慰安婦問題
私は、この問題について議論をするのはいやだし、いいかげんテレビで取り上げるのもやめてほしい。年頃の子どもさんのいる家庭では、子どもさんにどう説明しているのだろうか。
「お父さん、慰安婦ってなーに」「戦争中にこんなことがあってね。日本軍は韓国でこんなひどいことをしたんだよ」
こういう会話が行われているとしたらかなり気分が悪い。もちろんそれが事実なら仕方がない。しかし、一番驚くのは、事実関係を軽視している人がいることだ。「強制連行があったかどうかは大した問題ではない」と。その中に歴史学者が含まれているのも信じられないことだ。
私は、強制連行があろうとなかろうと日本軍のやったことは謝罪に値すると思っているので、河野談話を撤回せよとは思わない(もちろん河野談話が「強制連行があったことを日本が認めた」という証拠として利用されていることは承知しているが、談話はその点ではかなり慎重な言い回しになっている)。強制連行の事実がなかったからと言って日本軍が免罪されるとは思わないが、事実があったかどうかによってその犯罪性は大きく異なる。実際に、世界中の人々は、強制連行があったと思いこみそれを前提にこの問題を語っているからである。Sex Slave などという忌まわしい言葉が出てくるのもそのためである。
私は歴史学者ではないので、「絶対か!」と言われれば自信はないが、いくつかの理由で強制連行というものはなかったと考えている。詳細は省くが、私が強制連行がなかったと確信する最大の理由は最初に「強制連行」を事実として主張していた人たちが、その後「事実かどうかは問題ではない」「強制連行があったかどうかに矮小化していはいけない」と論調を変えてしまったことである。つまり、強制連行を示す根拠がなくなったとしか思えないからである。「問題ではない」というのも一つの考え方として成り立つことは否定はしないが、かつて「強制連行」という言葉を使った以上は、それを明確に否定すべきである。ついでながら「狭義の」だの「広義の」だの「強制性(なぜ「性」という語が必要なのか「強制」と言えないのか)」などというあいまな表現を使うのも問題ずらしである。
ただし、この問題に関しては、お互いに「右」「反動勢力」だの「反日」「売国奴」などという口汚い言葉でののしりあうのはやめたほうがよい(私はこういう決めつけが一番嫌いであるし、意見が違う人に「売国奴」などという言葉を投げつける人が嫌いである)。事実をきちんと確認した上で、国際社会に対してていねいな言葉で説明していくしかないだろう。難しいが、それが外交というものだ。政治家が一時期の感情で発言するのではなく、きちんとした国際的戦略をもってこの問題の決着へ向かうことだ。もちろん、「他の国もやっているのに日本だけ何でたたかれるのか!」と言った論調も国際社会の反発を招くだけで何の良い結果ももたらさない。
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