スポーツ選手の違法な賭博がまた明るみに出た。一般の人ならこの程度のことはなんていうこともないのだろうが、オリンピック金メダル候補ともなれば
大変だ。もちろん、教師とか公務員なども絶対ダメ。おそらく、いつ自分に及んでくるかとビクビクしている人はたくさんいるだろう。
ところで、将棋棋士の先崎学が『小博打のススメ』(新潮新書, 2004)の中で、次のようなことを書いている(前にもブログのどこかに書いたのだがどこに書いたか忘れた)。
「本書は博打をすすめる本ではない。小博打を楽しんでいただく本である。楽しむために一番大事なことは、博打というものが、お金をやり取りするものである
ことをしっかりわきまえて、その恐ろしさを決して忘れないことである。金の持つ力は魔力だ。それはたしかである。それをきっちり分かったうえで、また人間
というものがいかに欲望に対する自制心が弱いかを知ったうえで、健全に小博打を楽しめば、生きるということが豊かに、そして楽しくなるのである」
これは、矛盾に満ちたかなりデタラメな文章だ。「自制心の弱い」人間が「健全に」小博打など楽しめるはずがない。そして生きることが豊かに楽しくなることもあるはずがない。もちろん先崎もわかっていて書いているのだ。
ギャンブルに一度はまると、なかなか抜けられないのは酒、たばこ、薬物と同じだ。日本人にはギャンブル依存症が5%いるというが、競馬場や場外馬券売り場
に行ったり、パチンコ屋を覗いたりすればそのことはすぐに納得できる。合法的であっても、依存症の恐ろしさはまったく変わらない。
実は私も人生の中で依存症になった時期がある(合法の玉遊び)。計算をすると怖いのでやめておくが、時間とお金の大きな無駄使いをした。それでも決定的な
ダメージに至らなかったのは、それをやることに少し後ろめたさがあったから。夢中になっていても家族のことがふと頭に浮かぶ。自分が書いた文章とギャンブ
ルをしている自分の人格とのあまりにも大きなギャップに嫌気がさす(だから、ギャンブルに大負けしたあとは、しばらくは猛烈に研究をした)。そして、そう
いうことに夢中になっている自分を人(とくに学生)から見られるのも気持ち良いものではない。そういうわけで、幸いなことに依存症からは脱出できた(たば
こも16年前にやめた。馬券を1年に数回買うことはある。酒は相変わらず依存症)。
ただ、仕事もなくなったので、後ろめたさというようなものからは解放された。少なくとも合法的なギャンブルであれば、誰からも後ろ指さされることもない。
でも、私ははまりやすい性格だからリスクも大きい。やっぱりやめておこう。でも、明日の⚪︎⚪︎賞、どうしようかな。近くだし。
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