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ケルテスの「新世界」

ケルテス指揮・ウィーンフィル「新世界から」
(1961年録音1964年発売)

ヤフオクで入手した。
長い間探していたものが出てきたような気分だ。

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高校生の頃レコードの新譜は1枚2000円だった。高校の授業料が1000円もしなかった時代だから、相当に高い。昼食さえ節約してやっと1年に数枚帰るくらいだ。だから、1枚1枚を大切に扱った。
このレコードは、とくに気に入っていたので思い出がある。

指揮者のケルテスは73年に43歳の若さで事故死する。このレコードは後々まで「新世界の名盤」と言われた。若いエネルギッシュなケルテスをウィーン・フィルが包み込むように演奏しているというのが私の印象。若いケルテスとしにせのウィーンフィルの絶妙のバランスで生まれた演奏だったのではないか。そして、このレコードにはおまけとしてジャケットに全曲スコアが付いていた。それを見ながら聴くこともあって、何度聴いてもあきることはなかった。

ただし、レコードは消耗品。どんなに大切に扱っても何度も聴けばすり減ってしまう。とくに当時の私がもっていた安物のプレーヤーではなおさらだ。最後はとても聴くに堪えられるものではなくなって、そのうちにどこかに消え失せた。

この演奏をまた聴きたいと思っていたらCDが出ていたので2000年頃に買った。ただ、CDで聴いた演奏はレコードで聴いたものとは全く別のもののような気がした(もちろん同じ演奏である)。ウィーンフィルよりもケルテスの荒々しさのほうが勝っていて暴力的だ(それはそれでよい演奏なのだが)。微妙なリズムの不揃いまでしっかり耳に入ってくる。それで、LP盤をどうしてももう一度聴きたくなったのが今回入手した理由である。LP盤は、やはり私が高校生の頃聴いた印象と変わらなかった。

LPとCDでなぜこんなに違うのか。もちろんCDのほうが高音域をきちんと再生できる。しかしそれ以上にレコード録音そのものの特徴ではないかとも思われる。

よく知られているように、音楽の低音を再生するには高音よりも大きなエネルギーが必要になる。レコードの溝に高音と低音をそのまままのレベルで刻むと低音は振幅の大きな波形を刻まなければならないので再生すると針飛びしてしまう。それで、あらかじめ高音は大きめに低音になるほど小さくしてレコード盤に刻んでおく。そして再生の時に低音を大きく高音を小さくして元のバランスにもどす。この元のバランスに戻すのがPhonoイコライザーだ。この高音を大きく低音を小さく録音するためのレコード会社の統一規格がRIAA曲線と呼ばれるものだ。ただ、統一規格と言っても、実はレコード会社によって微妙な違いがあったのではないだろうか。レコード・レーベルによる響きの違いは高校生の頃からなんとなく感じていた。演奏者のほうも、そういう録音の特性というのを意識していたのかもしれない。当時のレコードの批評には、録音の良し悪しについてもよく書かれていた。このレコードにも宇野功芳が「レコードとしての録音のよさも、特筆に値します」と書いている。

ただ、演奏で一つ残念なことがある。スコアを見ながら聴くとすぐわかるのだが、第1楽章の提示部には繰り返しがあり、その最後の4小節は第1括弧でくくられている。そして第1括弧と第2括弧はまったく違う音である。この当時までは第1括弧を演奏せずに第2括弧へ行くのが普通だったようだが、このレコードも同じだ。しかしこうやると作曲家の残した譜面の1部が省略されることになる。だから、後に省略のない演奏を聴いた時は衝撃的だった。私は、少なくとも第1括弧、第2括弧が異なる時には繰り返しを省略すべきではないと思う(近年は繰り返しのある演奏も増えてきた)。

というわけで、このレコード1枚でいろいろなことが考えられる。

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