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2015年8月の投稿

2015年8月19日 (水)

斎藤佑樹と田中将大

昨日駅で買った某週刊誌に、今から8年前の早実・駒大苫小牧の決勝戦の記事が出ていた。15回延長引き分け再試合の末、早実が優勝した。斎藤佑樹投手(現日本ハム)と田中将大投手(現ヤンキース)の投げ合いが話題になった。

記事の内容はなんということもなかったのだが、私にはこの試合のことが結構印象に残っている。 ブログ(日記)をたどると、引き分けになった試合の翌日朝、次のようなことを書いていた。

以下引用

06/8/21 (Mon)

昨日は、ゆっくり高校野球の決勝戦を見た。 率直に言って、「凄い!」の一言である。あの田中、斎藤、両投手の精神力の強さである。 しかし、いくら精神力が強くても、成長過程の身体である。 今日は、二人の将来を考えるなら、監督は二人に投げさせるべきではない。都民や県民(注 「道民」と書くべきだったんでしょうね)、あるいは選手達、選手本人からの非難があろうと投げさせるべきではない。自分の首をかけても。それが監督の責任というものである。 本当は、高野連が、両者を優勝にするとか、試合を延期などすべきである。そういう度量があってもいい。また、朝日新聞社がそのくらいの提案をすべきである(朝日という新聞社は偉そうなことは言うが、そういうことは絶対にできない)。

引用終了

ずいぶん、極端な言い方をしているが、おそらく両投手の将来の活躍に期待しながら一方で両投手のことを心配していたのだと思う。 結局、この日に決勝戦が行われて、早実が苫小牧に勝ち、早実の斎藤佑樹投手は一躍時の人となった。

記録を調べると、田中投手は2試合とも試合の途中から投げているのに対し、斎藤投手は2試合とも完投している。そして準々決勝から数えると4日連続で計42イニングも投げたことになる。

その後の田中投手の活躍は周知の通り。一方、斎藤投手はもがき苦しんでいる。昨年まで4年間で計13勝、今年はまだ勝ち星がない。あれほど騒いだマスコミも、現在の斎藤投手に対しては冷たい。二人の力の差と言ってしまえばそれまでだが、斎藤投手の低迷は、高校・大学を通じた肩の酷使にあることは誰の目にも明らかである(それでも斎藤投手にはもう一度活躍してほしい)。

大会の日程は、できるだけ準々決勝と準決勝の間に休養日が置かれるなど、極端に試合が連続することのないように配慮されるようになった。また、複数の投手を準備するチームが増えてきた。しかし、現在ではプロ野球でさえ、先発、中継ぎ、抑えという分業制が確立し、先発投手は100球前後で交代というのが常識になっている。それを考えると、高校野球はまだまだ前時代的だ。朝日新聞が言い出しさえすれば、すぐに改善できると思うのだが。

2015年8月12日 (水)

文芸春秋(9月号)

『文芸春秋9月号』・・・今年の芥川賞の2作品が掲載されている(そんなことはどうでもよい)。

3つの記事がよかった。

・保阪正康「安倍首相・空疎な天皇観」
保阪氏の著書は数多く読んできたが、イデオロギーに捉われずに、歴史と現実をしっかりと超えた提言をしている。安倍首相やその周りにいる人にとっては、野党よりもこういう人の批判が一番きついのではないか。保阪氏の主張を要約して紹介するのは僭越だと思うのでぜひご一読を。

・中曽根康弘「大勲位の遺言」
97歳だそうである。少し総花的な感は拭えないが、今後の日本の進むべき道に対してさまざまな提言をしている。この人が総理大臣をしている頃、私は「革新」の側にいたので当然大嫌いだった。そして「保守反動」の権化のように思っていた。そして氏は今でも改憲論・核武装論者である。しかし、総理大臣を辞して以後のいろいろな著述をみるとそのバランス感覚に驚く(だから、「風見鶏」と呼ばれたのかもしれないが)。現在の集団的自衛権の問題に関してはもちろんそれを推進する立場にあるが、それについても説得力のある説明をしている。中曽根内閣ならもっとまともな議論ができたのかもしれない。ただ、野党にとってはもっと手強いだろう。安倍首相とは格が違う。

川上千春「妹・川上慶子と私の三十年」

8・12日航ジャンボ機墜落事故。ついこの間のような気がしていたのだが、もう30年。520名の方が亡くなったが、4名の生存者がいた。その中の一人、 川上慶子さん。辛い事故報道の中で、生存者の存在は唯一の明るい希望の光だった。慶子さんが救出される場面に涙した人がたくさんいるのではないか。その慶子さんの兄である千春さんの手記。慶子さんはその後看護師になり、阪神大震災の 時は神戸で被災者の看護にあたり、今は結婚もして家族と幸せに暮らしているという。お兄さんもケアマネージャとして高齢者の世話をしているという。とにか く良かった。

2015年8月 4日 (火)

杜撰な歴史記述

FB友の一人が勧めているし、ネット上でも話題になっているので閲覧してみた。

ねずさんのひとりごと

コンテンツがあまりにも多いので、自分の専門に近い記事を読んでみた。

ちょっとガッカリした。なぜかというと記述がめちゃくちゃだからある。極め付けは次の部分である。

引用開始

日本が日清戦争に勝利し、下関条約で台湾の割譲を受けたのが明治28(1895)年4月17日です。
伊沢修二が台湾総督府の学務部長心得として台北に赴任したのが、同じ年の5月18日です。
そして6月26日には、伊沢は台北の芝山巌に学堂を設置し、そこに地元の長老たちとの懇談によって6名の台湾人の若者を、新たな台湾人教師として育成するために、提供してもらっています。

伊沢は長老たちに説きました。
「自分たちがここに来たのは、戦争をするためでも、奸細(探偵)をするためでもありません。日本国の良民とするための教育を行うためだ。」

そしてこの6名と起居をともにし、彼らに必要な教育論と、日本語教育を施しました。
この若者達が、どれだけ優秀だったかというのは、その6名が、わずか4ヶ月で日本語をマスターし、さらに教育論や教育実務についてまでも、優秀な成績で学堂の卒業に至ったという事実です。

もちろん、そもそも彼ら6名に漢文の素養があり、明治の頃の日本語の文章が、ほとんど漢字ばかりだったということも幸いしたろうとは思います。
けれども一般に、むつかしいとされる日本語をたった4ヶ月でマスターしたということは、彼ら6名が優秀だったということに加えて、それだけ熱心に伊沢の授業を受けたという結果でもあったろうと思います。

その彼らの卒業が11月末のことです。
ところが、翌年のお正月、伊沢が日本に帰国していたときに、その6名は約百名のゲリラの襲撃を受けて、全員斬殺されてしまうのです。

引用終了

すこし歴史に詳しい人なら、これがでたらめであることはすぐにわかるはずだ。この著者のいう「ゲリラ」の襲撃を受けて惨殺された事件は「芝山巌事件」と呼ばれる有名な事件であるが、その被害者の6人の日本人教師である。この6人は「六氏先生」とも呼ばれる。

ついでに言えば、この六氏先生の一人は、今放送されているNHK大河ドラマ「花も燃ゆ」の主人公・文(美和)の姉・寿と小田村伊之助(後の楫取素彦)との間に生まれた子・久米次郎(後の楫取道明)である。おそらく大河ドラマでは、これから、久坂玄瑞の隠し子が発覚したり、寿が死んだり、美和と伊之助が再婚したり、この事件で道明が亡くなったりと、文の波乱の人生が描かれるのだろう。このへんがどう描かれるのか興味深い・・・・おっと脱線しそうになった。

これは、明らかに史実に関する謝りである。このような間違いが起きる原因は、おそらく聞きかじり(読みかじり)による推測と思い込みにある(要するにちゃんと調べていない)。

歴史というのは史観が違えば同じ事実に基づいていてもまったく違う見え方がすることがある。それはまだしようがないことだと思う。しかし、事件の被害者が日本人であったか台湾人であったかを間違えるというのはあまりも杜撰である。これが私がたまたま見た記事がそうだったのか、氷山の一角なのかは全部を調べてみないとたわからない。しかし、ほぼ予測はつくし、全部を検討するほど暇人ではない。こういう怪しげなブログには関わらないほうがよさそうだ。そして、こんなブログを他人に勧めると勧めた人も軽くみられるのではないかな。そのほうが心配である。

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