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夏は来ぬ

まだ松の内だというのに、こんなタイトルで申し訳ない。

なぜこんなタイトルを付けたかというと、日本音楽教育学会の学会誌『音楽教育学第44巻第2号』(元日到着)で村尾忠廣「《夏は来ぬ》はなぜ傑作か」という論文を読んだからだ。《夏は来ぬ》は佐佐木信綱作詞、小山作之助作曲の歌曲である。

私はあまり知らなかったのだが、タイトルからも明らかなように、この論文によるとこの歌は多くの人々によって「傑作」という評価を受けているらしい。著者の村尾氏は「批評的分析」によってこの歌が「傑作」である理由を明らかにしている。詳細は、本文を読んでいただいたらよいのだが、その分析方法はとても興味深いし、分析結果も面白かった。ただし、この歌が「傑作」であるかどうかは保留したい。分析をすれば、誰かが「傑作」だと感じる理由(ある音楽的な特徴)は明らかにできる。しかし、ある音楽的な特徴があることによって、すべての人が「傑作」と感じるとは言えないからだ。私はこの曲に「日本人として美的感性」も「アイデンティティ」もそれほどには感じない(感じるとすればむしろ歌詞のほうである)。

というような議論はまた別にするとして・・・・
実は私もこの歌にかなりこだわっている。

それは、歌詞の1番だ。

卯の花の匂う垣根にほととぎす早も来鳴きて忍び音もらす夏は来ぬ

私は「卯の花」というのは、ずっと前から(いつの頃か忘れた)のだが、「おから」のこととばかり思っていた。おからのことをその見てくれから「卯の花」という呼ぶことがある。だから、この歌詞を「おからの臭い(匂い)につられてホトトギスがやって来た」と解釈していた。どこかでそういう解釈をする人の話も聞いたことがある(忘れた)。

ところが、いろいろ調べてみると(とくにInternet関係)、このような解釈はどこにもない。当たり前のように、卯の花はウツギの木の花になっている。まあ、もちろんこれでも良いのだが、あまりにも当たり前すぎないだろうか。なぜ忍び音なのかもよくわからない。いろいろ調べてみたが、植物の「卯の花」はあんまり匂いがしないようだ。

という訳で大胆な解釈をしてみる。

おからを食べている家庭からにおいがする。そのにおいにつられてホトトギスがやってきた。しかし、そこに卯の花はなかった。それで少し早かったかなと思ったのか、小さな声で恥ずかしそうに鳴いた。

もちろん、ホトトギスが匂いを間違ってやってくるわけではない。卯の花とおからは見てくれはにていても匂いが似ているわけでもない。そのように思ったのは語り手である。

という解釈は子どもじみているのかな。

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