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2015年7月の投稿

2015年7月19日 (日)

赤とんぼ・・・再考

発問構成を整理してみた。過去に何度も取りあげた教材だが、読めば読むほど奥が深い。
旋律についても、分析中。

赤とんぼ   三木露風

ゆうやけこやけの あかとんぼ おわれてみたのは いつのひか
やまのはたけの くわのみを こかごにつんだは まぼろしか
じゅうごでねえやは よめにゆき おさとのたよりもたえはてた
ゆうやけこやけの あかとんぼ とまっているさおのさき

1 歌詞をわかる範囲で、漢字に直しましょう。辞書を引いてもけっこうです。
2 話者(この詩の中の私)は、今どこで何をしているでしょう。
3 「おわれて」とありますが、誰が誰におわれたのでしょう。
4 「まぼろしか」と思うのはなぜですか。
5 「ねえや」とは話者にとってどんな関係の人ですか。
6 「おさと」とは実家のことですが、誰の実家でしょう。
7 「たより」誰が誰に出したものですか
8 「たより」にはどんなことが書かれていましたか。
9 「たより」はなぜ「たえはてた」のでしょう。
10 「ねえや」はよめに行ったあとどうなったのでしょう。推測で結構です。
11 話者はどんな家庭で育ちましたか。これも推測で結構です。

期末の実技試験の順番待ちの時間に学生に答えを書かせた。かなり奇想天外な答えが書かれていた。

禁酒

15 年前(2000年7月3日)に、1日に50本以上も吸っていたタバコをすっぱりやめた。身勝手な嫌煙権論者の弾圧に負けたからだ。それまでは、「最後の1 人になっても、タバコを吸い続けるぞ!」と思っていたのだが、あっさり弾圧に屈してしまった。禁煙してしばらくは、己の意志の弱さを嘆いてはいたが、「タ バコを吸わない吉田さんって素敵!」という甘言に負けて永久禁煙してしまった。

そのかわりに、誓ったのがタバコをお酒に振り替えること。もちろんお酒は前から飲んではいたのだが、その量が数倍に増えた。タバコをやめると酒がめちゃく ちゃうまくなる。以来、飲んで飲んで飲んで。こればっかりは、ぜったいやめるわけにはいかんと強い意志を持って飲み続けてきたのだが、最近心の中で悪魔が ささやく。「酒やめろ、酒やめろ!」。何とか持ちこたえてきたのだが、なんか負けそうな気がしてきた。

2015年7月14日 (火)

チャチャ・チャン・チャン

音楽教育研究は店じまいしようと思っているのだが、最近また少し興味が出てきた。次から次へと調べたいことが生まれて困る。

今、一番関心があるのは、3拍子の「チャチャ・チャン・チャン」唱歌。もっとも古いのは「みなと」(そらもみなとも 1896年)で日本人が作った最初の3拍子という0のが通説(Wiki)だが、おそらくこうなる前に原型があるはず。(西洋のアフタクトのチャチャ・チャン・チャンから生まれたのではないか)

それ以来、このリズムパターンは日本の唱歌、「うみ」(まつばらとおく)「うみ」(うみはひろいな)、「こいのぼり」(やねよりたかい)、童謡、流行歌などどの受け継がれている。(これについては、すでに研究がありあそうだ)。

その中で興味が深いのは、時代が近い「ふるさと」の第3フレーズ(「ふるさと」は全体としては讃美歌調だが、この第3フレーズによって日本らしさを保っている)、またアフタクト型の「おぼろ月夜」と関係しているのかしていないのか。あるいはこの「チャチャチャンチャン」の完成形とも言える「赤とんぼ」との関係。(「おぼろ月夜」をアフタクトでなく1拍からはじめると「赤とんぼ」になる。

推測ならいくらでもできるのだが、きちんと証拠を見つけるのは難しそうだ。まずは先行研究を探すことかな。私がやらなくても、誰かが調べてくれたらうれしいのだが(いまから研究業績を作る気もないし)。

2015年7月 6日 (月)

老後不安

年をとるとお金に執着するようになるらしい。

私たちの職業でも、定年退職して年金ももらえるのに再就職する人がいる。請われて再就職するのならまだいいがが、わざわざ再就職先を求めて一生懸命の人もいる。

以前は、「あの世にお金は持っていけないのに、なんであんなに金が欲しいのだろう」と不思議でならなかった。しかし、自分がその年齢近くになると少しわかるような気がしてきた。次のような理由からではないか。

・年金というのは期待するほど大きくない。少なくとも年金だけで生計を維持するのは絶対無理。自分も計算してみたが、やはり苦しい。

・年金制度というものそのものが絶対に信頼できるものとは言えない。昨今の老齢化社会、経済状態の不透明感、年金行政の杜撰さをなどから不安がましてくる。

・年金だけでは不安だとすれば、貯金をあてにするしかない。ではどれくらい貯金があればよいのか。あと10年、あと20年と決まっていれば良いのだがそれは絶対に読めない。100まで生きようとは思わないが、死ぬ年齢が見えているのはいやだ。生きている間に貯金が尽きてしまうのもいやだ。「長生きは最大のリスク」でもある。痴呆(私は「認知症」という言葉はきらいだ)、病気など、災害など予想できない出費も計算しなければならない。

そういうわけで、老後の長さが決まっていない以上「お金は貯められるうちにできるだけたくさん貯めて」という心境になるのだろう。私も不安がたくさんある。お金は、酒と本と子育て(金食い虫がいた)と引越し(現在は5つめの職場、北は青森県、南は高知県)と親の後始末に消えたので貯金も少ない。辛うじて、安い安い超古住宅を買えた。

だから私は年をとってお金に辛くなる人の気持ちはわかる。しかし、根っからの怠け者。いつまでもお金のためにあくせく働くのはいやだ。お金、お金とけちくさいのもいやだ。お金がなくなったらそのときに考えればよい。子どもに何も残さないが、迷惑もかけない。潔く生きていこうと思う。

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