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叔父のことなど

年末。自分の部屋の掃除をしていたら、本の間から19ページほどの冊子がでてきた。表紙には、「草笛 吉田昭二」とある。昨年87歳で亡くなった叔 父(父の弟)の自選句集である。全部で372句が収められている。もうだいぶ昔叔父から直接もらったのだが、すっかりわすれていた。

小学生の最初の3年間、私は祖父母に育てられた。そこにはまだ若いこの叔父がいた。叔父はその頃私の父親代わりでもあった。

叔父はよく句会に出席していたし、年賀状には必ず一句添えられていた。北九州の若松区で俳句協会の会長なども務めたこともあったので、俳人としても相当な人なのだというのは知っていた。ただ、私自身が俳句にあまり関心がなかったので、開いてゆっくり読むこともなかった。

しかし、叔父が亡くなった今この句集を読み返してみると、その感性と言葉の使い方の豊かさに驚く。難しい言葉はほとんどないのだが、移り変わる自然、人々 や家族の生活、そして叔父自身の人生が鮮やかに描かれている。とても優しい穏やかな人だったのだが、句からはとても熱い気持ちが伝わって来る。私もこんな 句を一句でも残せたらと思うが、たぶん無理だろう。

そのうち、時間ができたら全句を自分のホームページに置きたいと思うが、少しだけ紹介(叔父の生き方がよく現れていると思うもの)。

全山を総逆撫でに青嵐
この人のどこかに少女秋ざくら
草笛にふとカザルスの鳥の歌
ヨハネの書読みて始まる聖夜ミサ
こと切れしイエスの如き案山子抜く

整はぬ翅に風あり蝉生まる
苦悶の死あり空蝉のなりそこね
敗戦日ラヂオに正座しし記憶
からたちの刺のつらぬく鵙の贄
妬心とはこんな色かも曼珠沙華

青嵐マクベス攻むる森の如し
みどり子の固き拳や天瓜粉
義足脱ぐ音のことりと十三夜
ゆっくりと来し竹馬に追い越さる
法師蝉たのみもせぬにアンコール

左手に目刺右手ににぎり飯
信号に降る赤い雪青い雪
なりわいのミシンへ戻る四日かな
蛍の火ゆるめし指の隙間より
なほ上に粛と孤高の凧一つ

説明は不要だと思うが、ちょっとだけ補足
・3句目、クラシック音楽が好きだった。
・4、5句目、クリスチャン。
・13、14句目、足に障害があって義足を付けていた。
・18句目、仕事はテーラー(注文でスーツを作る)

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不精者の言い訳

不精者の言い訳

私は年賀状を1通も出しません。年賀状を下さった方にも出しません。理由は次の通りです。

私には、多くの恩師、先輩、友人、後輩、教え子、同僚(過去も含む)、親類がいます。この人たちの数を数えるとおそらく何千人にもなるでしょう。もちろん この人たちのすべてに年賀状を出すわけにはいきません。どうしても出す人、出さない人を選別しなければなりません。その線引きをどこでするのかがとても難 しいのです。お世話になった程度、信頼度、好感度、逆に迷惑を受けた程度、不信度、嫌悪度等いろいろな基準があると思いますが、そういう線をを引くこと自 体が人と人を区別することになるのでとても嫌なのです。

また、自分がとても大切に思っている人がいたとします。その人が、別の人にはマメに賀状を出しているのに、私にはくれないということを知ったとします。そ れはとても辛いことです。しかし、そういうことがあっても、それは私が年賀状を出さないからだと思うと、まったく気になりません。

賀状をくれた人には返事くらい出すべきだという考えもあります。でも、年賀状が来たから出すというのも少し偉そうな感じで嫌なものです。若い頃は結構出し ていたのですが、その出した相手から1月5日頃になって賀状がくるのはあまりよい気持ちがしませんでした。とくに「早々の賀状、ありがとうございました」 などと書かれていると、むしろ迷惑だったのだなと思っていました。

したがって、今年も1通も出しません。賀状を下さった方にもお返事を出しません(もちろん恩師、先輩の方にもです)。とくに昨年2月に引っ越しをしてから というもの、現住所をほとんどだれにも知らせておりません。おそらく私に賀状を出しても戻って来るだけだと思います(前住所に出しても1年以上たっている ので転送されません)。お金と時間の無駄はどうかなさらないでください。

というわけで失礼をお赦しください。皆様方にはよいお年を迎えられますように。

 失礼もみんなにすれば恐くない

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雑誌記事(その2)

昨日、自分の文章が掲載された雑誌の処分について迷っているということを書いた。書いたとたんに決断できた。

どうしても捨てたくないものだけ残してすべて廃棄する。また、教育課程の改訂に関する解説本もすべて廃棄する。研究論文に入れていたものでも、現在では学問的にも実践的にも価値のないもの(私がそう思うもの)も全部処分する。

書いたときには少しは情報価値があっても、3年過ぎればほとんどゴミのようなもの。とくに雑誌の記事などというものはそんなものだ。

そもそも、私が書いて来たものなど、世の中での賞味期限はとっくに切れているし、これからの私の人生にも何の役にも立たない。

こう自覚したとたんとても気持ちが楽になった。さあ、捨てるぞ!

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雑誌記事

研究室の本や雑誌の処分をしている。雑誌の中には20年以上も購読し続けているものがある。思い切ってバッサリ捨てている。家には置く場所もない。モノには執着しない方なので、惜しいとも思わない。

ただ、処分を保留しているものがある。雑誌の中でも自分が執筆した文が掲載されている号である。1993-2000の国研時代、そして教育課程の改訂にか かわった2005-2008に執筆したもの。残りは『授業づくりネットワーク』誌である。中には連載もある。ほとんどが依頼されて書いたもので1〜数ペー ジである。そんな雑誌だけで200冊近くにもなる。国研の室長という立場上、ペンネームで執筆したものも含まれている。

ちょっと開いて読んでみる。自分の気に入っているものもあるが、締め切りに追われていかにもいやいやながら書いたような文もある。もちろんこんな雑誌記事 を自分の「業績」にはしない。むしろ人目に触れてほしくない代物だ(研究業績とした研究論文の中にも今は人目に触れてほしくないものがある)。

それでも一度世に出た以上は責任はある。何かの機会に問題になるかもしれない。だから一応は保管しておくべきなのかもしれない。迷っているところだ。
・・・・・・・・・・・・
芥川の「侏儒の言葉」の一文を思い出した。

「俳優や歌手の幸福は彼らの作品ののこらぬことである。----と思うこともない訣ではではない」

これは、映画やレコードのなかったことを前提にしている。それほど普及してなかったとは言え、芥川がその存在を知らなかったとは思えないのだが。

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