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2013年12月の投稿

2013年12月23日 (月)

今日は12月23日

全国的には天皇誕生日。

歴史的には、A級戦犯7人が巣鴨プリズン(今のサンシャイン60)で絞首刑が執行された日。将来が天皇誕生日に当たるこの日に執行したのは、連合国の日本に対する嫌がらせなのか、それとも天皇誕生日の影に隠してうしろめたい(連合国にとって)裁判を日本人思い起こさせないためだったのか・・・・・マスコミも

ところでよく間違えられるが、戦犯のA級、B級、C級というのは罪の大きさを表すのではなくつけられた罪名の違いである。だから、プロ野球などで優勝を逃した時に期待はずれだった選手のことをA級戦犯などと呼ぶのは言葉の誤り。

個人的には長女の誕生日。誕生のあの日が昨日のようだ。
Time flies like an arrow ! (ウーン、最初書いた時、何か違和感があると思ったら、flys になっていた。恥ずかし。中一レベルの間違い。

大学は今日は授業日(最終日)。私は会議がある。

2013年12月20日 (金)

さいころで唱歌風楽曲をつくる。

もうだいぶ昔のことだが、「さいころを使って唱歌風楽曲をつくる」というアイデアを考えたことがある。それをメモしたファイルが出てきたので掲載する。(かなりばかばかしいけど子どもはけっこうやります。音楽づくりというより、五線に音符を書く練習になります)。

1 条件
・ a,a',b,a の二部形式とする。、
・ハ長調 高さはドレミソラドレとする
・拍子、リズムは唱歌をそのまま使ってもよいし自分で作ってもよい。
例「ふるさと」「富士山」など

2 さいころふって楽譜に記譜していく。
(リズムは最初に決めたリズム通りに、高さはさいころの目にあわせて 以下○数はさいころの目)

(1)最初の音を決める。
①②ド(下)
③④ミ
⑤⑥ソ

(2)1段目の旋律を以下のように決める。
①二つ下がる。
例えばミからならドへ下がる。ソからならファがないのでレに下がる(ファとシは数に数えない。以下同じ)。
②一つ下がる。
③④同じ音にとどまる。
⑤一つ上がる。
⑥二つ上がる。
音域外の音がでたらふり直し。

(3)1段目の最後は続く感じにする。ド(終止音)とラ(偽終止音)がでたらふり直す。

(4)2段目は1段目と同じ旋律にし、最後だけドにする。最後より一つ前の音の音によって上のドか下のドかを決める。
・最後より一つ前の音がド(下)・レ(下)・ミ・ソの場合は下のド
・最後より一つ前の音がラ・ド(上)・レ(上)の音は上のド

(5)3段目の旋律をつくる。(この段はリズムを変えてもよい)
・最初の音
①②ソ
④⑤ド
以下は、上記(2)(3)の手順を繰り返す。

(6)4段目は2段目と同じ旋律にする。

3 ピアノ・リコーダーなどで演奏してみる。
たいてい少し不自然な部分がある。不自然な部分を直してもよいが、不自然のままの方が楽しい。

2013年12月18日 (水)

飲みすぎた

オエー 飲み過ぎた
(昨日は忘年会でした)

2013年12月16日 (月)

指示語

年をとると、指示語が多くなる。自覚があればよいのだが、自覚がないのは困ったものである。

昨日のミーティング。私は知らないうちにかなり指示語を使ったらしい。「あれをこうして、これをそうして・・・・・・、これからあれに・・・・・」。とうとう出席者の一人から「あれやこれではなんのことかわかりません」と叱られてしまった(泣)。

でも言ってもらってよかった。時々言葉が思い出せなくなることは自覚しているのだが、「あれ」や「これ」をそんなに使っているとは自覚していなかったからだ。まずはおちついてゆっくり、何をいいたいのかきちんと準備して話すことが大切だな!

2013年12月14日 (土)

PDFでプレゼンテーション

パワポのプレゼンテーション作るのが苦手なのだが、簡単な方法があった。これからはよほど複雑なことをしないかぎりこうしよう。

(1)ワープロで用紙を横置きに設定して文書をつくる。1ページがスライド1枚分。
(2)ワープロの文書をPDFに変換する。
(3)PDFを全画面表示してプレゼンテーションする。
(4)配付資料はワープロで印刷する。数ページを1枚の用紙に印刷することはワープロで簡単にできる。

長所は、次の通り
(1)簡単に思い通りのデザインができること。
(2)以前にワープロで作成しておいた文書をそのまま使用できること。

もちろん短所もある。音、ハイパーリンク、アニメーション、背景デザインなどをいれることができない。まあ、普通は必要ない。

本日討ち入り

今日は、12月14日、赤穂浪士の討ち入りの日。一つの物語としては大好きだが、史実として考えると一大暴挙である。

殿様(たぶん「癪」だったのだろう)が、些細なことで吉良上野介に切り付け、即日切腹の上お家を断絶させられた。吉良上野介が浅野からの心付けが少なかったことに腹を立て、馳走役の指南のさいにきちんと教えなかったり、嘘を教えたりして嫌がらせをしたというのは作り話であろう。馳走役に粗相があれば、指南役でさえ責任は免れ得ない。上野介もなぜ自分が切り付けられたのか心当たりもないだろう。そしてその仇討ちと称して、大挙して(といっても47人)吉良家に討ち入り吉良の首を取った。まあ、逆恨みも良いところである。吉良さんも、何で自分が首を取られなければならないのか、不思議に思いながら死んでいったのではないか。

浪士たちも浪士たちで、討ち入りなどしなければしないで済むはずだったのだろうが、さまざまな理由で討ち入りに追い込まれたのだろう。名誉欲、意地、面子、生活苦など個々に理由は異なるだろうが、「仇討ち」という大義名分によってそれらはすべて覆い隠される。喧嘩両成敗という法度を破って浅野だけを罰した幕府への抗議という説もあるが、吉良は何の抵抗もしなかったのだからその理由も成り立たない。

史実ではないが、しかしそれを扱った物語は面白い。私が一番好きなのは森村誠一『忠臣蔵』(全5巻・角川文庫)である。内蔵助が山科で遊び呆けたのは、相手を油断させるためではなく本当に遊びが好きだったから。そして討ち入りを決断したのは、お家再興もかなわなくなり、名を後生に残すことを目的にしたため。他の登場人物も一人一人個性豊かに描かれている。

池波正太郎の『おれの足音』(文春文庫・全2巻)、『堀部安兵衛』(新潮文庫・全2巻)もなかなかのもの。前者は内蔵助の、後者は安兵衛の生涯をさわやかに描いている。

湯川裕光『瑤泉院―忠臣蔵の首謀者・浅野阿久利』 (新潮文庫) という際物っぽいのもある。

いずれにせよ、忠臣蔵という物語が人々に愛されるのは、生と死について考える機会を提供しているからではないか。この物語には、「死」の場面が3度出てくる。最初は内匠頭の切腹、次が上野介の死、そして最後に浪士たちの切腹。「死を覚悟する」というのはどのようなことか。死はおそかれはやかれやって来るものだが、その日をはっきり知った時はどんな気持ちになるのだろうか。忠臣蔵の物語を読んだり視たりする度に考える。

「平壌は心のふるさと」ではない。

北朝鮮でキム・ジョンウンの義理の叔父にあたるチャン・ソンテク氏が処刑されたそうだ。そして、氏につながる何千人もの人々の粛正も予想されている。

恐ろしい国だ、野蛮な国だと言うのは簡単なことだ。しかし、問題はそれほど単純ではない。

学生時代(1969年~70年代はじめ)に、「平壌は心のふるさと」という歌の好きな友人がいた。

ハツ・セイヨン 作詞
関鑑子 訳詞

流れとうとう 水豊かに
飛び散るしぶき 玉とひかる
岸辺を歩む 若者たち
明るい明日を語らいながら
希望に燃える
ああ 心のふるさとよ
平壌 われらの行く手見守る

そう、この歌のとおり、当時は社会主義国北朝鮮は「地上の楽園」と考えられていたのである。社会主義国の中でも、ソ連や中国についてはそれなりに情報があり、その中には否定的な情報も含まれていた。また日本共産党ですらソ連や中国に対しては批判していたくらいだから、社会主義が絶対的に正しいと考えることもなかった。しかし、北朝鮮だけは情報も少なかったので、「地上の楽園」とまでは思わないが、豊かで幸せな国と思いこんでいた。「チュチェ(主体)思想」というのも、中ソと一線を画すすばらしい思想だと何となく思っていた。

もちろん、情報が少ないことに懸念もあった。それだけ自由がないということだ。しかし、ずっと北と南は戦争状態にあったのだ(今も)。38度線は国境ではなく、軍事境界線(休戦ライン)なのである。戦争を止めたのではなく休止しているのである。そのような中である程度の情報が制限されるのはいたしかたない。私もそのように思っていた。

言論の自由の制限は、南の韓国ですら同じだった。最高刑を死刑とする反共法(後に国家保安法)が80年まで存在した。また後に大統領になった金大中や詩人の金芝河など多くの人々死刑判決を受けた。金大中が日本滞在中にKCAIに拉致されて韓国に連れ去られる事件もあった(日本に対する重大な主権蹂躙である)。

北朝鮮のことを「共和国」と呼び、韓国を「南朝鮮」と呼ぶ人も当時は多かった。1965年に日韓基本条約が締結されたときには、日本国内では多くの人が反対した(私はそのころ中学生だったから当事者ではないが)。それはこの条約が「韓国」を朝鮮半島を代表する唯一の正統な政府として認め、北朝鮮を国家として認めない条約だったからである。

そして、北を「楽園」と思っていたので、多くの在日の人々が北朝鮮に帰国していった。これについては保守・革新を問わず日本の多くの団体個人がこの帰国事業を支援した。そして約10万人が帰国したと言われ、その中には日本人の妻やその子どもたちも含まれていた。さらに帰国した北朝鮮からは、帰国者の「幸せな日々」が伝えられ、日本のマスコミもこの帰国事業を礼賛する記事を書いた。北朝鮮に対する好感はこの帰国事業によっても増幅されたのだと思う。

この事業を日本政府による在日朝鮮・韓国人の追放運動とみる見方もあるが、私は北朝鮮による在日朝鮮人支配のための人質政策だと思っている。北朝鮮にとって在日は大きな金づるなのである。

次第に北朝鮮の実態が知られるようなって、北朝鮮に対する見方が変わってきた(私も同じだ)。金日成ファミリーの独裁国家だと言うことが明らかになった。帰国して行方がわからなくなった人がいる。在日の親類から連絡がつかなくなった。。豊かな国どころか貧困が伝えられるようになった。「まさか」と思っていた「拉致」までやっていた。そして日本に向けてミサイルを発射してくる。

いくら情報が少なかったとはいえ、北朝鮮を一瞬でも地上の楽園だと思ったことを恥ずかしいと思っている。私はまだ一個人だからよいが、当時北を礼讃し結果として金ファミリーの独裁を助長した団体や人々がいる。それなりの総括が必要なのではないかと思っている。

もちろんだからといって、私は在日の人々、とくに朝鮮総連につながる人々を敵視はしない。あの人たちもまた金ファミリーの独裁の犠牲者なのだと思う。

2013年12月 9日 (月)

四七抜きと二六抜き

昨日の学会の個人発表の一つ。発表の主題とはまったく関係のない問題だから、別に目くじらをたてる必要もないのだが。

「四七抜き長音階・二六抜き短音階」という言葉が出てきた。
「四七(ヨナ)抜き長音階」とは、四と七すなわち階名の「ファ」と「シ」の抜けた長音階でできた楽曲のことである。世界中にたくさん存在する。「蛍の光」「赤とんぼ」「昴」「函館の人」などである。

「二六抜き短音階」とは? どうも短音階の2番目と6番目の音、「ラシドレミファソラ」の「シ」と「ファ」の抜けた音階のことらしい。しかしこの用法はおかしい。

ファシ抜きを「四七抜き(ヨナ抜き)」と言うならば、短音階のファシ抜きも「四七抜き短音階」と呼ぶべきなのだ。我が国に「ドレミ」の階名が輸入された時に「ドレミ」のかわりに「一二三」(ヒフミ)が当てられたことはよく知られているが、「一二三」は音階の音度を表すのでなく、階名「ドレミ」の代用だったのである。だから短音階は数字では「六七一二三四五六」なのである。これは明治期の唱歌の楽譜を見ればすぐに分かることである。

ファシ抜き短音階も我が国だけではなく世界中に見られるもので、欧米では、「ラ・ペンタトニック」と呼ばれる。日本の民謡のほとんどは、「レ・ペンタトニック」である。

では、なぜ「二六抜き短音階」なる妙な命名が定着したのか。私がこの命名をはじめてみたのは、故大先生の著書である。この先生は短音階の4番目と7番目の抜けた音階(レソ抜き)を「四七抜き短音階」と呼んでいる。そしてそれと区別するために「ファシ抜き」を「二六抜き短音階」と呼んだのであろう。間違いに気付いていた人は多いと思うが、大先生だけに誰も何も言えなかったのだろう。まあ、あんまり目くじらを立てるような問題でないから言う必要もないと思われたのかもしれない。

2013年12月 4日 (水)

半人前

この年になっても、授業がまったくうまく行かないことがある(とても満足ができることもある)。

アンケートなどとらなくても、学生の顔を見れば、興味があるのかないのかすぐにわかる。内容がわかっているかどうかもわかる。遅刻・私語・居眠り・忘れ物もなかなかなくならない(もちろん全部ではない)。歯車が狂い出すと立て直しがきかなくなる。

どうも私の名前が悪いのかもしれない。「孝」という名は「教育」の「教」の字の左半分。「教える」という仕事をするには半人前ということか。

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