については、すでにたくさんの恥をかいているので無理だな。

2012年8月24日 (金)

日韓関係悪化を痛む

韓国の李明博大統領の竹島上陸、引き続き天皇に謝罪を求める発言によって日韓関係が急激に悪化した。今回の事態の責任は常軌を逸した李大統領の行動にある。日本政府としては、日本がなぜ竹島を日本の領土の主張するのかを国際社会に対して粘り強く主張することが基本である。

ただ、今回の事態の責任が韓国側にあるとしても、このような事態にまで至ったことは、極めて残念である。というのは、私は2008年度、2009年度に日本音楽教育学会の会長を務めたのだが、その2年間に以前から姉妹学会として提携を結んでいる韓国音楽教育学会とさまざまな交流の機会があったからだ。

1度目は、2008年8月15日に、清州市郊外で韓国音楽教育学会の主催する夏期音楽教育セミナーに招かれ講演を行ったことである。そこでは、ちょうど告示されたばかりの新しい学習指導要領や教育課程全体の特徴について韓国の学会の会員の皆さんにお話した(通訳付)。8月15日という微妙な日であったが、きわめて友好的な雰囲気の中で講演ができた。会員の中から、日本の社会科の教科書問題等について質問が出かかったが、主催者側が音楽教育と関係がないということ中断させるほど、私たちに対しても配慮がされていた。

2度目は、2009年10月の日本音楽教育学会第40回大会に、韓国音楽教育学会の会長招いて、講演をしてもらったことである。ここでも非常に友好的に学会としての交流ができた。

3度目は2010年1月にソウルで開かれた、第2回韓日音楽教育ゼミナールである。ここでは、日韓の音楽教育研究者が一同に集まりそれぞれの研究の交流を行った。その発表の中には、歴史問題を超えて日韓の音楽や音楽教育の交流をするための建設的な提案もなされていた。私は、韓国の音楽教科書について学ぶことができた。

個人的にも、韓国音楽教育学会の会長、役員、会員の皆さんとの交流は有益なものだった。韓国が好きになって、その後韓国に私事旅行もした。このような機会を通して、韓国という国に対する理解ができたような気がしていた。当初は日本に友好的な姿勢を見せていた李明博大統領のもとで、なおいっそう日韓交流が活発になるものだと思っていた。

ところが、今回の突然の事態である。もちろん、このままでは困る人たちがたくさんいる。このままの事態がいつまでも続くとは思わないが、日韓関係が大きく後退したことは間違いない。

学術交流や文化交流が政治と無関係というわけにはいかないだろうが、少なくとも学術の場では冷静な議論がなされるよう期待したい。私は出席しないが、明日から東京で両学会共催の日韓音楽教育ワークショップが開催される。日韓の政治的対立を超えて、充実したイベントになることを望みたい。

2012年8月 4日 (土)

小さな旅

以前にもどこかに書いたのだが、私の小さな夢は1週間ほど一人旅に出ること、予定をまったく決めずにその日の思いつきであちこちを回ってみること。今年の夏はその時間がとれるのではないかと思ったのだが、結局いつのまにか予定が入って、まとまった時間はとれない。ただし、切れ切れではあるがミニ旅行くらいはできる。

1昨日(2日)名古屋で所用があり、昨日(3日)は1日フリーだったので今まで行ったことのない、伊勢・志摩方面を足を伸ばすことにした。さすがに、完全思いつきは無理なので、2日の宿泊は名古屋、3日の宿泊は松阪と決めていた。

一昨日(2日)は、まず近鉄特急で名古屋へ。近鉄だと時間は新幹線の2倍、値段は1500円ほど安い。この路線は高知時代にYさんと会うためにちょくちょく利用してきたものだ。高知から夜行のフェリーで大阪南港まで、南港からニュートラムと地下鉄で難波まで来て、近鉄で名古屋へというのが定番だった。

2日に所用をすませて、3日は少しゆっくりして朝10時半くらいから行動開始。伊勢までは行こうと決めていたのだが、名古屋駅で気持ちが変わって賢島(少し賢くなれるかな)まで足を伸ばすことに。2時間あまりで賢島(志摩市)に着く。しかし何も下調べもせずに行ったので、賢島についてもどうしたらよいかわからない。英虞湾の眺めはいいのだが、駅の近くには真珠屋と食堂以外は何もない。湾めぐりの観光船があるのだが、時間が会わない。結局、食堂で生ビールを1杯飲んで、伊勢に戻ることに。ここには、いきあたりばったりより、計画的に来た方がよさそうだ。今度ゆっくり○○○さんといっしょに来ることにしよう。

途中鳥羽に寄ることも考えたが、志摩めぐりをする時にと、あきらめて伊勢市に。最初は内宮にも行くつもりで五十鈴川(「いすずがわ」、なんでこう読めるかはわからない)下車のつもりだったが、時間がないのであきらめた。伊勢市から徒歩ですぐ伊勢神宮に。正宮と別宮(多賀宮・土宮・風宮)を見て回った。ここが良いのは木陰が多く外とは別別世界と思うくらい涼しいこと。ただ、伊是神宮には歴史は感じるが、私には信仰心というものがからっきしないので、ああそうかというくらいしか感じなかった。伊勢には一生で1度だけ来ればよいと思っていたので、これでおしまい。

あと参道には「伊勢うどん」という看板がたくさん見えた。FBでこのうどんをすすめる人がいたが、食欲がないのでスルー(それに、うどんは讃岐うどんと決めているのだ)。伊勢には、2時間あまりいて最初から予定していた松阪へ。

伊勢市駅は、JRと近鉄が改札口を共用していて、伊勢神宮側の改札口を入るとすぐJRのホームがある。ちょうどJR参宮線の亀山行きの列車がホームにいたのでそれにのって松阪まで移動することにする。30分ほどで松阪着。

松阪近辺に在住のFB友さんが予約してくれた駅近くのホテルに到着。そのあと、散歩をかねて市内を散策。松阪と言うと、思い出すのは2つ「松阪の一夜」で有名な本居宣長、松阪牛(デパートの松阪屋は関係ないそうだ)。松阪城趾や本居宣長記念館(閉館時間を過ぎていた)などを中心に1時間ほど歩く。城下町特有の特徴で、歩いているうちに方角がわからなくなってくる(前に住んでいた弘前とよく似ている)。

夜7時にFB友さんが車でホテルに迎えに来てくれて、市内の居酒屋でミニ・オフ会。FB友さんは車なので飲めなかったが、ノン・アルコールで私の酒につきあってくれた。共通の話題がたくさんあり、あっと言う間に時間が過ぎて行った。

2時間ほど談笑して、ホテルにまた送ってもらい少し時間があったので一人で「松阪の一夜」を楽しもうと思ったが、ちょっと疲れが出たのでおとなしく部屋へ。ところが、この日はなでしこの準々決勝。結局、私の「松阪の一夜」はなでしこジャパンに。でも、すばらしい試合だった。

本日、無事戻って来た。この夏の間に、もう2〜3度ミニ旅行をしたい。次は、7日が東京出張だが、前後がフリーでないので無理かな。

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