年をとると体力が落ちてくる。五感も落ちてくる。これはだれでも自覚できる。しかし、思考力、判断力、記憶力など脳味噌の衰えはなかなか自覚するのが難しい。
だから多くの老人には自分が老人であるという自覚がない。自分がまわりに迷惑をかけたり、恥知らずなことをしたりしているという自覚がない。迷惑をかけた
り恥知らずなことをしたりしないためには、老人になる前に、つまり脳みその確かなうちに自ら一歩引くべきなのだ。引かないなら周囲が引くように忠告すべき
なのだ。ただ、忠告するのはなかなか難しい。私はそのために定年というような制度があるのだと思っている。
定年という制度もまちまちだ。一般の社会と比べると全体的に随分定年がおそい社会がある。大学の教員はその典型である。必然的に老害といった問題もおきてくる(私がはやく退職したのも、そういう老害の例をいくつか見てきているからである)。
もうひとつは政治の世界である。今回の参議院選では80歳の人が当選している。80歳にもなって議員の椅子にしがみつこうとする気持ちは、私には全く理解
できない(それが老人の老人たる所以なのだろうが)。それでもこの80歳の人は、政治経験が豊富らしい。周囲がそれを生かしてほしいと願っているからとい
う大義名分は立つ(私はやはり恥知らずだと思うが)。
ところが、都知事選では政治にまったく未経験の76歳の老人が政治の世界をめざすという。これはいったいどういうことだ。そして、この人がもう「老害」以
上の危険な状況に入っていることは誰の目にも明らかだ。本来ならやめるように諌めるべき人がいて当然なのだが、おだてて担ぎ出すのだからどうしようもな
い。そして恐ろしいことに当選の可能性があるという。そうなったら破滅だ。この老人だけならまだよいが、この人を押している勢力も破滅の道を歩くことにな
るだろう。
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