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一年の反省

本年の元旦に、目標をたてた。
次の3つを毎日1時間ずつすることだ。(炙り出し)
(1)
(2)
(3)

 

でその実現度。(1)1年平均だと超過達成した。しかし毎日やることがとても大切なのだ。7月くらいまではきちんとできていたのだが、あることをきっかけに挫折した。
(2)これも平均するとなんとか達成したが、7月-10月にまったくさぼってしまった。
(3)これはまったくダメ。1年間合わせて3時間くらい。つまり3日坊主だったということ。

 

どの項目も少しでも毎日続けることが大切なのだが、上のような状態なので成果がまったく現れていない。子どもの頃から叱られ続けてきたこのムラの多い性格は死ぬまで治らないのかもしれない。

 

というわけで、達成したら炙り出して紹介することだったのだが、達成していないのでまた来年に持ち越しすることにする。

 

目標は達成できなかったが、今年は退職の年。有り余る時間をどう過ごすかが重要だったのだが、時間を持て余して退屈することもなく楽しい1年だった(のかな)。ただ、お酒の量は相当増えた(昼間から飲んでいることが多々あり)。年齢から言っても少し危険なので来年は少し控えようと思わないこともないこともないこともないこともないこともないこともない・・・・・・・・・・・・・・(来年まで続く)

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ジミーの誕生日

12月23日に次のように書いた。

天皇誕生日。
中略
歴史では、東條英機らA級戦犯が68年前に処刑された日。将来の天皇誕生日に処刑したのは、アメリカの意地悪か、それとも思い出させないためか。

この答えが書かれている本が出ている。

猪瀬直樹『東条英機処刑の日 アメリカが天皇明仁に刻んだ「死の暗号」』(2011 文春文庫)

もともとは2009年に『ジミーの誕生日』というタイトルの単行本を文庫版にするときに改題したもの。ジミーは当時の皇太子明仁殿下の英語の授業時のニックネームである(恥ずかしながら、勉強不足でこの本の存在を最近まで知らなかった)。

この本は、GHQ(実はアメリカ)の対日占領政策を描いたノンフィクションであるが、最大の焦点は東京裁判と1948年の東條らの処刑である。

東條らの処刑は、まるで皇太子の誕生日の12月23日を待つように、1948年のその0時1分30秒に執行された。さかのぼって、A級戦犯が起訴されたのが1946年4月29日(つまり天皇誕生日)、裁判が開廷したのが5月3日(翌年に新憲法施行)。アメリカ(マッカーサー)はA級戦犯の処遇が天皇の身代わりであることを知らせたかったのというのが、著者の主張である。

この本の見どころは、そこで、マッカーサーの部下であるケーディス大佐(実在人物)、そしてこの大佐と不倫関係になったと言われる子爵夫人(これも実在の人物だということは結構知れ渡っている)をキーパーソンとしていることだ。ジミーの誕生日に処刑という筋書きは、このケーディス大佐が描いたものだという。

物語の最後に猪瀬自身がこの子爵夫人の孫という女性(この女性が実在の人物かどうかはどうでもよいことである)と語るシーンがある。

「12月23日の皇太子誕生日がケーディスの作品の完成なのか、というご質問には答えられます。いずれ昭和天皇は無くなれば皇太子明仁が天皇として即位する。12月23日は祝日になる。その日に東條が絞首刑になった日だということを日本人が思い出すはずだった。新しい天皇にも戦争責任が刻印され、引き継がれる。・・略」
「でも東條が処刑された日など、いま誰も知りませんよね」
「ただ一人を除いてね」

ここまで読んだとき、すぐに明仁天皇の姿が浮かんだ。沖縄、広島、長崎、硫黄島、サイパンと痛々しいまでに慰霊の旅を繰り返す姿が。この方にはまだあの戦争の傷跡ががしっかり刻み込まれているのだと。世の中がクリスマスだと浮かれているときにも。

それにしても猪瀬のこの筆力はなんだろう。原資料を含む資料をもとにこの物語を構成するのだろうが、一つひとつの場面はまるで現在目の前で起こっていることのように描かれる。推理小説でも読んでいるような気分になる。

政治の世界などに足を入れて、その名前を汚してしまったのが残念でならない。しかし名誉挽回、政治の世界のドロドロも含めてもっともっと書いてもらいたい(いまは、ほほえましい噂話が持ち上がっているが)。

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クリスマス

ボーナスのなき冬サンタ苦します

クリスマスには、多少の違いはあれ親しい人はプレゼントをしていました。昨年までは12月にはボーナスというものを頂き少しゆとりもありました。しかし、今年はサラリーもボーナスもない年金生活です。というわけでサンタさんは本年より廃業です。

でもサンタさんがやって来られるのは大歓迎です。とは言っても世の中不景気です。日本中どこでも

クリスマスサンタクロース苦します

という状態ではないでしょうか。ご無理のない範囲でお願いします。

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天皇誕生日

天皇誕生日。

と言われてもピンと来ないのは、私には昭和の時代の方が長いからかな。平成の28年間なんか、あっと間だつた。

長女の誕生日でもある。もう39歳。これもあっという間。

歴史では、東條英機らA級戦犯が68年前に処刑された日。将来の天皇誕生日に処刑したのは、アメリカの意地悪か、それとも思い出させないためか。今日は、このことをマスコミも取り上げない。処刑が行われた巣鴨プリズン跡には、サンシャイン60が建ちクリスマスで賑わっている。どれたけの人が68年前を思うのだろう。

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落合GM

中日ドラゴンズの落合博満GMの退団が発表された。事実上の解雇だろう。

落合は選手の時代(とくにロッテ時代)から好きだった。

セリーグに来てからは、憎っくき敵チームの選手・監督ととしてカープを苦しめてくれたが、それでも嫌いではなかった。王、野村、張本とも肩を並べられるくらいの偉大なスラッガーと言えるだろう。

しかし、最後の中日GMとしての3年間は痛ましかった。リストラに年棒カット、まるでブラック企業の経営者のようなことをした。「プロ野球は契約」だから、それ自身はよいとしても、その結果が悲惨で最後は最下位。あきらかにGMに就任したことが失敗である。

落合の失敗例から学ぶことはいくらでもあるが、大きくは二つ。

1 老いれば衰える
どんな立派な指導者でも、老いれば体力も感性も知力も落ちる。jまた、まわりの状況の変化についていけなくなる。ひどいことに、自分の衰えやまわりの変化についていけないことに自覚がない。その上、過去の業績がある人には誰も面と向かってものが言えない。言われても自分が大物だとおもっているので聞かない(落合に対しては厳しい世論の批判があったが、それでも聞かなかった)。当然のことながらピントのはずれた言動をするようになってくる。

2 一芸は道に通じず
「一芸は道に通じる」(一つの芸を極めると他の道にも通用する)ということばは嘘だ。名選手名監督ならずが普通なのだ。長島、王、野村(名監督のようだが、監督全期を通算すると下位に低迷しているほうが多い)。ところが落合は、名選手であり名監督になった珍しい例だ。これでやめておけばよかったのだ。それでも普通のGMならまだよかったのだろうが、球団経営にまだ関わった。野球人として能力の及ばないところにまで手を出して失敗した。これは野球の世界でなくとも言えることだ。

私たちのまわりにも、老いによる衰えや限界に気づかない人はたくさんいる。トンチンカンな言動をする。そのトンチンカンが自分だけの楽しみならよい。しかし指導的な立場の人がこれをやると社会の大きな迷惑になる(それがどれだけ本人の良心からでたことであってもそうである)。

人間誰にでも限界と引き際がある。それは個人によって異なる。限界と引き際を見極め美しく生きよう。

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ケルテスの「新世界」

ケルテス指揮・ウィーンフィル「新世界から」
(1961年録音1964年発売)

ヤフオクで入手した。
長い間探していたものが出てきたような気分だ。

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高校生の頃レコードの新譜は1枚2000円だった。高校の授業料が1000円もしなかった時代だから、相当に高い。昼食さえ節約してやっと1年に数枚帰るくらいだ。だから、1枚1枚を大切に扱った。
このレコードは、とくに気に入っていたので思い出がある。

指揮者のケルテスは73年に43歳の若さで事故死する。このレコードは後々まで「新世界の名盤」と言われた。若いエネルギッシュなケルテスをウィーン・フィルが包み込むように演奏しているというのが私の印象。若いケルテスとしにせのウィーンフィルの絶妙のバランスで生まれた演奏だったのではないか。そして、このレコードにはおまけとしてジャケットに全曲スコアが付いていた。それを見ながら聴くこともあって、何度聴いてもあきることはなかった。

ただし、レコードは消耗品。どんなに大切に扱っても何度も聴けばすり減ってしまう。とくに当時の私がもっていた安物のプレーヤーではなおさらだ。最後はとても聴くに堪えられるものではなくなって、そのうちにどこかに消え失せた。

この演奏をまた聴きたいと思っていたらCDが出ていたので2000年頃に買った。ただ、CDで聴いた演奏はレコードで聴いたものとは全く別のもののような気がした(もちろん同じ演奏である)。ウィーンフィルよりもケルテスの荒々しさのほうが勝っていて暴力的だ(それはそれでよい演奏なのだが)。微妙なリズムの不揃いまでしっかり耳に入ってくる。それで、LP盤をどうしてももう一度聴きたくなったのが今回入手した理由である。LP盤は、やはり私が高校生の頃聴いた印象と変わらなかった。

LPとCDでなぜこんなに違うのか。もちろんCDのほうが高音域をきちんと再生できる。しかしそれ以上にレコード録音そのものの特徴ではないかとも思われる。

よく知られているように、音楽の低音を再生するには高音よりも大きなエネルギーが必要になる。レコードの溝に高音と低音をそのまままのレベルで刻むと低音は振幅の大きな波形を刻まなければならないので再生すると針飛びしてしまう。それで、あらかじめ高音は大きめに低音になるほど小さくしてレコード盤に刻んでおく。そして再生の時に低音を大きく高音を小さくして元のバランスにもどす。この元のバランスに戻すのがPhonoイコライザーだ。この高音を大きく低音を小さく録音するためのレコード会社の統一規格がRIAA曲線と呼ばれるものだ。ただ、統一規格と言っても、実はレコード会社によって微妙な違いがあったのではないだろうか。レコード・レーベルによる響きの違いは高校生の頃からなんとなく感じていた。演奏者のほうも、そういう録音の特性というのを意識していたのかもしれない。当時のレコードの批評には、録音の良し悪しについてもよく書かれていた。このレコードにも宇野功芳が「レコードとしての録音のよさも、特筆に値します」と書いている。

ただ、演奏で一つ残念なことがある。スコアを見ながら聴くとすぐわかるのだが、第1楽章の提示部には繰り返しがあり、その最後の4小節は第1括弧でくくられている。そして第1括弧と第2括弧はまったく違う音である。この当時までは第1括弧を演奏せずに第2括弧へ行くのが普通だったようだが、このレコードも同じだ。しかしこうやると作曲家の残した譜面の1部が省略されることになる。だから、後に省略のない演奏を聴いた時は衝撃的だった。私は、少なくとも第1括弧、第2括弧が異なる時には繰り返しを省略すべきではないと思う(近年は繰り返しのある演奏も増えてきた)。

というわけで、このレコード1枚でいろいろなことが考えられる。

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ズボン下

これは自慢なのか、BKを宣伝しているのかわからないが・・・・

 

 

 

私は、生まれてこのかた、長ズボン下(パッチ)というものを一度も履いたことがない。51歳から58歳まで暮らしたあの弘前の雪の日でも股下はズボン1枚で過ごした。

 

 

 

履かなかったというより、あんなものは爺さんが履くものだと思っていた。みんなが履いているなんて夢にも思わなかった。どんな履きごこちかは知らないが、ゴワゴワして動きも悪そうだ。私のようなもののほうが珍しいと知ったのはずいぶん歳をとってからのことだ。もう爺さんになったが、今の所は必要はない。

 

 

 

というわけでズボン下なしで体を鍛えたせいか、風邪もほとんどひかない(注1)。最近いつひいたのかもまったく記憶がない。弘前時代に同僚の女性の先生から「吉田先生は、ばい菌のほうが逃げていくでしょうね」とまで言われたことがある。

 

 

 

というわけでは、体だけは(注2)いつも元気な私である(注2)。この元気な体をくれた親に感謝しなくちゃ。

 

 

 

(注1)これを読んだ人の中には、「あれ? 吉田が風邪ひいたというの聞いたことあるぞ」といういう記憶がある人がいるかもしれない。私が「風邪をひいた」という時の半分は、仕事をサボりたいか同情を買いたいときの仮病だ。だまして本当にゴメンなさい。

 

 

 

(注2) 残念ながら、脳みそはもともと元気でないうえに、最近はかなり衰えてきた。

 

 

 

(注3) これは少しまじめな話で、元気な理由。

 

 第1は、たばこをやめたことが大きい(もう16年になる)。それまでは、風邪とまではいかなくても喉をよく痛めていたし、いつも咳をしていた。私の若い頃を知っている人は、たぶんたばこが手から離せない私を想像するはずだ(ご迷惑をおかけした方、ごめんなさい)。肺がんと喫煙の関係についてはいろいろ議論もあるのだが、たばこが健康によくないことだけは確かだ。私は1日に50本以上吸っていたので、そのまま喫煙を続けていたら、今生きていないかもしれない。

 

 第2は禁煙にともなって肥満を防ぐために少し運動をするようになったことだ。とくに50歳〜55歳ごろは、ほとんどマラソンに明け暮れた。その間にフルマラソンを7回、100キロマラソン1回、30キロマラソン(青梅)2回、ハーフマラソン6回走っている。私はないもしないと肥満になるので、その後も体重が増えるとランニングやウォーキングをしてきた。それも元気な理由である。

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勇者たちへの伝言

増山実『勇者たちへの伝言・いつの日か来た道』(ハルキ文庫、2016、680円+税)

一気読みした。

「勇者」とは現在のオリックス・バッファローズの全身である阪急ブレーブス球団(1988年度で消滅)。「いつの日か来た道」は阪急ブレーブスの本拠地・西宮球場のあった「西宮北口」とゴロが合って、居眠り状態で聞くと聞き間違えることから来ている。

この小説は阪急ブレーブスにまつわる人々、その西宮北口周辺で生きていた人々のその後の人生を描いた物語。西宮球場と阪急ブレーブスがこの物語の登場人物をつなぐキーになっている。しかし、この物語の大きなテーマは北朝鮮帰還事業によって集団帰国した在日朝鮮人の人々に待っていた過酷な人生。

物語の半分は、主人公の父親の初恋の人であった在日朝鮮人の李安子に手紙文の形で語らせる。「この世の楽園」という北朝鮮側の宣伝によって1959年から1960年代に続けられた北朝鮮帰還事業。しかしその実態はこの世の楽園とは正反対の地獄だった。しかし、それでも必死で生き延びていく李安子の人生。その語り口には体験した人でなければわからない真実味を帯びている。

作者は、おそらくこの小説を書くために時間をかけた取材をしているはずだ。李安子さんはおそらく実在の人物だろうし実際に会って話もしたのであろう。また、阪急ブレーブスの選手であった高井保弘氏やバルボン氏へは取材もしている。北朝鮮に帰還して消息不明になった歌手の小畑実や永山一夫にもふれる。しかし、一方でタイムマシンのように時間が溯って死んだ父親と会話をするなど奇想天外なシーンも登場する。このような、フィクションとノン・フィクションの程よく折り混ざった構成が、物語を面白くしている。

それにしても、あの帰国事業は何だったのだろう。そして帰国事業は、北朝鮮が騙したというだけでは片付けられない。自民党・社会党・共産党をはじめとす政党や多くの団体が積極的に関わっている。日本人の責任も極めて大きい。

なお、物語に小畑実という歌手の「星影の小径」という歌が出てくる。You-Tubeで聴いたらかすかに聴き覚えのある歌だった。永山一夫は残念がら覚えていない。

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